神さまの絵の具箱 18


末森英機(ミュージシャン)

たとえば、イチジクの、ブドウの、ウリーブの、ナツメの、リンゴの木は、やがて、しおれ、崩れ落ちて、そうして埃になる。老いた旅人は、くたびれ果てて、歌うちからもなくして、まなざしも貧しげ、うつむいてしまう。祈り深い者たちに、日々、毎朝、生まれ変わる恵みをあたえる神さまは、その者たちが、ハチドリの翼のようにきらきらと生まれ変わる、そのおかげで、変わらぬ神さまで、いつづける。コウモリどもは巣をつくり、キツネにも眠る巣があり、海を渡る鳥にも、波のうえに流木が見つけられるのに、人の子にはまくらするところさえなかった。ソドムとゴモラ、もっともっと、ヒロシマ、ナガサキと億劫(おくごう)絶えることのないあやまち。
「幸いなことよ」で始まる詩篇。神さまの愛、昼も夜も、トーラーというおしえを口ずさめとおっしゃる。神さまの愛は、愛情ではなかった。愛が愛情に変わることはない。神さまの愛には情はない。そうだ、愛情には情けがあるけれど、神さまの愛には情けがない。わたしたちが、さかしらをやめるとき、わたしたちの預かり知れないものが、帰ってくるに違いない。旧約聖書にきつく描かれていた〝妬み深い神〟。人間のこころにあたえたかった最大のもの。どんなに祈ろうと、手を取って迎えにきてくれる、やさしいマリアさまはいまい。
あわれなこころの切れはじをつかむ神よ。あなたに似せてつくられたわたしたちは、厚紙でできた人形のようだ?とほうもない辛抱強さはもう、期限切れだ。迫害の味にもなれすぎた。群れは弱り、飢えている。手は合わさったまま、どこへ落ちてゆくものか?『水路のそばに植わった木のように、時が来ると、実がなり、その葉は枯れず、何をしても栄える』。
それから、鞭のうなりも、拷問の悲鳴も、喜びは口ずさむ「幸いなことよ」と。


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