アート&バイブル 18:聖母の前で涙する聖ペトロ

グエルチーノ『聖母の前で涙する聖ペトロ』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

バロック絵画は16世紀から18世紀半ばまで続いた潮流です。バロック美術、絵画は絶対王政やカトリック改革、カトリック復興と深い関係があります。プロテスタントの人々が行き過ぎた聖人崇拝や偶像崇拝にもつながることとして絵画や彫刻などを疑問視したのに対して、カトリックは聖像や聖画を盛んに用いて教化に役立てようと考えて、積極的に作品を描かせました。ルネサンス美術で称賛された冷徹な理性ではなく、一瞬の感情や情熱の表現を追求するものとなりました。

イタリアではカラヴァッジョ、オランダではレンブラントやフェルメール、フランドルのルーベンス、スペインのベラスケス、フランスのプッサンなど、ヨーロッパの各地で様々な画家が活動し、現代に至るまで大きな影響を与えています。バロックという言葉はもともと、やや侮蔑的な意味合いで使われていました。それは作品の強調的な表現があまりにも行き過ぎており、“品位に欠けた、いびつなもの”という意味合いで、「ゆがんだ真珠」を意味するバロックという言葉で揶揄されたのです。

しかし、グエルチーノ(Guercino, 1591~1666. 「アート&バイブル」10参照)のこの作品には、そのような強烈すぎる表現という指摘は当てはまらないように思います。彼はカラヴァッジョやカラッチ一族によって始まった激しすぎるバロックを、やがてアカデミックな画法へと発展させたのです。ローマへ招かれたことにより、古典的な美術にも触れ、調和した美というものにも足場を置いた作品を生み出しています。

 

【鑑賞のポイント】

「アート&バイブル」10で紹介した『復活したキリストの聖母への出現』と同様、この『聖母の前で涙する聖ペトロ』も聖書には記述のない伝承に基づくものです。イエスのなきがらを十字架上から降ろし、大安息日の前日だったので急いで葬り、まだ誰も葬ったことのない新しい墓、“新しい園”に納め、十字架のもとにいた人々はそれらすべてを見届けて家に帰りました(ヨハネ19・38~42、ルカ23・50~56参照)。

グエルチーノ『聖母の前で涙する聖ペトロ』(1647年、油彩、122cm×159cm、パリ、ルーブル美術館所蔵)

聖母マリアは十字架の下で「これがあなたの息子です」「これがあなたの母です」と語られたことにより、ヨハネとともに家(宿)に戻ったことが想像されます。大祭司の庭で、しもべや女中たちから、「あなたもあの人の仲間でしょう?」と問われ、逃げ出したペトロもきっと遠くから、ゴルゴタの十字架を眺めていたことでしょう。しかし、恐ろしさのあまり、十字架のもとにまでは近づくことができませんでした。

やがて、夕暮れとなり、家に戻ったマリアのもとにペトロがやって来ました。「すみません。ごめんなさい。先生をむざむざと殺させてしまいました。剣を振るってでも守ろうとはしたのですが、先生がやめなさいと言われて、何が何だかわからなくなって、気がついたら逃げ出していました。ふがいない私を赦してください……」と、ペトロは涙ながらに語っている様子が伝わってくるような作品です。

マリアはやがて、「ペトロさん、そんなに悲しまないでください。あのお方はいつも言っておられました。救い主はこうして十字架を引き受けなければならないと、そして三日目に復活すると」と語り、ペトロを励ましたのです。

 


ミサ曲8 感謝の賛歌Ⅱ

齋藤克弘

 ピオ10世が発布した典礼音楽に関する自発教書によって、感謝の賛歌も本来の歌い方をするように改められました。感謝の賛歌は本来、奉献文の最初に司祭が救いの歴史を奏でる叙唱の結びに、共同体全体が神の前で神をたたえて歌う「すべての天使と聖人とともに」歌う賛歌です。叙唱の結びでは必ず「歌います」とか「感謝の賛歌をささげます」など、次に来る感謝の賛歌を「歌う」ということが言われていますから、感謝の賛歌は歌うことが基本というより、歌ってなんぼのものです。変なたとえになりますが、のど自慢の大会で、あるいはカラオケで前奏の後、歌詞を歌わないで読み上げる人はいないと思います。ここまでできるのはかなりの変人?かよっぽどの天邪鬼(あまのじゃく)でしょう。感謝の賛歌も歌ってなんぼのものですから、歌わないのは本当はおかしなことなのですが。

