アート&バイブル 18:聖母の前で涙する聖ペトロ

グエルチーノ『聖母の前で涙する聖ペトロ』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

バロック絵画は16世紀から18世紀半ばまで続いた潮流です。バロック美術、絵画は絶対王政やカトリック改革、カトリック復興と深い関係があります。プロテスタントの人々が行き過ぎた聖人崇拝や偶像崇拝にもつながることとして絵画や彫刻などを疑問視したのに対して、カトリックは聖像や聖画を盛んに用いて教化に役立てようと考えて、積極的に作品を描かせました。ルネサンス美術で称賛された冷徹な理性ではなく、一瞬の感情や情熱の表現を追求するものとなりました。

イタリアではカラヴァッジョ、オランダではレンブラントやフェルメール、フランドルのルーベンス、スペインのベラスケス、フランスのプッサンなど、ヨーロッパの各地で様々な画家が活動し、現代に至るまで大きな影響を与えています。バロックという言葉はもともと、やや侮蔑的な意味合いで使われていました。それは作品の強調的な表現があまりにも行き過ぎており、“品位に欠けた、いびつなもの”という意味合いで、「ゆがんだ真珠」を意味するバロックという言葉で揶揄されたのです。

しかし、グエルチーノ(Guercino, 1591~1666. 「アート&バイブル」10参照)のこの作品には、そのような強烈すぎる表現という指摘は当てはまらないように思います。彼はカラヴァッジョやカラッチ一族によって始まった激しすぎるバロックを、やがてアカデミックな画法へと発展させたのです。ローマへ招かれたことにより、古典的な美術にも触れ、調和した美というものにも足場を置いた作品を生み出しています。

 

【鑑賞のポイント】

「アート&バイブル」10で紹介した『復活したキリストの聖母への出現』と同様、この『聖母の前で涙する聖ペトロ』も聖書には記述のない伝承に基づくものです。イエスのなきがらを十字架上から降ろし、大安息日の前日だったので急いで葬り、まだ誰も葬ったことのない新しい墓、“新しい園”に納め、十字架のもとにいた人々はそれらすべてを見届けて家に帰りました(ヨハネ19・38~42、ルカ23・50~56参照)。

グエルチーノ『聖母の前で涙する聖ペトロ』(1647年、油彩、122cm×159cm、パリ、ルーブル美術館所蔵)

聖母マリアは十字架の下で「これがあなたの息子です」「これがあなたの母です」と語られたことにより、ヨハネとともに家(宿)に戻ったことが想像されます。大祭司の庭で、しもべや女中たちから、「あなたもあの人の仲間でしょう?」と問われ、逃げ出したペトロもきっと遠くから、ゴルゴタの十字架を眺めていたことでしょう。しかし、恐ろしさのあまり、十字架のもとにまでは近づくことができませんでした。

やがて、夕暮れとなり、家に戻ったマリアのもとにペトロがやって来ました。「すみません。ごめんなさい。先生をむざむざと殺させてしまいました。剣を振るってでも守ろうとはしたのですが、先生がやめなさいと言われて、何が何だかわからなくなって、気がついたら逃げ出していました。ふがいない私を赦してください……」と、ペトロは涙ながらに語っている様子が伝わってくるような作品です。

マリアはやがて、「ペトロさん、そんなに悲しまないでください。あのお方はいつも言っておられました。救い主はこうして十字架を引き受けなければならないと、そして三日目に復活すると」と語り、ペトロを励ましたのです。

 


アート&バイブル 17:盲人を癒すキリスト

エル・グレコ『盲人を癒すキリスト』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

エル・グレコ(El Greco, 生没年1541~1614)は、クレタ島に生まれたギリシャ人で、イコン画家として出発しますが、26歳頃イタリアへ渡り、ヴェネツィアにおいて当時最高の画家であったティツィアーノ(Tiziano Vecellio, 1490頃~1576)に師事し、イタリア的な明朗な絵画を学びます。3年後にはローマへ移り、ファルネーゼ枢機卿の知己を得ますが、ローマで彼の作品が大きく評価されることはなく、10年に及んだイタリアでの生活を離れ、トレドへと赴き、その地でついに彼は不朽の名作を描くことになります。今回はイタリアでの修業時代の作品を紹介してみたいと思います。

