アート&バイブル 13:聖母子

ピーテル・パウル・ルーベンス『聖母子』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

今回、紹介する絵は、ルーベンス(Peter Paul Rubens, 生没年 1577~1640)の作品です。前回紹介したボッティチェリの「書物の聖母」と同じようなモチーフですが、ルーベンスが描くとボッティチェリの作品とは異なり、あくまでも明るい、そして温かみのある聖母子の絆となります。

ルーベンス(主に活躍したフランドルの言葉[オランダ語]ではリュベンス。ルーベンスはドイツ語読み)が生まれたのはドイツのジーゲンでした。両親はプロテスタントでしたが、カトリックに転会し、やがてルーベンスはカトリックとプロテスタントの両世界に認められる画家となります。また外交官としても働いた人物です。

彼の絵は生命力のある色使いが特徴で、幼子の肌の色は生き生きとしています。また彼は合作も多い画家で、人物をルーベンスが描き、その周りの風景や植物を他の画家が描くなど、現在では思いもよらない形の作品も多いのです。これも彼が社交性に富み、人から好かれる人柄であるがゆえに可能だったことなのです。

 

【鑑賞のポイント】

(1)体温が伝わってくるような幼子の体
幼子は全くの裸で、母の乳房に顔を寄せています。やわらかな幼子の体と母の乳房のやわらかさと温かさが感じられるほどです。幼子は一番、安心できるものに包まれて幸せそうにほほえんでいます。

ピーテル・パウル・ルーベンス『聖母子』(1624年、ベルリン美術館所蔵)

(2)聖書の頁をめくる聖母の手
母の胸に顔をうずめていた幼子が、母の手が何かをしていることにふと気がつきます。聖母の手はパラパラと音が聞こえるような様子で、聖書の頁をめくっています。「聖書のいろいろな箇所にあなたの事が書いてあるのよ」というような姿にも見えます。その聖書の各頁は美しく装飾されています。すなわち、今、この聖母子が立っている周りの風景と同じく、聖書の各頁の周辺には花や植物の絵が描かれているのです。聖母子のいる世界と聖書の世界がつながっているのです。聖書を開く時に、この世界にも花が開く(平和で豊かな世界が実現する)のです。

(3)聖母の表情に浮かぶほほえみ
ボッティチェリの聖母がどこか拭いきれない憂いを含んでいるのに対して、ルーベンスの描く聖母の表情には暗さがありません。ルーベンスが生きた時代も決して平穏ではなく、キリスト教世界もカトリックとプロテスタントが激しく争っていました。にもかかわらず、その両者を知るルーベンスは「同じ聖書を基礎としている信仰ですから必ずや和解し、一致することが出来るのです」と言わんばかりのメッセージを込めているように思います。

(4)聖書と同じ机の上におかれた果実
絵の右隅にはブドウやザクロ、リンゴのような果物が描かれています。マスカットのような緑色のブドウもあれば、巨峰のような濃い紫色のブドウもあります。色は異なっても同じブドウ、つまりカトリックもプロテスタントも同じことという意味が読み取れるのではないでしょうか。

 


ミサ曲5 栄光の賛歌Ⅰ

齋藤克弘

今年の教会の暦はちょうど4月1日が復活祭となりました。復活祭はキリストの復活を祝うキリスト教の最も大切で盛大なお祝いです。だれですか、4月1日はエイプリルフールだからキリストの復活も冗談だよなんて言っている方は。キリストの復活がなければキリスト教もキリスト教が育んできた文化も、いや、今、わたしたちが使っているさまざまな物事も生まれていなかったかもしれません。

復活祭の前の約40日間は四旬節と言って、復活祭徹夜祭でキリスト教に入信する人たちの最後の準備期間であると同時に、すでにキリストを信じる人たちはこの人たちとこころを合わせ祈りと節制に努める期間となっています。その四旬節の間、ミサ曲の中でも栄光の賛歌は基本的に歌われません。四旬節が明ける復活祭前の木曜日のミサから再び歌われるようになります。他にもキリスト教の暦では一年の初めに当たる待降節と呼ばれる、キリストの降誕を待つために準備をする期間にも栄光の賛歌は歌われません。

栄光の賛歌はミサ曲の中では信仰宣言に続いて長い歌詞となっています。この賛歌の冒頭のことばはキリストの降誕を羊飼いたちに告げた天使と天の大群のことばです。現在の日本語の訳では「天のいと高きところには神に栄光、地には善意の人に平和あれ」です。この冒頭のことばからミサでは最初、降誕祭(クリスマス)のミサで歌われていましたが、次第に先に挙げた季節以外の主日(日曜日)のミサでも歌われるようになっていきました。現在でも復活徹夜祭の祭儀では旧約聖書の朗読が終わった後に、唯一ともされている復活のろうそくから祭壇のろうそくに火が分けられた後、栄光の賛歌が歌われます。祭壇はキリストを示すシンボルの一つであり、祭壇のろうそくはキリストの光を象徴していますから、旧約聖書の朗読が終わった後、祭壇のろうそくに火がともされ、栄光の賛歌が歌われるのは、祭儀の進行上ではキリストの降誕を意味するものであることがよくわかります。

