浦上四番崩れ150周年

久志利津男(カトリック浦上教会主任司祭)

“長崎から二つ目の世界遺産を!”

平成27年登録された「明治日本の産業革命遺産」に次ぎ、来年の発表に向け慌ただしくなっているのが「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」。歴史に刻まれた長崎の霊的遺産を国内外への発信を前に、信仰のふるさと「浦上」では、今年『浦上四番崩れから150周年』を静かに迎えようとしています。

かつて信教の自由がなかった日本の地にあって、キリシタンたちの思いはいかばかりかと、推測の域を超えます。侮辱され、全てを奪われ、亡き者にされた彼らの無念は晴らされたのでしょうか? 信教の自由にある私たちが何か代弁する形で彼らの報いに応えることができるのでしょうか?

時は150年前、捕える側と捕えられる側との駆け引き。表ではキリシタンではないと公言しつつ、腫れ裂けんばかりの沈痛の思いに駆られていたことは「踏絵」が証明します。「踏んではいけない」と思うこととは裏腹の行為への心底からの侘びに、踏んだその足を洗った水を飲むというそれほどまでしても、素性をばらさない努力は時間の問題でした。人間関係の歪みや嫉妬からくる告げ口、いわゆる密告による捕縛に至ったわけです。これが浦上一番、二番、三番と言われるもの。

隠し通すことには限界があり、隠し通さなくともそこから見えてくるものもあります。1865年3月17日、東洋の奇跡とも言われた「信徒発見」の出来事は時のしるしに適う形でその2年後に、より具現化されることになります。高木仙右衛門らが捕えられた1867年7月15日は、自らの信仰を公にすることによって捕縛され、これが「浦上四番崩れ」と言われる最後の激しいキリシタン検挙事件の勃発となります。

カトリック浦上教会『「旅」の話―浦上四番崩れ―』(信徒発見140年記念出版、2005年)

「信教の自由」を勝ち取るために、一途な彼らの何物にも代えがたい思いに駆られた行動は、結果的には今日の状況を生み出した大きな価値ある出来事となり、単なる一過性ではなく継続性であることを認識する必要があります。

歴史は作られ、刻み込まれます。決して歪めても無視してもなりません。過去の出来事を真摯に受け止めながらその後を精査する必要があるのです。今年、宗教改革から500年を迎えて、キリスト教がどのように展開されてきたかを世に知らしめる記念の年を模索する中、計らずも『浦上四番崩れから150年』にあたり、信教の自由や人権問題がどう対処されてきたかを吟味することによって、今の私たちが歴史の証人となること間違いありません。