この作品は「盲人を癒すキリスト」がモチーフとなっていますが、この時代はプロテスタントに対する対抗宗教改革の時代であり、霊的な啓発や啓示の象徴とも解釈されます。

 

【鑑賞のポイント】

(1)中心に描かれたキリストと盲人の姿
ひざまずいている盲人の片手にはまだ杖があります。もう片方の手はイエスの左手にすがっています。イエスは右手の親指と人差し指で彼のまぶたを開けようとするしぐさをしています。失われた彼の目に再び光を与え、見える力を回復させようとしているのです。(マルコ8:22~26参照)

エル・グレコ『盲人を癒すキリスト』(1571~72年、パルマ、国立絵画館所蔵)

(2)イエスの右側に立っている人々
このグループの人々をさえぎるように一人の人物が上半身裸体の姿で背を向けて立っています。その人は左手を差し伸べて天を示しています。洗礼者ヨハネの暗示と考えれば、今、イエスは天の御父のみ旨、御心、力を表していることを宣言しているかのようです。この人物群の中に16世紀当時の衣服を着て、こちらを見ている3人の人物が描かれています。この絵の注文主の姿を描いたものかもしれません。

(3)イエスの左側に立っている人々
左側には弟子たちのような人物たちが描かれています。イエスに一番近いところにいる人物は禿頭と白い髭でペトロを表しているのかもしれません。この左側のグループの前にも一人背を向けている人物が描かれています。この人はイエスの奇跡を見せないようにと妨げているのか、それとも反対に「見よ、この人のなさっていることを!」と叫んでいるようにも見えます。

(4)背景に描かれた建物とイエスと人々の間に描かれた小さな人物たち
この奇跡の物語は戸外を舞台としています。イエスの右側に立っている人々に一番近い手前に描かれている建物は古代建築の神殿のように見えます。その後ろにあるのは16世紀の建築物の書物に登場するような当時の最新の建築物です。そして遠景には古代の浴場のような建物が見えます。古代と現代が入り交じる様子は、ローマの町の風景を思わせます。私が興味を覚えるのは、イエスと左側の人物たちの間に座り込んで顔を突き合わせて話し会っているかのように見える老人と青年の姿です。伝統と新しさの調和が大切という象徴かもしれません。

 


アート&バイブル 16:洗礼者ヨハネの命名

ドメニコ・ギルランダイオ『洗礼者ヨハネの命名』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

今回は、初期ルネサンス時代に活躍したドメニコ・ギルランダイオ(Domenico Ghirlandaio, 生没年 1449~94)の作品を紹介したいと思います。ギルランダイオの名前は通称であり、一種のあだ名です。彼の父親も画家であり、また彫金家として、父の作る「花飾り=ギルランダイオ」が有名だったので、ドメニコもギルランダイオと呼ばれるようになりました。

ギルランダイオは、ミケランジェロの最初の先生として知られていますが、盛期ルネッサンスの三大巨匠、ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロに比べると日本ではあまり知られていない画家かもしれません。しかし当時は大変人気がありました。その証拠として、システィナ礼拝堂の壁画にギルランダイオの「モーセの生涯」と「キリストの生涯」が対になって左右の壁に描かれています。その後、弟子のミケランジェロによる『天地創造』の天井画や正面祭壇を飾る『最後の審判』があまりにも有名になったために、ギルランダイオの名前は霞んでしまいましたが、フレスコ画を得意としていたギルランダイオのもとでミケランジェロが修行したことは、このシスティナ礼拝堂でのフレスコ画制作に役立ったことは間違いありません。