さて、この栄光の賛歌ももともとは司式する司教や司祭の先唱の後、会衆一同が

トリエント公会議

歌う父と子と聖霊に対する賛歌でしたが、あわれみの賛歌でも触れたように会衆にラテン語が理解できない時代になると、栄光の賛歌も他のミサ曲と同様に聖歌隊だけが歌うものとなり、比較的長い歌詞にも関わらず、トロープス(挿入句)も作られるようになりました。トリエント公会議によるトロープスの廃止によって、歌詞は元の通りシンプルなものになりましたが、時代が下って、楽器が多く用いられるようになってくると、歌だけではなく楽器の演奏も作曲の手腕を発揮するための手段となっていき、グレゴリオ聖歌のような単旋律の聖歌で平易に歌った場合に比べると、数倍の長さになるような曲がたくさんできてきます。聖歌隊やオーケストラが栄光の賛歌を数分間演奏する間、司式する司祭は演奏とは別に栄光の賛歌を一人で唱え、唱え終わると演奏が終わるまで席に座って待っていなければなりませんでした。他のミサ曲もそうですが、ミサ(典礼)の本来の流れとは別に、演奏が主体になっていたのです。

しかし、このようなミサ曲が演奏されたのは、比較的人数が多い教会や修道院、あるいは貴族や領主の礼拝堂でのことだったでしょう。片田舎の小さな村の教会ではこのようなミサ曲の演奏が毎日曜日行われていたと考えることは難しいと思われます。

現代の感覚から見るとおかしなものと思われる、ミサの流れを中断した演奏中心のミサ曲が数多く作られるようになったのは、前にもお話したように、トリエント公会議において「司祭が一人で有効にミサを奉げる」ことが重要視され、司祭以外はそれを妨げない限り何をしても問題がないと考えられるようになったからです。確かに、このような時代に多くの高名な作曲家により音楽的に素晴らしいミサ曲が数多く作曲されたのは、時代に必然であったかもしれませんが、その一方でそのような演奏中心のミサを問題視した教会関係者がいなかったのかという疑問も出てきます。音楽嫌いでモーツァルトといさかいになったザルツブルクのコロレド司教は音楽界では悪者扱いですが、見方を変えれば、ミサの流れを妨げるような演奏には疑問を呈していたと考えることもできるでしょう。

(典礼音楽研究家)


アート&バイブル 12:書物の聖母

サンドロ・ボッティチェリ『書物の聖母』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

2016年1月16日~4月3日、日伊国交樹立150周年記念企画として、ボッティチェリ展が東京都美術館で開催されました。そのポスターに掲載されていたのがこの「書物の聖母」でした。ボッティチェリ(Sandro Botticelli, 生没年 1544/45~1510)というと、宗教画になじみの薄い日本では、「ヴィーナスの誕生」(図1)や「プリマベーラ(春)」などギリシャ神話を題材とした、いかにも泰西名画的な作品が人気のようですが、この展覧会によって聖母を描く作品も新たに注目されたといえるかもしれません。

図1:サンドロ・ボッティチェッリ『ヴィーナスの誕生』(1483年頃、フィレンツェ、ウフィッツィ美術館)

ボッティチェリはフィリッポ・リッピ(Fra Filippo Lippi, 1406頃~1469)を師として絵を学び、それゆえリッピの描く甘美な聖母の表情、姿を引き継いでいます。当時、聖母を描く時の甘美さにおいて定評があったのはぺルジーノ(Perugino, 1445/50~1523)ですが、こちらの弟子にはラファエロ(Raffaello Sanzio, 1483~1520)がいます。ラファエロがマドンナの画家と呼ばれますが、ボッティチェリもラファエロに劣らぬマドンナの画家の一人です。

この絵は窓辺に聖母が腰をかけ、ひざに抱いた幼子イエスに聖書のことばを読み聞かせているという姿です。聖書のことばを読んでいる時、聖母は、ふとこの幼子はやがて全人類の救いのために犠牲として捧げられなければならないということに思いが至り、ことばが止まってしまった様子に気づいて、幼子が聖母を見上げて何かを語りかけているように見える作品です。

 

【鑑賞のポイント】

(1)聖母の光輪とベール
聖母の頭の背後にある光輪は金色で、繊細なレースのように描かれており、ボッティチェリらしい優雅さにあふれています。聖母の肩にかかるベールも半透明で、聖母の髪を半ば隠そうとしながらもその優美さは隠しきれない美しさとして描かれています。聖母のマントの肩には星の姿が描かれています。