感謝の賛歌を歌うときに気を付けてほしいことが一つあります。どういうことかというと、この地上に生きているわたしたちは、感謝の賛歌を歌う第一の主体ではない、わたしたちが歌い手の主体ではないということです。こういう風に書くと、何をおっしゃるウサギさんと言われそうですが、これも叙唱の結びのことばを見れば明らかです。

「天使と大天使は神の威光をたたえ、わたしたちも声を合わせて賛美の歌をささげます。」(三位一体)
「数知れない天使は昼も夜もあなたに仕え、栄光を仰ぎ見て絶え間なくほめたたえます。わたしたちはこれに声を合わせ すべての造られたものもともに、あなたをたたえて歌います。」(年間週日六)
「あなたの恵みをたたえる天使、聖人とともに、わたしたちも感謝の賛歌をささげます。」(結婚式二)

三つの叙唱の結びのことばを列挙しましたが、ごらんになってわかるように、感謝の賛歌は天のエルサレムにおいて神の前で神をたたえて歌っている天使(や聖人)の歌に合わせて歌うものなのです。天使や聖人は時間も空間も超越した神の国において神をたたえることができますが、時間と空間に制約されて生きるわたしたちは、生まれてから召されるまで感謝の賛歌を歌うことは残念ながら不可能です。時間と空間を超越した神の国を前もって体験することができるミサの中で、天使と聖人の歌声にこころと声を合わせて歌うのが感謝の賛歌なのです。

さて、ミサに参加している皆さん、ちょっと振り返ってみましょう。いかがでしょうか、ミサで感謝の賛歌を歌っているとき、天使や聖人と一緒に歌っていると感じているでしょうか。もっと、踏み込んで言うと、感謝の賛歌を歌っているときに皆さんのとなりで天使や聖人が一緒に歌っていると感じられるでしょうか。感謝の賛歌とはそういう賛歌なのです。もし、天使や聖人を身近に、というより、一緒に歌っていると感じられたなら、どれだけ素晴らしいことでしょうか。それはもう、すでに、時間と空間を超えて神の国の宴を体験していると言っても過言ではないからです。

このような感謝の賛歌の本質を考えると、ミサに集う人々の声が、天上の天使や聖人はもちろん、すべての造られたものの声とともに神の栄光をたたえる歌声となって、時間と空間を超えた賛美の歌となるものなのです。こころのそこから、全身全霊を使った歌声となるように、そして、声の一致が心の一致を表すものとなるように、声を合わせて歌うことが大切なことなのです。

そして初めにも言いましたが、本来歌うものなのですから、やっぱり歌うことが始めの一歩なんですよね。

(典礼音楽研究家)


アート&バイブル 17:盲人を癒すキリスト

エル・グレコ『盲人を癒すキリスト』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

エル・グレコ(El Greco, 生没年1541~1614)は、クレタ島に生まれたギリシャ人で、イコン画家として出発しますが、26歳頃イタリアへ渡り、ヴェネツィアにおいて当時最高の画家であったティツィアーノ(Tiziano Vecellio, 1490頃~1576)に師事し、イタリア的な明朗な絵画を学びます。3年後にはローマへ移り、ファルネーゼ枢機卿の知己を得ますが、ローマで彼の作品が大きく評価されることはなく、10年に及んだイタリアでの生活を離れ、トレドへと赴き、その地でついに彼は不朽の名作を描くことになります。今回はイタリアでの修業時代の作品を紹介してみたいと思います。

この作品は「盲人を癒すキリスト」がモチーフとなっていますが、この時代はプロテスタントに対する対抗宗教改革の時代であり、霊的な啓発や啓示の象徴とも解釈されます。

 

【鑑賞のポイント】

(1)中心に描かれたキリストと盲人の姿
ひざまずいている盲人の片手にはまだ杖があります。もう片方の手はイエスの左手にすがっています。イエスは右手の親指と人差し指で彼のまぶたを開けようとするしぐさをしています。失われた彼の目に再び光を与え、見える力を回復させようとしているのです。(マルコ8:22~26参照)

エル・グレコ『盲人を癒すキリスト』(1571~72年、パルマ、国立絵画館所蔵)