ギルランダイオの代表作は実はフィレンツィエのサンタ・マリア・ノベッラ聖堂にありますが、この聖堂もダヴィンチのモナリザの制作場所となったことやマザッチョの遠近法を駆使した壁画などが有名なために、またもやギルランダイオの名前が霞んでしまっている印象があります。ところで、サンタ・マリア・ノベッラ聖堂にはトルナブオーニ家の礼拝堂があり、そこに「聖母マリアの生涯」をテーマにしたギルランダイオの作品があります。制作を依頼したのは、ジョヴァンニ・トルナブオーニという人物で、メディチ家のロレンツォ・イル・マニフィコ(豪華王)の叔父であり、当時のフィレンツェにおける有力者でした。この礼拝堂には、「洗礼者ヨハネの生涯」も「聖母マリアの生涯」と対になるように同じ場所に描かれています。これはシスティナ礼拝堂の「モーセの生涯」と「キリストの生涯」の対称性と合致するもので、当時の、そしてギルランダイオの得意なやり方であったのかもしれません。

ドメニコ・ギルランダイオ『洗礼者ヨハネの命名』(1486〜90年、サンタ・マリア・ノベッラ聖堂トルナブオーニ礼拝堂)

洗礼者聖ヨハネの誕生と命名について、ルカ福音書には次のように述べられています。

さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。(ルカ1・57〜66 新共同訳)

 

【鑑賞のポイント】

(1)父であるザカリアは中央に座り、羊皮紙(聖書では書き板)のようなものに名を書き記しています。母であるエリザベトは右から2番目のザカリアと視線を合わせている女性です。その他の人物は特定できませんが、幼子洗礼者ヨハネは当時の習慣に従って、こけし人形のように布でぐるぐる巻きにされています。ザカリアの左側にいる男性たちは当時のフィレンツェ風の衣装で描かれている人物もおり、この人も注文主であるトルナブオーニ一族の一人かもしれません。

(2)建物の内部の装飾は豪華であり、大理石の柱にはフィレンツェ風の大理石モザイクの装飾を思わせるものが描かれています。

(3)背景、遠景にはトスカーナの田園風景が描かれており、アルノ川の流れも描かれています。モナリザの背景やラファエロの聖母子の背景にもよくトスカーナの風景が描かれています。

 


アート&バイブル 15:二つの聖三位一体(二つの聖家族)

ムリーリョ『二つの聖三位一体(二つの聖家族)』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(Bartolomé Esteban Perez Murillo, 生没年 1617~1682)は、1617年12月31日、セビーリャの理髪師の末っ子として生まれました。ちなみに当時の床屋は外科医も兼ねており、現在も残っている青・赤・白のクルクル回る床屋のマークは、静脈(青)、動脈(赤)、包帯(白)の象徴なのです。ムリーリョは11歳で孤児になり、姉のもとで成長し、13歳位から絵の修業を始めたといわれていますが、1640年になって、ようやく彼の作品の記録が現れてきます。

図1『無原罪の御宿り』(1678年頃、スペイン・プラド美術館所蔵)

彼の画業の業績は、大きく3つの時期に分類されます。

第1期(1650年代)
「冷たい様式」の時代と呼ばれ、自然主義の画風で描かれ、『天使の台所』『蚤を取る少年』『ロザリオの聖母』(1650年、油彩、 スペイン・プラド美術館)などが代表作です。

第2期(1660年代)
「熱い様式」の時代と呼ばれ、穏やかな安定した作風で、黄金時代とされ、その名声も高まりました。『エル・エスコリアルの無原罪の御宿り』(1660~1665年、油彩、209×173cm、スペイン・プラド美術館)は温かみのある、穏やかな表情で描かれています。

第3期(1670年代)
「薄もやの様式」の時代と呼ばれ、甘美なスタイルへ傾注していきます。背景がスフマート(物体の輪郭を柔らかくぼかして描く技法)のように描かれていて、柔らかさを感じさせます。『聖母子』(1675年、油彩、イタリア・ローマ国立美術館)、『無原罪の御宿り』(図1)、今回鑑賞する『二つの聖三位一体(二つの聖家族)』(図2)、『貝殻の子どもたち』(1670~1675年、スペイン・プラド美術館)などが代表作です。

 

【鑑賞のポイント】

図2『二つの聖三位一体(二つの聖家族)』(1675~82年頃、ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵)

(1)『二つの聖三位一体(二つの聖家族)』は、父と子と聖霊の三位一体とヨゼフ、マリア、イエスの聖家族を同時に描いている珍しい構図で(特集16の「聖家族崇敬が生まれた状況」も参照)、柔らかなタッチで描かれていますが、これは彼の作品の中でも隠れた傑作と言ってよいとでしょう。