サンドロ・ボッティチェリ『書物の聖母』(1483年、ミラノ、ボルディ・ベッツォーリ美術館所蔵)

(2)聖母の表情
この聖母の表情こそ、ボッティチェリの特徴、得意とするところです。ボッティチェリの描く聖母の顔には、かすかな憂いを含んでいます。しかし、それは恐怖や不安ではなく、あくまで憂いなのです。この幼子の過酷な運命、しかしそれが神の御心ならば、人間の目には悲劇的なものであろうとも、その先にあるものを信じようとする聖母の心の動きが憂いという表情の源となっているのです。

(3)聖母を見上げる幼子
聖母の声が止まってしまったことに気づいて、幼子が聖母の顔を見上げています。幼子の左手には三本の釘と茨の冠があります。この幼子が救い主として、その使命をどのように実現するかについて、イザヤ預言書の52章13節から53章12節にある「苦しむしもべの歌」(第四のしもべの歌)にイエスのメシアとしての自己理解が示されています。幼子は「お母様、心配なさらないで下さい。これらの苦しみを通してメシアは復活することになるのです。それによって御父は栄光をお受けになるのです」と語っているように見えるのです。

(4)聖母の手と幼子の手
聖書におかれた聖母の右の手と幼子の右手が重なっており、この聖母子の絆の深さがさりげなく、描かれています。その上には白と赤のバラの花も飾られています。

 


「ブランカとギター弾き」(日本カトリック映画賞授賞作)

2018年度の日本カトリック映画賞は、この作品『ブランカとギター弾き』に授与されることになった。

1年前の封切の時に、私はすでにこの作品を銀座の映画館で観ていて、その時は「おっ、なかいいじゃん」と思っていたのではあるが、いざ日本カトリック映画賞受賞となると、ちょっと意外な気がしたのである。断っておくが、それはけっして作品の出来不出来という観点でではなく、受賞対象としての条件面においてである。

まず、この映画のストーリーの舞台なのだが、日本ではなくフィリピンなのである。登場人物も全員フィリピン人であり、それを演じる俳優も当然のことながらみんなフィリピン人である。日本人は一人も出てこない。さらに加えてこの映画、制作国さえ日本ではない。なんとイタリアなのである。ジャパニーズなのは、長谷井宏紀監督(と脚本の大西健之氏)だけなのである。

また、カトリック国フィリピンが舞台であるにもかかわらず、シスターの姿がちょろっと映っているだけで、教会も神父も登場しない。スクリーン上に見出せるカトリック的なアイテムといえば、ブランカが首からぶら下げたロザリオくらいのものである。

こんなに不利な条件が揃っていながら、よくぞ難関を潜り抜け、「日本」「カトリック」映画賞を受賞することが出来たものだと、感心してしまう。

監督の長谷井氏だが、セルビアの巨匠エミール・クストリッツァ監督の主催する映画祭で、短編がグランプリを受賞したのをきっかけに映画を作るようになったそうで、本作品も、日本人として初めてヴェネツィア・ビエンナーレ&ヴェネツィア国際映画祭の全額出資を受けて制作された映画であり、ヴェネツィア、フリブール、カルカッタ、サンタンデール、シネジュヌ、テルアビブ、オリンピア、リムースキ、シネキッド、キノオデッサ、プロヴィデンス、キキーフの各国際映画祭で高い評価を得ている、きわめてインターナショナルな新人日本人監督なのである。

『ブランカとギター弾き』は、フィリピンの大都会マニラのスラム街を舞台に、段ボールハウスに暮らす孤児の少女ブランカと、盲目のギター弾きピーターとの関わりを描いた、ハートウォーミングなロードムービーである。孤独を抱えながらそれを表に出さない勝気な主人公ブランカは、スリを生業にしていたが、やがて母親を金で買うことを思いつき、偶然出会った路上のギター弾きピーターとともに旅に出る。見知らぬ街で、ピーターが勧めるままに歌をうたっていたブランカは、たまたま通りかかったレストランの支配人に認められ、仕事を得てお金を稼げるようになる。しかし幸運もつかの間、店の売上金を盗んだという濡れ衣を着せられ、追い出されてしまう。心ならずも少年窃盗団(かわいいものだが)に引き入れられ、泥棒稼業に戻ってしまったブランカに、さらに思いもよらぬ危険が迫ってくる。危うしブランカ! 急げピーター‼