(2)イエスの右側に立っている人々
このグループの人々をさえぎるように一人の人物が上半身裸体の姿で背を向けて立っています。その人は左手を差し伸べて天を示しています。洗礼者ヨハネの暗示と考えれば、今、イエスは天の御父のみ旨、御心、力を表していることを宣言しているかのようです。この人物群の中に16世紀当時の衣服を着て、こちらを見ている3人の人物が描かれています。この絵の注文主の姿を描いたものかもしれません。

(3)イエスの左側に立っている人々
左側には弟子たちのような人物たちが描かれています。イエスに一番近いところにいる人物は禿頭と白い髭でペトロを表しているのかもしれません。この左側のグループの前にも一人背を向けている人物が描かれています。この人はイエスの奇跡を見せないようにと妨げているのか、それとも反対に「見よ、この人のなさっていることを!」と叫んでいるようにも見えます。

(4)背景に描かれた建物とイエスと人々の間に描かれた小さな人物たち
この奇跡の物語は戸外を舞台としています。イエスの右側に立っている人々に一番近い手前に描かれている建物は古代建築の神殿のように見えます。その後ろにあるのは16世紀の建築物の書物に登場するような当時の最新の建築物です。そして遠景には古代の浴場のような建物が見えます。古代と現代が入り交じる様子は、ローマの町の風景を思わせます。私が興味を覚えるのは、イエスと左側の人物たちの間に座り込んで顔を突き合わせて話し会っているかのように見える老人と青年の姿です。伝統と新しさの調和が大切という象徴かもしれません。

 


ミサ曲7 感謝の賛歌

齋藤克弘

通作ミサ(ミサ曲を一人の作曲家が全部作曲すること)の場合、栄光の賛歌の次は信仰宣言なのですが、信仰宣言はほかのミサ曲と異なり、内容が賛歌ではなく信仰告白となっていますので、このシリーズでは最後に触れることにして、今回は感謝の賛歌について書いてゆくことにします。

感謝の賛歌はミサ曲の中では唯一、旧約聖書をテキストとしています。ところで聖書という言い方のほかに、旧約聖書と新約聖書という呼び方があるのは皆さんご存じのことと思いますが、どのような違いがあるか、この「陽だまりの丘」の読者の皆さんは知っておられることは思いますが、一応触れたいと思います。聖書というのはもともとユダヤ教の経典で、律法の書(モーセ五書)・預言書・諸書からなっていて、キリスト教で新約聖書が編纂された後にこれらを旧約聖書と呼ぶようになりました。新約聖書はキリスト教だけのもので、イエスの生涯の事績を書き記した福音書とイエスの弟子たちの活動を記録した使徒言行録、使徒たちが各地の教会にあてた手紙、そして神の国が完成するときの様子を預言した黙示録からなっています。ですから、ユダヤ教では今でも律法の書・預言書・諸書からなる聖書が聖典であり、新約聖書は聖書とは認めていません。キリスト教の場合には聖書のうち、ユダヤ教から受け継いだものを旧約聖書、イエスの事績を記した以降のものを新約聖書と呼び、その両方を合わせて聖書と名付けています。

さて、本題へ戻りましょう。感謝の賛歌の冒頭のことばは、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は天地に満つ」という預言者イザヤが幻で見た玉座におられる主に使えるケルビム(天使)が主をたたえる賛美のことばから始まります。「聖なる」の3回の繰り返しはヘブライ語で神の聖性を最大限表現する表現方法です。「万軍」ということばは、この時代には一般に天の星を指したようですが、ここでは神のそばで仕えるものをこのように呼んでいます。現代的な「軍隊」とは意味合いが違うので、そこのところは注意が必要ですね。

続く歌詞「天の意と高きところにホザンナ」。「ホザンナ」は受難の前にイエスがエルサレムに入城したときにそれを迎えた会衆の歓呼の叫びですが、もともとは「救いをわたしたちに」というヘブライ語の「ホシアナ」ということばが転訛したものです。この「ホザンナ」は「アーメン」、「ハレルヤ(アレルヤ)」とともに、現代でもキリスト教の教会の中でヘブライ語のまま残っている由緒正しいことばです。ここまでは、旧約聖書のことばが多く使われており、感謝の賛歌の前半は、もともとユダヤ教が起源ではないかとも言われていますが、はっきりした起源については特定ができないようです。

ユダヤ教が起源ではないかと言われている感謝の賛歌、中東などの東方の教会から西方の教会に伝えられたことは間違いがないようですが、最初のころは、1回目の「天のいと高きところにホザンナ」までだったようです。その後の「ほむべきかな主の名によりて来たるもの」は西方の教会でテキストが加えられ、今度は東方の教会へ逆輸入されたと言われています。