彼の代表作はセビーリャのカプチン会やサンタ・マリア・ラ・ブランカ聖堂、カリダード施療院に残っています。いずれも暖かい色調と自在なタッチで、当時の荒んだ人々の心を癒す、優美で慈愛あふれる世界を描き出しています。

(2)聖父と聖子と聖霊の三者は縦に(垂直に)配置されています。そして聖母マリアと聖ヨゼフの二人は幼子イエスの左右という横に(水平に)描かれています。この配置は十字架の形になるのです。聖母マリアの視線は幼子イエスに注がれています。さらに幼子の右手は聖母の右手の人差し指をしっかりと握りしめています。ところがイエス様の左にいる聖ヨゼフは視線をイエス様と同じ方向に、かつやや下向きに向けています。

そして幼子イエスの左手はヨゼフが広げた掌においています。左右の聖母マリアの視線と手のポーズ、聖ヨゼフの視線と手のポーズは対照的であり、父と母のそれぞれの役割を表しているように思います。マリアの服は定番の赤と青のマントですが、ヨゼフは緑の服と大地を思わせる茶色のマントになっているという対照も面白いと思います。

 


アート&バイブル 14:うさぎの聖母

ティツィアーノ『うさぎの聖母』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

図1:ティツィアーノ『聖母被昇天』(1516~17年、サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂所蔵、ヴェネツィア)

今回は、宗教画に登場する脇役や小道具などに注目してみたいと思います。鑑賞する作品は『うさぎの聖母』(鑑賞のポイントとあわせて、図2参照)です。その作者はヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ(Tiziano Vecellio, 生没年1490頃~1576)です。

ティツィアーノは、イタリアの北、アルプスに近い小さな村で生まれました。10歳でヴェネツィアに行き、絵画を学んでいます。当時、ヴェネツィアには、ジョルジョーネ(Giorgione, 1476/78~1510)やベッリーニ(Giovanni Bellini, 1430/35~1516)というような偉大な画家が活躍していました。ティツィアーノはジョルジョーネの助手として壁画装飾に参加していましたが、ジョルジョーネ、ベッリーニの没後、ヴェネツィア派の巨匠として活躍します。豊かで、穏やかな色彩を特徴とするヴェネツィア派ですが、ジョルジョーネとティツィアーノは自然の光、自然との調和を強調する独自な画法を作り上げています。

ティツィアーノは、それまでの形式的な祭壇画の構図を無視して、革命的とも言うべき、ダイナミックな表現方法と鮮やかな色彩を取り入れていきました。やがて、1516年から26~28歳で手がけた『聖母被昇天』(図1)の祭壇画は、ジョルジョーネやベッリーニをもしのぐといわれるほどの出来栄えでした。ヴェネツィアの人々は、この絵が完成したとき、ヴェネツィアのかつての栄光が失われつつある中で、大きな勇気と希望を奮い起こすことができたと伝えられています。

 

【鑑賞のポイント】

この作品は74×84cmという大きさで大きな聖堂に飾られるためというものではなく、ある個人からの依頼で作成されたもので、その人の家に飾るための宗教画だったのではないかと想像されます。そのためか描かれている題材はまるでピクニックに出かけた聖家族の一場面のようなのどかで楽しげな雰囲気です。

図2:ティツィアーノ『うさぎの聖母』(1530年、パリ、ルーブル美術館所蔵)

(1)母マリアは右手を、幼子イエスを迎えるように差し伸べています。左手は膝もとにいる白いうさぎを抱きかかえています。幼子イエスは母の手にある白いうさぎに興味を引かれている様子です。

(2)当時、うさぎは雌雄同体だと信じられており、処女性を失わずに繁殖することができると考えられていたために、聖母マリアと関連づけられていたのです。

(3)母マリアの足元にはバスケットが置かれており、そこにリンゴ・ブドウ・イチジクなどの果物が見えます。いずれもアダムたちの原罪のエピソードとイエスによる贖罪を連想させる果物です。

(4)マリアたちの背後にヨゼフらしき男性が座っており、そのそばには羊たちが描かれています。「世の罪を取り除く神の小羊」というイエスの使命が暗示されています。

 