…とまぁ、ストーリー展開には既視感がないわけではない。しかし、予定調和も本作では良い方に働いていると思われる。仮にそれを差し引いたとしても、マニラのスラムでスカウトされたピーターや子どもたち素人役者のキャラクターが抜群に素晴らしく、また愛おしく、生きることへの肯定感や人間の信頼性がスクリーンいっぱいに醸し出されていて、『日本昔ばなし』じゃないけれど、「人間ってい~な~」と再認識させる説得力に満ち溢れており、少なくともこの点においては、『ブランカとギター弾き』はきわめてキリスト教的な映画だと言えよう。

日本カトリック映画賞受賞もむべなるかな、なのである。

(伊藤淳、カトリック清瀬教会主任司祭)

日本カトリック映画賞の受賞式は2018年5月12日に東京・中野ZERO大ホールにて行われます。

チケットは聖イグナチオ教会案内所、スペースセントポール、サンパウロ書店、ドン・ボスコ社、天使の森で販売しています。
もしくは、SIGNIS JAPANのホームページからも申込みができます。
メールでのお申し込みは、info@signis-japan.orgまでお願いいたします。


『モリのいる場所』

「生きるよろこび」とはなにか

昭和49年。結婚52年目の画家とその妻の、夏の1日――これがこの映画の99分である。

熊谷守一という実在した人物を映画にする。映画にするからには、ドキュメンタリー映画でも劇映画でも、監督の人為的な創作が加わる。だから熊谷守一も監督の沖田修一という人間の眼で追うことになる。もちろん、演技者の守一役―山崎努、妻の秀子役―樹木希林の芝居にも付き合うわけである。この映画には、そうした魅力も含まれている。

築40年以上という家と木々に覆われた庭がモリカズの生活のすべてである。庭へ出て虫と戯れ、池の傍に座って魚を眺める。庭にはいくつか特定の座る場所が設けられている。蟻をじっと見つめ、その足の動きを凝視する。その真剣な眼差しは、まるで無邪気な幼子のようである。

モリカズは言う「草や虫や土や水がめの中のメダカやいろいろな物を見ながら回ると、毎日回ったって毎日様子は違いますから、そのたびに面白くて…」

モリカズの画風は、「モリカズ様式」と呼ばれ、明るい色彩と単純化された形を特徴としているが、この画風は戦後確立されていった。清貧の暮らしなかで、モリカズは絵を描き続けた。それをじっと支えたのが秀子だった。
夜、秀子はモリカズと碁を打ちながら「うちの子たちは早く死んじゃって」と呟く。これは希林のアドリブだと言う。5人の子どものうち、3人を赤貧で亡くしているから、単に、のほほんと人生を送ってきた夫婦ではないという背景を出したかったのだそうだ。

モリカズはいつも夜にアトリエ(画室)で絵を描く。碁を打ったあとで「…ほーら」って秀子が言うと、モリは「みんな、学校がなくていいな」とアトリエに入る。モリカズがアトリエに行くのは、学校に行くことなのだ。そのあと、秀子が肩をすぼめてフフフと笑う。このシーンがなんとも微笑ましい。

仙人のように生きるモリカズは、淡々として人生を達観していたのだろか。
「『いま何をしたいか、何が望みか』とよく聞かれますが、別に望みというようなものはありません。だがしいていえば、『いのち』で

豊島区立熊谷守一美術館

しょうか。もっと生きたいことは生きたい。みなさんにさよならするのはまだまだ、ごめん蒙りたい、と思っています」
自分が生きたい道を究める人間は、あくまで生きることに生々しい執着を持っている。モリカズは97歳まで、虚飾のない人生を全うした。

映画のなかでは喜劇タッチの場面もあり、超絶の人を親しみやすい身近な存在にしてみせる。沖田監督は劇映画としての熊谷守一を、沖田流の作法で観客を飽きさせることなく、エンディングまで引っ張っていく。そこに、「熊谷守一」が厳然として存在した。山崎努の抑えた演技も光る。劇映画として、守一と秀子という実在の人物を忘れがたいものにしてくれている。

「誰が相手にしてくれなくとも、石ころ1つとでも十分暮らせます。石ころをじっとながめているだけで、何日も暮らせますから。」と

いうモリカズの言葉が忘れられなくて、この映画を観たあとで、初夏の陽気のある日、ぼくは熊谷守一に会いたくなって豊島区にある「熊谷守一美術館」に行った。ここには確かにモリカズが居て、「生きるよろこび」についてぼくに問いかけていたのだった。

(鵜飼清、評論家)

©2017「モリのいる場所」製作委員会

5月19日(土)シネスイッチ銀座、ユーロスペース、シネ・リーブル池袋、イオンシネマほか全国ロードショー

監督 /脚本:沖田修一
出演:山﨑努、樹木希林
加瀬亮 吉村界人 光石研 青木崇高 吹越満 池谷のぶえ きたろう 林与一 三上博史
2018年/日本/99分/ビスタサイズ/5.1ch/カラー

