痛快冒険小説「ホルケウ英雄伝 この国のいと小さき者 Heroic Legend of the North」を胸躍らせながら読んだ


著者の山浦さんは岩手県大船渡市の町医者。ケセン語訳聖書を書いたことで知られている。その山浦さんがライフワークとしてケセン語訳聖書とともに著したものが、蝦夷の歴史小説だったという。
蝦夷族のよき社会が大和朝廷によって征服され、屈服を余儀なくされる。そのあまりの過酷さに悲憤を込め、蝦夷を愛する想いと誇りをひしひしと感じさせながらこの小説が書かれてい

上巻
山浦玄嗣著 角川書店 2016年12月24日刊

る。私たちは歴史で最初の征夷大将軍坂上田村麻呂のことは習った。でもその征服と支配の過程についてはふれることがない。きっとこんなに過酷だったのだろうなと推測される小説である。

上巻の表紙に載っていたあらすじ

静かなる野、モーヌップ。坂東から移り住んできた豪族の圧政に、エミンの民は苦しめられてい

た。憤りを覚えた青年マサリキンは、女奴隷となる運命のチキランケを奪い、馬で逃亡を試みる。さらにマサリキンの黒馬が敵将の愛息を噛み殺したことで、二人は窮地に立たされた。豪族への敵対は、帝への叛乱。マサリキンは鎮所を牛耳るウェイサンペどものお尋ね者となるが、はぐれたチキランケは囚われ、按察使の寝所に召し出されてしまう。運命はマサリキンに反乱軍への参入を促していた。

下巻の表紙にのっていたあらすじ

チキランケを鎮所まで追ってきたマサリキンだったが、自らも牢に入れられた上に

下巻
山浦玄嗣著 角川書店 2016年12月24日刊

、反乱軍との関係を疑われ、死罪が下されてしまう。一方按察使は、モーヌップの地から蛮族と叛徒を一掃し、王化政策を進めようと企てるが、農民の逃散は止まらなかった。悲劇的な運命に翻弄されるチキランケが

歌う「風の歌」は人々の心を打ち、いつしか鎮所の誰もが口ずさむ歌になっていた。そのころ遠く離

れたタンネタイの森には、エミンの反乱軍・ヌペッコルクルが今にも集結しつつあった。

この時代のことを日本史の教科書はどう書いているか?

780年(宝亀11ねん)陸奥国の郡司で蝦夷の首長伊治砦麻呂が乱をおこし、多賀城を焼くと、桓武天皇はこれにたいして強硬な姿勢で蝦夷の武力制圧と郡制を施行する領域の拡大をめざした。3度目の征討を行った征夷大将軍坂上田村麻呂のもとに、802年(延暦21年)蝦夷の有力首長アテルイは降伏した。さらに政府は北上川中流域に胆沢城を築いて鎮守府を移し北方に志波城も造営して律令国家の版図を拡大した。しかし、805年(延暦24年)藤原緒嗣による徳政相論によって軍事と造作は停止され、嵯峨天皇の代に文室綿麻呂が北方の蝦夷を攻撃して征夷の成功を宣言し、以後、軍事的征討はなくなった。これは蕃夷を服従させる帝国国家の枠組みが変化したことを示している。

私が習った日本史は多賀城、坂上田村麻呂、胆沢城については覚えているが、蝦夷

高校「日本史B」山川出版 2018年3月

の側についてはほ

とんど教科書には記述がなかった。最近の教科書には蝦夷の首長アテルイは載っている。そういえばアテルイはNHKのドラマの主人公にもなった。アテルイは大沢たかおが演じていた。
この小説の舞台となった時代は上記の日本史教科書の780年頃ではないかと推測される。

この本は久しぶりに胸躍らせながら読んだ痛快冒険小説であった。上下巻をあっというまに読んでしまった。固有名詞が蝦夷語だとかいうことでちょっと登場人物がなかなか判別しにくかったが、下巻になるとそういう読みにくさはなくなった。
「リラ風よ」という歌が主題歌のように何度も登場するが。これはどういうメロディで歌われたのであろうか? ぜひ聞いてみたいものだと思った。

それから、この本はキリスト教とは無関係な小説だが、文中に著者がクリスチャン魂を感じさせることが結構あるので、それを発見しながら読むのもまた楽しい。

土屋 至(つちや・いたる)
聖パウロ学園高校「宗教」講師
SIGNIS Japan(カトリックメディア協議会)会長
宗教倫理教育担当者ネットワーク世話人


痛快冒険小説「ホルケウ英雄伝 この国のいと小さき者 Heroic Legend of the North」を胸躍らせながら読んだ” への1件のフィードバック

  1. サブタイトルの「この国のいとちいさきもの」というタイトルがそもそも聖書のことばですよね。

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