アート&バイブル 13:聖母子

ピーテル・パウル・ルーベンス『聖母子』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

今回、紹介する絵は、ルーベンス(Peter Paul Rubens, 生没年 1577~1640)の作品です。前回紹介したボッティチェリの「書物の聖母」と同じようなモチーフですが、ルーベンスが描くとボッティチェリの作品とは異なり、あくまでも明るい、そして温かみのある聖母子の絆となります。

ルーベンス(主に活躍したフランドルの言葉[オランダ語]ではリュベンス。ルーベンスはドイツ語読み)が生まれたのはドイツのジーゲンでした。両親はプロテスタントでしたが、カトリックに転会し、やがてルーベンスはカトリックとプロテスタントの両世界に認められる画家となります。また外交官としても働いた人物です。

彼の絵は生命力のある色使いが特徴で、幼子の肌の色は生き生きとしています。また彼は合作も多い画家で、人物をルーベンスが描き、その周りの風景や植物を他の画家が描くなど、現在では思いもよらない形の作品も多いのです。これも彼が社交性に富み、人から好かれる人柄であるがゆえに可能だったことなのです。

 

【鑑賞のポイント】

(1)体温が伝わってくるような幼子の体
幼子は全くの裸で、母の乳房に顔を寄せています。やわらかな幼子の体と母の乳房のやわらかさと温かさが感じられるほどです。幼子は一番、安心できるものに包まれて幸せそうにほほえんでいます。

ピーテル・パウル・ルーベンス『聖母子』(1624年、ベルリン美術館所蔵)

(2)聖書の頁をめくる聖母の手
母の胸に顔をうずめていた幼子が、母の手が何かをしていることにふと気がつきます。聖母の手はパラパラと音が聞こえるような様子で、聖書の頁をめくっています。「聖書のいろいろな箇所にあなたの事が書いてあるのよ」というような姿にも見えます。その聖書の各頁は美しく装飾されています。すなわち、今、この聖母子が立っている周りの風景と同じく、聖書の各頁の周辺には花や植物の絵が描かれているのです。聖母子のいる世界と聖書の世界がつながっているのです。聖書を開く時に、この世界にも花が開く(平和で豊かな世界が実現する)のです。

(3)聖母の表情に浮かぶほほえみ
ボッティチェリの聖母がどこか拭いきれない憂いを含んでいるのに対して、ルーベンスの描く聖母の表情には暗さがありません。ルーベンスが生きた時代も決して平穏ではなく、キリスト教世界もカトリックとプロテスタントが激しく争っていました。にもかかわらず、その両者を知るルーベンスは「同じ聖書を基礎としている信仰ですから必ずや和解し、一致することが出来るのです」と言わんばかりのメッセージを込めているように思います。

(4)聖書と同じ机の上におかれた果実
絵の右隅にはブドウやザクロ、リンゴのような果物が描かれています。マスカットのような緑色のブドウもあれば、巨峰のような濃い紫色のブドウもあります。色は異なっても同じブドウ、つまりカトリックもプロテスタントも同じことという意味が読み取れるのではないでしょうか。

 


アート&バイブル 12:書物の聖母

サンドロ・ボッティチェリ『書物の聖母』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

2016年1月16日~4月3日、日伊国交樹立150周年記念企画として、ボッティチェリ展が東京都美術館で開催されました。そのポスターに掲載されていたのがこの「書物の聖母」でした。ボッティチェリ(Sandro Botticelli, 生没年 1544/45~1510)というと、宗教画になじみの薄い日本では、「ヴィーナスの誕生」(図1)や「プリマベーラ(春)」などギリシャ神話を題材とした、いかにも泰西名画的な作品が人気のようですが、この展覧会によって聖母を描く作品も新たに注目されたといえるかもしれません。

図1:サンドロ・ボッティチェッリ『ヴィーナスの誕生』(1483年頃、フィレンツェ、ウフィッツィ美術館)