配給:日活
製作:日活 バンダイビジュアル イオンエンターテイメント ベンチャーバンク 朝日新聞社 ダブ

公式ホームページ:mori-movie.com
twitter @mori_movie
facebook @morimovie2017


アート&バイブル 11:聖母マリアの少女時代

フランシスコ・デ・スルバラン『聖母マリアの少女時代』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

この絵の作者はフランシスコ・デ・スルバラン(Francisco de Zurbarán, 生没年 1598~1664)です。スペインで活躍した画家の中で、特に宗教画という世界では、エル・グレコ、スルバラン、ムリーリョの三人の名が思い浮かびます。

図1:フランシスコ・デ・スルバラン『神の子羊』(1635~40年頃、プラド美術館所蔵)

スルバランをスペインのカラヴァッジョと呼ぶ人々もいるようです。確かに光と影のコントラストという点ではカラヴァッジョに通じるものがあるかもしれませんが、私はむしろスルバランは「修道者の画家」という呼び名の方がふさわしいと思います。スルバランの絵はリアリズムに満ちており(図1)、その点ではカラヴァッジョと共通するポイントがありますが、カラヴァッジョのような激情をそのままぶつけるのではなく、むしろ内面の情熱を抑え、静謐さによって包まれている魂の姿というものを感じるのです。

スルバランの代表作として1628年に発注されたメルセス会の創立者聖ペトロ(ペドロ)・ノラスコの生涯を描いた連作があります。この作品以後、1630年代にはセビリアを中心に活動しており、1634年にはマドリードのブエンレティーロ宮の「諸王国の間」の装飾という大きな仕事を引き受けています。1638~39年にはグアダルーペ修道院聖具室(香部屋)の装飾にも携わり、スルバランの画業は全盛期を迎えたのです。

しかし1640年代になると彼の人気は急速に衰えます。セビリアの町自体が衰退し、かつペストの流行もありました。加えて、甘美で優雅なマリア様を描いたムリーリョ(スペインのラファエロと呼ばれた)の声望と人気が高まっており、スルバランは、1658年にセビリアを去り、ベラスケスを頼りマドリードに向かい、同地で没します。

 

【鑑賞のポイント】

フランシスコ・デ・スルバラン『聖母マリアの少女時代』(1660年頃、エルミタージュ美術館所蔵)

(1)黒髪の少女として:聖母マリアはいろいろな画家によって描かれていますが、ルネッサンス期のイタリアでは、聖母の髪が金色で描かれていることが多いようです。これは理想化された女性の姿、また金色の意味する輝きが聖母にふさわしいと考えられたからでしょう。しかし、スペインの画家たちは、多くの場合、聖母の髪色を黒や亜麻色で描いています。これはそれぞれの国の女性たちの姿で聖母が描かれるという聖母ならではの特徴だと思います。

(2)女のまなざしと口元の表情:裁縫あるいは刺繍をしていた時、ふと気がつくと神様の姿、あるいは神様の呼びかける声が聞こえてきたのでしょうか、少女マリアは目を天に上げて、何かを見つめています。その表情には驚きや不安などの影はなく、純心なまなざしは幼子のようでもあり、それでいてしっかりとした大人の女性のような落ち着きがあります。口元は今にも開き、神様への賛美のことばを唱える様にも見え、また神様のことばをしっかりと味わうためにむやみに口を開こうとはしない、つつしみのある姿とも見えます。顔だけを見ると大人にも劣らぬ落ち着きを感じますが、体つきはまだ少女の小さな体です。

(3)親指を重ねた手の表情:思わず親指を重ねて手を合わせていますが、これはカトリック教会の祈りの時の姿勢であり、こちらに向けられた親指は力強さが感じられます。布の白と緑もそれぞれ、白は少女マリアの純真無垢な心を表し、クッションの緑は、若々しさや楽園を象徴する色に思えます。

 


タクシー運転手−−約束は海を越えて

光州事件をご存じでしょうか。1980年5月 18日から 10日間、韓国の全羅南道、光州(クアンジュ)市で起こった学生・市民による暴動事件です。 1979年 10月 26日朴正煕(パク・チョンヒ)が暗殺されてから、韓国国内で民主化要求の動きが活発化していきます。 12月 12日の「粛軍クーデター」で権力を握った全斗煥(チョン・ドファン )少将を中心とする若手将軍グループが1980年5月 17日に戒厳令の全国拡大を宣布し、金大中(キム・デジュン)ら 与野党の大物政治家を逮捕するなどして民主化の動きに歯止めをかけようとしました。その直後光州市で起こった街頭デモが戒厳軍部隊と衝突し、戒厳軍部隊の手荒な対応もあって激昂した市民の一部は武器を手に対抗したことによって、市内で銃撃戦が行なわれ、多数の死傷者が出たという事件です。