この感謝の賛歌も他のミサ曲と同じように、挿入句を入れたトロープスや複数の旋律を歌うモテットでは元来の歌詞以外のテキストが歌われるようになっていきました。そして本来は奉献文という最も中心的な祈りの中で、司祭も参加する会衆も声を合わせて神の栄光をたたえる歌なのですが、次第に聖歌隊だけが歌うようになっていきます。

トリエント公会議の後、トロープスや複数の歌詞を歌うモテットは、他のミサ曲と同じように禁止されますが、新たな問題が出てきました。それは、これまでにも触れたように、司式する司祭と会衆や聖歌隊が同じ場所にいても、祈りを共有していなかったことから、司式司祭が沈黙のうちに奉献文の冒頭の祈りである叙唱(第二バチカン公会議以前は序唱と表記)を唱え始めると、聖歌隊や楽団が感謝の賛歌の前半を演奏し始め、演奏が終わると司式司祭は聖別のことばをやはり沈黙で唱えて、キリストの体となったパンとキリストの血になったぶどう酒が入ったカリス(盃)を背中のほうにいる会衆に見えるように高く上げ(この動作をエレベーションと言います)ました。この司祭のエレベーションが終わると司祭は奉献文の後半をやはり沈黙のうちに唱え、聖歌隊と楽団は感謝の賛歌の後半を演奏したのです。この時代の感謝の賛歌のタイトルはただ、Sanctus ではなくほとんどの場合、Sanctus-Benedictus となっていますが、それはこのような演奏をしたからです。今のミサでは考えられませんが、規則の行き過ぎた解釈がこのような演奏やそのための作曲を促したという例なのです。

(典礼音楽研究家)


アート&バイブル 16:洗礼者ヨハネの命名

ドメニコ・ギルランダイオ『洗礼者ヨハネの命名』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

今回は、初期ルネサンス時代に活躍したドメニコ・ギルランダイオ(Domenico Ghirlandaio, 生没年 1449~94)の作品を紹介したいと思います。ギルランダイオの名前は通称であり、一種のあだ名です。彼の父親も画家であり、また彫金家として、父の作る「花飾り=ギルランダイオ」が有名だったので、ドメニコもギルランダイオと呼ばれるようになりました。

ギルランダイオは、ミケランジェロの最初の先生として知られていますが、盛期ルネッサンスの三大巨匠、ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロに比べると日本ではあまり知られていない画家かもしれません。しかし当時は大変人気がありました。その証拠として、システィナ礼拝堂の壁画にギルランダイオの「モーセの生涯」と「キリストの生涯」が対になって左右の壁に描かれています。その後、弟子のミケランジェロによる『天地創造』の天井画や正面祭壇を飾る『最後の審判』があまりにも有名になったために、ギルランダイオの名前は霞んでしまいましたが、フレスコ画を得意としていたギルランダイオのもとでミケランジェロが修行したことは、このシスティナ礼拝堂でのフレスコ画制作に役立ったことは間違いありません。

ギルランダイオの代表作は実はフィレンツィエのサンタ・マリア・ノベッラ聖堂にありますが、この聖堂もダヴィンチのモナリザの制作場所となったことやマザッチョの遠近法を駆使した壁画などが有名なために、またもやギルランダイオの名前が霞んでしまっている印象があります。ところで、サンタ・マリア・ノベッラ聖堂にはトルナブオーニ家の礼拝堂があり、そこに「聖母マリアの生涯」をテーマにしたギルランダイオの作品があります。制作を依頼したのは、ジョヴァンニ・トルナブオーニという人物で、メディチ家のロレンツォ・イル・マニフィコ(豪華王)の叔父であり、当時のフィレンツェにおける有力者でした。この礼拝堂には、「洗礼者ヨハネの生涯」も「聖母マリアの生涯」と対になるように同じ場所に描かれています。これはシスティナ礼拝堂の「モーセの生涯」と「キリストの生涯」の対称性と合致するもので、当時の、そしてギルランダイオの得意なやり方であったのかもしれません。

ドメニコ・ギルランダイオ『洗礼者ヨハネの命名』(1486〜90年、サンタ・マリア・ノベッラ聖堂トルナブオーニ礼拝堂)