ボッティチェリはフィリッポ・リッピ(Fra Filippo Lippi, 1406頃~1469)を師として絵を学び、それゆえリッピの描く甘美な聖母の表情、姿を引き継いでいます。当時、聖母を描く時の甘美さにおいて定評があったのはぺルジーノ(Perugino, 1445/50~1523)ですが、こちらの弟子にはラファエロ(Raffaello Sanzio, 1483~1520)がいます。ラファエロがマドンナの画家と呼ばれますが、ボッティチェリもラファエロに劣らぬマドンナの画家の一人です。

この絵は窓辺に聖母が腰をかけ、ひざに抱いた幼子イエスに聖書のことばを読み聞かせているという姿です。聖書のことばを読んでいる時、聖母は、ふとこの幼子はやがて全人類の救いのために犠牲として捧げられなければならないということに思いが至り、ことばが止まってしまった様子に気づいて、幼子が聖母を見上げて何かを語りかけているように見える作品です。

 

【鑑賞のポイント】

(1)聖母の光輪とベール
聖母の頭の背後にある光輪は金色で、繊細なレースのように描かれており、ボッティチェリらしい優雅さにあふれています。聖母の肩にかかるベールも半透明で、聖母の髪を半ば隠そうとしながらもその優美さは隠しきれない美しさとして描かれています。聖母のマントの肩には星の姿が描かれています。

サンドロ・ボッティチェリ『書物の聖母』(1483年、ミラノ、ボルディ・ベッツォーリ美術館所蔵)

(2)聖母の表情
この聖母の表情こそ、ボッティチェリの特徴、得意とするところです。ボッティチェリの描く聖母の顔には、かすかな憂いを含んでいます。しかし、それは恐怖や不安ではなく、あくまで憂いなのです。この幼子の過酷な運命、しかしそれが神の御心ならば、人間の目には悲劇的なものであろうとも、その先にあるものを信じようとする聖母の心の動きが憂いという表情の源となっているのです。

(3)聖母を見上げる幼子
聖母の声が止まってしまったことに気づいて、幼子が聖母の顔を見上げています。幼子の左手には三本の釘と茨の冠があります。この幼子が救い主として、その使命をどのように実現するかについて、イザヤ預言書の52章13節から53章12節にある「苦しむしもべの歌」(第四のしもべの歌)にイエスのメシアとしての自己理解が示されています。幼子は「お母様、心配なさらないで下さい。これらの苦しみを通してメシアは復活することになるのです。それによって御父は栄光をお受けになるのです」と語っているように見えるのです。

(4)聖母の手と幼子の手
聖書におかれた聖母の右の手と幼子の右手が重なっており、この聖母子の絆の深さがさりげなく、描かれています。その上には白と赤のバラの花も飾られています。

 


アート&バイブル 11:聖母マリアの少女時代

フランシスコ・デ・スルバラン『聖母マリアの少女時代』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

この絵の作者はフランシスコ・デ・スルバラン(Francisco de Zurbarán, 生没年 1598~1664)です。スペインで活躍した画家の中で、特に宗教画という世界では、エル・グレコ、スルバラン、ムリーリョの三人の名が思い浮かびます。

図1:フランシスコ・デ・スルバラン『神の子羊』(1635~40年頃、プラド美術館所蔵)

スルバランをスペインのカラヴァッジョと呼ぶ人々もいるようです。確かに光と影のコントラストという点ではカラヴァッジョに通じるものがあるかもしれませんが、私はむしろスルバランは「修道者の画家」という呼び名の方がふさわしいと思います。スルバランの絵はリアリズムに満ちており(図1)、その点ではカラヴァッジョと共通するポイントがありますが、カラヴァッジョのような激情をそのままぶつけるのではなく、むしろ内面の情熱を抑え、静謐さによって包まれている魂の姿というものを感じるのです。

スルバランの代表作として1628年に発注されたメルセス会の創立者聖ペトロ(ペドロ)・ノラスコの生涯を描いた連作があります。この作品以後、1630年代にはセビリアを中心に活動しており、1634年にはマドリードのブエンレティーロ宮の「諸王国の間」の装飾という大きな仕事を引き受けています。1638~39年にはグアダルーペ修道院聖具室(香部屋)の装飾にも携わり、スルバランの画業は全盛期を迎えたのです。