当時日本ではほとんど報道されていなかったので、ご存じない方も多いかもしれません。かくいう私も韓国で戒厳令が敷かれているという記憶はあっても、ほとんど覚えていない状況です。今回ご紹介する映画はこの光州事件を追ったドイツ人記者ユルゲン・ヒンツペーターの活動を追った「タクシー運転手−−約束は海を越えて」です。

1980年5月、11歳の娘を男手一つで育てているタクシー運転手キム・マンソプ(ソン・ガンホ)は、ソウルで、学生のデモに出会い、「何のために大学に行っているのか」と文句を言っています。人がよく、稼ぎの少ない運転手は家賃をため、大家である会社の上司の妻から嫌みを言われる始末です。

東京の外国人記者クラブ近くのレストランでドイツの公営放送のアジア特派員ユルゲン・ヒンツペーター(通称ピーター、トーマス・クレッチマン)は、韓国の光州に入った記者と連絡が取れなくなっていることを知り、記者の身分を隠し、韓国のソウルに行きます。

ある日、マンソプはその上司に家賃を払うために借金を申し込んでいる最中、ドイツ人記者が光州に往復することで10万ウォンの報酬を得られるという話を聞き込み、仲間を出し抜いて待ち合わせ場所に行きます。

サウジアラビアの建築現場で覚えたという貧弱な英語で必死に話しかけますが、ピーターは迷惑顔です。何としても報酬がほしいマンソプは、機転を利かせ何とか光州に辿り着きます。そこには壮絶な現場が待っていました。「危険だから戻ろう」というマンソプの言葉には耳を貸さず、ピーターは、大学生のジェシク(リュ・ジュンヨル)とタクシー運転手ファン・テスル(ユ・ヘジン)の助けを借りて撮影を始めます。しかし、状況は悪化するばかりです。マンソプは、ソウルにいる娘のことが気にかかり、連絡を取ろうとしますが、光州は、電話も遮断されている状況です。

ここからは映画を観て下さい。ジェシクやファンの運命は。無事に二人はソウルに戻れるのか。実際に起こった事件と、後にドキュメンタリー『岐路に立った大韓民国』という番組を発表したユルゲン・ヒンツペーターの作品を基に描かれたこの作品は、戒厳令下の非常な状況を如実に表しています。そして、ピーターとマンソプの関係も言葉を超えたものになっています。本当に起こった事件を忠実に再現し、軍部の非常な行為に恐怖さえ感じるものになっています。政治が強権を振るう恐ろしさを感じるほどです。

中村恵里香(ライター)

■2018年4月21日(土) シネマート新宿ほか全国ロードショー
公式ホームページ http://klockworx-asia.com/taxi-driver/
監督:チャン・フン
出演:ソン・ガンホ、トーマス・クレッチマン、ユ・ヘジン、リュ・ジュンヨル

2017年/韓国/137分/原題:택시운전사/配給:クロックワークス/提供:クロックワークス・博報堂DYミュージック&ピクチャーズ
配給:クロックワークス

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アート&バイブル 10:復活したキリストの聖母への出現

グエルチーノ『復活したキリストの聖母への出現』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

図1:グエルチーノ『聖ペトロニラの埋葬(聖ペトロニラの祭壇画)』(1623年、ローマ、カピトリーノ美術館所蔵)

イタリアのバロック画家、グエルチーノ(Guercino, 生没年 1591~1666)を紹介したいと思います。ゲーテは「彼の筆の軽妙さ、清純さ、円熟さはただ驚嘆のほかはない」と絶賛し、スタンダールは「最後の大画家」と讃えています。2015年に国立西洋美術館で展覧会が行われましたが、それが日本でグエルチーノの作品が紹介された初めてのことでした。グイド・レーニ(Guido Reni, 1575~1642)とともにイタリアン・バロックの双璧と称されていますが、これまであまり知られていないことも事実です。

グエルチーノという名はこの時代の画家たちによくあるように通称で、本名はジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ(Giovanni Francesco Barbieri)です。グエルチーノとは「やぶにらみ」という意味で、彼が斜視であったことからつけられたあだ名です。グエルチーノはボローニャとフェラーラの間にあるチェントという村(現在は市ですが)に生まれ、17歳でボローニャ派の画家に弟子入りしました。カラヴァッジョ(Caravaggio, 1571頃~1610)やカラッチ一族によって扉を開けられたバロック美術を発展させるという功績をあげました。

彼自身も認めているように初期のスタイルはアンニバーレ・カラッチ(Annibale Carracci, 1560~1609)の影響を受けていますが、後期の作品には彼のライバルとも言われているグイド・レーニの作風に近づいてゆき、より明るく明瞭な絵を描くようになりました。彼はスケッチの点でも超一流で、かつ仕事が早いことでも有名でした。1621年から1623年まで、ボローニャ出身の教皇グレゴリウス15世(在位年 1621~1623)に招かれ、ローマの宮殿や教会に多くの作品を描きました。彼の最高傑作は『聖ペトロニラの埋葬(聖ペトロニラの祭壇画)』(図1)と言われています。

