片岡沙織 はじめに 4歳になったばかりの我が家の双子の息子たちは、まだ赤ちゃんの面影を残したクリクリの目にいっぱい涙をためて、私に力いっぱい叫びます。「ママのばか!」と。 そんな時、私は冷静にも感心してしまうのです。本当 Continue reading
カテゴリー: エッセイ
「隣人としてのアジア」は平和のために行動する――2023年SIGNIS ASIA大会(タイ・バンコク)参加後記
倉田夏樹(立教大学日本学研究所研究員、南山宗教文化研究所非常勤研究員、 同志社大学一神教学際研究センター・リサーチフェロー、 明治学院大学キリスト教研究所協力研究員) たしかにアジアの人々の日本を見る目は厳しい。 しかし Continue reading
生きること その後
あき(横浜教区) 自分なりに自分の生き方の模索の経過をつづってきました。 今日ちょっと変わった変化が有ったのでお話ししようと思います。 人生後半を旅しているわたしにとって、「どのように生きるのか」は大事な命 Continue reading
日本に連れ去られたオタ・ジュリアの直筆の手紙が初めて公開される
カトリック東京大司教区で1970年から行われているジュリア祭という行事があります。 神津島での記念ミサを中心とするこの祭もすでに半世紀を経ています。文禄年間の朝鮮出兵の折、捕虜として連行されてきたこの女性、キリシタンとな Continue reading
やさしさ
あき(横浜教区) 前回、人には「こころ」が存在する。 それは、環境や他者との関わりあいの中に生まれるものであることをお話ししました。 今回は「やさしさ」がテーマです。 「やさしさ」 日頃「やさしい」という言 Continue reading
こころ
あき(横浜教区) 前回「いきること」というテーマでお話ししました。生物は「食べて」「寝て」「排泄」し、「子孫をもうける」。 生物としての進化は“そのうえで成立している”ということでした。 また「いつ死んでも悔いの無いよう Continue reading
いきること
あき(横浜教区) 今日お話しするのは、もしかしたらカトリックの信仰とは少し離れているのかもしれません。 70歳に近づき、生物としての終焉を迎えつつあるわたしにとって、「なんで生まれたのだろうか」「生きるとはどういうこと」 Continue reading
歴史探偵 半藤一利展
半藤一利という人を知っていますか? 文藝春秋社の編集者であり、自らを“歴史探偵”と称していた文筆家です。私が半藤一利氏にお目にかかったのは一度きりです。今は休会中ですが、編集者の勉強会「本の会」に講師としてお迎えした際で Continue reading
憩いの小箱(16)黒猫に癒しだけ求めた結果
Kato S Bumblebee(カトリック京都司教区) 海岸の緑地公園は 地域猫がいる猫スポットのひとつ ひさしぶりに猫を見にきた さっそく黒猫が近づいてきた しかし黒猫はベンチの影にちょっとだけ佇んで すぐに浜辺の草 Continue reading
憩いの小箱(15)第五福竜丸のその後
Kato S Bumblebee(カトリック京都司教区) 第五福竜丸は1954年3月に水爆実験に遭遇、被災した。 今では、ちょっと考えられないが、当時の文部省は学術研究のためとして、 この船を買い上げて、第五福竜丸は19 Continue reading