しかし1640年代になると彼の人気は急速に衰えます。セビリアの町自体が衰退し、かつペストの流行もありました。加えて、甘美で優雅なマリア様を描いたムリーリョ(スペインのラファエロと呼ばれた)の声望と人気が高まっており、スルバランは、1658年にセビリアを去り、ベラスケスを頼りマドリードに向かい、同地で没します。

 

【鑑賞のポイント】

フランシスコ・デ・スルバラン『聖母マリアの少女時代』(1660年頃、エルミタージュ美術館所蔵)

(1)黒髪の少女として:聖母マリアはいろいろな画家によって描かれていますが、ルネッサンス期のイタリアでは、聖母の髪が金色で描かれていることが多いようです。これは理想化された女性の姿、また金色の意味する輝きが聖母にふさわしいと考えられたからでしょう。しかし、スペインの画家たちは、多くの場合、聖母の髪色を黒や亜麻色で描いています。これはそれぞれの国の女性たちの姿で聖母が描かれるという聖母ならではの特徴だと思います。

(2)女のまなざしと口元の表情:裁縫あるいは刺繍をしていた時、ふと気がつくと神様の姿、あるいは神様の呼びかける声が聞こえてきたのでしょうか、少女マリアは目を天に上げて、何かを見つめています。その表情には驚きや不安などの影はなく、純心なまなざしは幼子のようでもあり、それでいてしっかりとした大人の女性のような落ち着きがあります。口元は今にも開き、神様への賛美のことばを唱える様にも見え、また神様のことばをしっかりと味わうためにむやみに口を開こうとはしない、つつしみのある姿とも見えます。顔だけを見ると大人にも劣らぬ落ち着きを感じますが、体つきはまだ少女の小さな体です。

(3)親指を重ねた手の表情:思わず親指を重ねて手を合わせていますが、これはカトリック教会の祈りの時の姿勢であり、こちらに向けられた親指は力強さが感じられます。布の白と緑もそれぞれ、白は少女マリアの純真無垢な心を表し、クッションの緑は、若々しさや楽園を象徴する色に思えます。

 


アート&バイブル 10:復活したキリストの聖母への出現

グエルチーノ『復活したキリストの聖母への出現』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

図1:グエルチーノ『聖ペトロニラの埋葬(聖ペトロニラの祭壇画)』(1623年、ローマ、カピトリーノ美術館所蔵)

イタリアのバロック画家、グエルチーノ(Guercino, 生没年 1591~1666)を紹介したいと思います。ゲーテは「彼の筆の軽妙さ、清純さ、円熟さはただ驚嘆のほかはない」と絶賛し、スタンダールは「最後の大画家」と讃えています。2015年に国立西洋美術館で展覧会が行われましたが、それが日本でグエルチーノの作品が紹介された初めてのことでした。グイド・レーニ(Guido Reni, 1575~1642)とともにイタリアン・バロックの双璧と称されていますが、これまであまり知られていないことも事実です。

グエルチーノという名はこの時代の画家たちによくあるように通称で、本名はジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ(Giovanni Francesco Barbieri)です。グエルチーノとは「やぶにらみ」という意味で、彼が斜視であったことからつけられたあだ名です。グエルチーノはボローニャとフェラーラの間にあるチェントという村(現在は市ですが)に生まれ、17歳でボローニャ派の画家に弟子入りしました。カラヴァッジョ(Caravaggio, 1571頃~1610)やカラッチ一族によって扉を開けられたバロック美術を発展させるという功績をあげました。

彼自身も認めているように初期のスタイルはアンニバーレ・カラッチ(Annibale Carracci, 1560~1609)の影響を受けていますが、後期の作品には彼のライバルとも言われているグイド・レーニの作風に近づいてゆき、より明るく明瞭な絵を描くようになりました。彼はスケッチの点でも超一流で、かつ仕事が早いことでも有名でした。1621年から1623年まで、ボローニャ出身の教皇グレゴリウス15世(在位年 1621~1623)に招かれ、ローマの宮殿や教会に多くの作品を描きました。彼の最高傑作は『聖ペトロニラの埋葬(聖ペトロニラの祭壇画)』(図1)と言われています。

 