 

図2:グエルチーノ『復活したキリストの聖母への出現』(1628~30年頃、イタリア、チェント市立絵画館所蔵)

【鑑賞のポイント】

『復活したキリストの聖母マリアへの出現』(図2)は、聖書には書かれていない伝承に基づいたエピソードをモチーフにしています。聖書には、墓の近くでマグダラのマリアに姿を見せたこと、ユダヤ人を恐れ、鍵をかけて閉じこもっていた弟子たちに姿を現したことなどが記されています。しかし、復活の朝、キリストは最初に、誰よりもキリストを愛し、また誰よりもキリストを理解し、誰よりもキリストを信じていた聖母マリアにこそ出現したという言い伝えもあるのです。

 


女は二度決断する

世界中でテロと思われる殺戮が止まりません。一方で、日本では移民や難民がなかなか認められないという事実があります。日本では、テロが身近に感じることはありませんが、でも、もし自分の身近な人間、ましてや愛する家族をテロで失ったらどうするか。そんなことを考えさせられる映画に出会いました。その映画のタイトルは『女は二度決断する』です。

舞台はドイツ、ハンブルグです。生粋のドイツ人カティア( ダイアン・クルーガー)は、トルコ系移民ヌーリ(ヌーマン・アチャル)と学生時代に出会いました。ヌーリは、麻薬の売買で収監されますが、2人は強く結ばれ、獄中結婚します。出所後、在住外国人相手にコンサルタント会社を始めます。愛する息子ロッコ(ラファエル・サンタナ)にも恵まれ、幸せな日々を送っていました。

ある日、妊娠中の友人ビルギット(サミア・ムリエル・シャンクラン)とスパに行くため、ロッコをヌーリの事務所に預けます。夕方事務所に戻ってみると、周辺にパトカーが止まり、入れない状況になっています。爆発事故があったと知り、駆け出し、事務所の前に行くと、瓦礫の山になっていて、二人の姿はどこにもありません。自宅に戻り、待っていると、DNA検査を終えた捜査官が二人の死を知らせます。レーツ警部(ヘニング・ペカー)からヌーリについての質問を受けることになります。その質問はまるで容疑者への尋問のようです。その途中、出がけに事務所の前に自転車を止めていた女性が鍵をかけずに行こうとするので、鍵をかけるように注意したことを思い出します。

翌朝のニュースは被害者であるはずのヌーリの前科を持ち出し、まるでヌーリに非があったようなものばかりです。封鎖された現場に出向くと、事務所の壁は、木々爆弾による傷だらけで、血痕が残っています。家族を守れなかったことに苦しみ、カティアは手首を切り自殺を図ります。意識が遠のく中、電話が鳴り、「犯人がつかまった。ネオナチだった」と告げられます。

裁判が始まります。絶対法の裁きを受けさせると決意し、カティアは裁判に臨みます。容疑者はネオナチの夫婦、エダ・メラー(ハンナ・ヒルスドルフ)とアンドレ・メラー(ウルリッヒ・ブラントホフ)です。アンドレ・メラーの父親ユルゲン・メラー(ウルリッヒ・トゥクール)は「息子はヒトラーの崇拝者です。卑劣なことをしました」と証言しますが、押収したものからは、容疑者以外の指紋が見つかり、彼らの犯罪は確定できません。さらに当日、容疑者のアリバイを証言するものも現れます。カティアが証言する日がきます。自転車を置く女は容疑者であることを証言しますが、容疑者の弁護士は、ヌーリの前科などを執拗に責め立て、「証言や予約台帳が示す通り、事件当日、ギリシャにいた。薬物の影響下にあった人の証言は信じることはできません」といわれてしまいます。

判決の日。被告人は無罪となります。納得のできないカティアは、容疑者を追ってギリシャに向かいます。

ここからは観てのお楽しみです。容疑者に何をしようとするのか。そして最後の結末には衝撃的です。

この映画の原題は、“IN THE FADE”です。ここに映画の意味するところがあります。そして日本語タイトルの「二度決断する」とは何かもカティアの動きに意味があります。

この映画を観て身内が無残にもテロによって殺されたとき、ただ悲しむだけではない女性の強さがうかがい知れます。実際にドイツで起きたネオナチによる連続殺人事件を基に描かれたこの映画は、民族とは何か、愛するとは、そして愛する家族を失った悲しみとそれに立ち向かう勇気が描かれています。

(中村恵里香、ライター)

 

2018414日よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、YEBIS GARDEN CINEMAほか全国ロードショー

監督・脚本:ファティ・アキン/共同脚本:ハーク・ボーム/撮影:ライナー・クラウスマン

キャスト:ダイアン・クルーガー、デニス・モシット、ヨハネス・クリシュ、ムリエル・シャクランほか

製作国:ドイツ/製作年:2017年/106

協力:ゲーテ・インスティトゥート、東京ドイツ文化センター

後援:ドイツ連邦共和国大使館

配給:ビターズ・エンド


ワンダーストラック

自分の知らない過去の意外な出来事が現代の自分に大きく関わるということは、往々にしてあるような気がします。そんなことを考えさせられる映画に出会いました。今回ご紹介する映画は、「ワンダーストラック」です。ワンダーストラックとは、「驚きと幸せの一撃」という意味だそうですが、まさに驚きと幸せが一撃となって生まれくる映画です。

この物語は、1977年と1927年の物語が交差しています。1927年は、モノクロで、1977年はカラーで描かれています。

1977年、アメリカのミネソタ州ガンフリント、12歳の少年ベン(オークス・フェグリー)は、

PHOTO : Mary Cybulski

母エレイン(ミシェル・ウィリアムズ)を交通事故で失い、伯母家族とともに暮らしています。父親は誰かを尋ねても、「いつか話すから」と語ろうとしていませんでした。ある嵐の夜、母の家に密かに戻り、「ワンダーストラック」というニューヨークの自然史博物館の本を見つけます。その本にキンケイド書店のしおりが挟まれており、「愛を込めて、ダニー」と記されていました。このダニーが父親だと感じ、書店に電話を使用としたところ、電話に雷が落ちます。病院で意識を取り戻したベンは耳が聞こえなくなってしまいます。何としても父親を探し出したいベンは、病院を抜け出し、ニューヨークに向かいます。

なんとかキンケイド書店に辿り着きますが、店は閉店。途方にくれていたベンに声をかけてきた少年ジェイミー(ジェイデン・マイケル)の後について行き、自然史博物館に辿り着きます。

1927年、ニュージャージー州ホーボーケンに生まれたときから耳の聞こえない少女ローズ(ミ

PHOTO : Mary Cybulski

リセント・シモンズ)は、大きな屋敷に厳格で支配的な父親と使用人たちと暮らしています。父とは心が通わず、彼女の心のよりどころは、女優リリアン・メイヒュー(ジュリアン・ムーア)の映画を観て、彼女の記事を集めることでした。

ある日、リリアンがニューヨークの舞台に出演することを知ったローズは、1人で船に乗り、彼女に会いに行きます。彼女の兄ウォルター(コーリー・マイケル・スミス)が自然史博物館で働いていることも彼女に決心をうながさせる一因でした。ローズは、リリアンが出演するプロムナード劇場を探し当て、稽古中のリリアンを見つけます。

一方、自然史博物館に辿り着いたベンは、そこで父親が働くジェイミーに、立ち入り禁止の資料室へと導かれます。そこで、母と“ダニー”の出会いにまつわる書類を見つけます。

ここから話はいろいろ展開していきますが、ここからは観てのお楽しみです。ベンとローズの関係は、自然史博物館にあった書類の中身は、ローズとリリアンの関係は、さまざまな物語が交差して、現代に結びつきます。自然史博物館を舞台にして、辿り着いた先にあるのは、まさに驚きと幸せの一撃です。なぜ2つの時代を交差させながら、物語を展開した作品に仕上げたのかも、最後まで見ていただければ納得できます。

この映画では、耳の聞こえないローズの世界は、モノクロで、音のない世界です。ローズの世界がまざまざと迫ってきます。一方、急に耳が聞こえなくなった現代のベンの世界は、音があり、色とりどりの世界です。

また、時代風俗をよく表している作品です。2人の子供が自分の世界を見つけていく奇想天外な物語は、ミステリー仕立てになっていて、心打たれることうけあいです。

(中村恵里香、ライター)

 

2018年4月6日(金)より角川シネマ有楽町、新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ渋谷他全国ロードショー

公式サイト:http://wonderstruck-movie.jp

監督:トッド・ヘインズ/脚本・原作:ブライアン・セルズニック/製作:クリスティン・バション、パメラ・コフラー、ジョン・スロス/エグゼクティブ・プロデューサー:ブライアン・ベル、サンディ・パウエル/撮影:エドワード・ラックマン/編集:アフォンソ・ゴンサウヴェス/美術:マーク・フリードバーグ/音楽:カーター・バーウェル/衣装:サンディ・パウエル

キャスト:オークス・フェグリー、ジュリアン・ムーア、ミシェル・ウィリアムズ、ミリセント・シモンズ

2017年/アメリカ/英語/117分/配給:KADOKAWA/原題:Wonderstruck