図2:グエルチーノ『復活したキリストの聖母への出現』(1628~30年頃、イタリア、チェント市立絵画館所蔵)

【鑑賞のポイント】

『復活したキリストの聖母マリアへの出現』(図2)は、聖書には書かれていない伝承に基づいたエピソードをモチーフにしています。聖書には、墓の近くでマグダラのマリアに姿を見せたこと、ユダヤ人を恐れ、鍵をかけて閉じこもっていた弟子たちに姿を現したことなどが記されています。しかし、復活の朝、キリストは最初に、誰よりもキリストを愛し、また誰よりもキリストを理解し、誰よりもキリストを信じていた聖母マリアにこそ出現したという言い伝えもあるのです。

 


アート&バイブル 9:最後の晩餐

ジョット『最後の晩餐』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

ジョット(Giotto di Bondone, 1267頃~1337)の作品に興味があるならば、パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂を抜きにしては語れません。礼拝堂のすべての壁面にジョットの真筆で描かれたヨアキムとアンナの生涯、聖マリアの生涯、そしてキリストの生涯は、それ以降の画家たちにとって、様々なインスピレーションの源泉となりました。建物の描き方にはすでに遠近法が取り入れられており、12人の弟子たちの表情も様々な心の動きや感情を表しています(鑑賞のポイントとあわせて、図2参照)。

図1:12~13世紀に作られた北シリアの典礼用福音書の「最後の晩餐」の挿絵(ロンドン、大英図書館蔵)

参考のために、12~13世紀に作られた北シリアの典礼用福音書の挿絵の最後の晩餐(図1)と、ジョットの作品を比べてみてください。12~13世紀の東方の挿絵では、まだ遠近法がないためになんと最後の晩餐を描くために上から見下ろしたような構図で描かれており、円形のテーブルの周りに12人の弟子たちが横向きに描かれたり、逆さまに描かれたりと苦労がしのばれます。この挿絵ではキリストが立ちあがっており、右手をのばしてユダを指し示しています。ユダは皿の方に右手を伸べていますが、左手で思わず金袋(あるいは金をいれたポケット)に置いています。

弟子たちの表情は素朴で、弟子たちが誰であるかがまだ判別できるほど個性的には描かれていません。髭の有無や髪の毛の色の違いなどで多少の区別がつけられていますが、目や口などはイラストのように単純です。

 

【鑑賞のポイント】

(1)この中に私を裏切る者がいる

イエスが「この中に私を裏切る者がいる」と言われた時、ペトロ(イエスの胸に寄りかかっているヨハネのすぐ左隣りにいる)は、その表情を曇らせ、「それは誰ですか?」と問いかけているようです。「私と同じ鉢に手を入れている者がそれである」とイエスが答えたその時、ユダがイエスと同じ器に触れています。ユダの席はイエスの右側(ヤコブがイエス様の右隣で、そのすぐ右隣に描かれています)の席にいます。つまりゼベダイの兄弟(ヤコブとヨハネ)がイエスの左右に、それに続いてイエスに近い左右の席にペトロとユダが描かれています。

図2:ジョット作『最後の晩餐』(1304~05年、パドヴァ、スクロヴェーニ礼拝堂)

これはユダがペトロに匹敵するほど12人の弟子の中では席次が高く、弟子たちの中でも特別なポジションにいたことを表しています。ユダだけがガリラヤ出身ではなく、教養もあり、ギリシャ語も話すことができ、才覚もあり、機転の利く人物、イエスの秘書的な役割、グループの会計係りとして信頼が厚かったという描き方なのです。ジョットより後の画家たちがユダだけを仲間外れに描いたり、グループのお金を横領していたりというような悪意のある人物として描いたのに比べると、ジョットのユダの理解は現代的であるとさえ思います。

 

(2)12~13世紀の挿絵

イエスは右手で指さしていますが、左手には四角のお盆か皿のようなものを持っています。そして、12人の弟子たちの前に置かれた皿の上に丸が描かれています。まるで二重丸のように見えますが、これは各自の皿の上に聖体がイエスによって配られたことを表しているのです。ユダは聖体を受ける前に部屋から出て行ったと考える時代もありましたが、ユダも聖体を受けていたのです。