洗礼者聖ヨハネの誕生と命名について、ルカ福音書には次のように述べられています。

さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。(ルカ1・57〜66 新共同訳)

 

【鑑賞のポイント】

(1)父であるザカリアは中央に座り、羊皮紙(聖書では書き板)のようなものに名を書き記しています。母であるエリザベトは右から2番目のザカリアと視線を合わせている女性です。その他の人物は特定できませんが、幼子洗礼者ヨハネは当時の習慣に従って、こけし人形のように布でぐるぐる巻きにされています。ザカリアの左側にいる男性たちは当時のフィレンツェ風の衣装で描かれている人物もおり、この人も注文主であるトルナブオーニ一族の一人かもしれません。

(2)建物の内部の装飾は豪華であり、大理石の柱にはフィレンツェ風の大理石モザイクの装飾を思わせるものが描かれています。

(3)背景、遠景にはトスカーナの田園風景が描かれており、アルノ川の流れも描かれています。モナリザの背景やラファエロの聖母子の背景にもよくトスカーナの風景が描かれています。

 


告白小説、その結末

ロマン・ポランスキー監督といえば、『ローズマリーの赤ちゃん』や『戦場のピアニスト』、『オリバー・ツイスト』などを撮った有名な監督です。新作を撮ったというので、これはぜひ観たいと足を運びました。『告白小説、その結末』はフランスで注目されている女性作家デルフィーヌ・ド・ヴィガンの書いた『デルフィーヌの友情』(水声社刊)を原作にした映画です。この映画、はっきり言ってすごく不思議な映画です。

ストーリーを長々説明する紙幅はありませんので、かなり割愛してご紹介します。デルフィーヌ・デリュー(エマニュエル・セニエ)は、心を病んで自ら命を絶った母親との生活を綴った私小説がベストセラーとなり、新たな仕事のオファーが次々と舞い込んできています。小説の赤裸々な内容が女性たちの共感を得て、パリのブックフェアのサイン会でも「すばらしい作品」「私に希望を与えてくれた」と讃辞の嵐が巻き起こります。しかし、デルフィーヌ自身は、多忙な日々に疲れ果て、新作の構想が浮かばない状況です。サイン会を強引に切り上げ、あまり行きたくないと思っている出版業界のパーティ会場に出向きます。そこで、熱狂的ファンと称する女性(エヴァ・グリーン)と出会います。彼女は三人称の代名詞で「彼女」を意味する「エル」と名乗ります。他のファンとは一線を画するようなエルとの時間にデルフィーヌは安らぎを感じます。

仕事は進まず、ストレスを抱えているデルフィーヌのもとに「母親を売った代償は大きい。家族の不幸はさぞ高く売れただろう」という誹謗する手紙が来て、それによって、さらにストレスは高まります。そんなとき、電話番号を教えた訳でもないのに、エルから電話をもらい、近所のカフェで再会すると、心が晴れるのを感じたデルフィーヌは、エルへの依存を高めていきます。アパートを追い出されたというエルと自宅で生活をともにし、エルはマネージャーのような存在になっていきます。

エルはなぜ、デルフィーヌに近づいたのか、エルはどんな人物なのか、エルの目的は、デルフィーヌは新作を書くことができるのか、それは観てのお楽しみです。サイコサスペンス仕立てになっていて、どんどん追い込まれていくデルフィーヌとエルの関係は、観る者が手に汗握るものになっています。

ポランスキー監督は主人公の二人について「俳優同士の相性は常に良好とは限らないが、彼女たちの相性は最初から抜群だった」といっています。この二人の女性を中心にした倒錯が渦巻く世界を堪能してみてください。
(中村恵里香、ライター)

6月23日(土) ヒューマントラストシネマ有楽町・
YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次ロードショー

監督:ロマン・ポランスキー/脚本:オリヴィエ・アサイヤス、ロマン・ポランスキー/音楽:アレクサンドル・デスプラ
出演:エマニュエル・セニエ、エヴァ・グリーン、ヴァンサン・ペレーズ

原作:デルフィーヌ・ド・ヴィガン「デルフィーヌの友情」(水声社)
原題:D’après une histoire vraie/英題:Based on a true story/2017年/フランス・ベルギー・ポーランド/フランス語/100分/カラー/シネマスコープ/5.1ch/配給:キノフィルムズ
©2017 WY Productions, RP Productions, Mars Films, France 2 Cinéma, Monolith Films. All Rights Reserved.


『祝福〜オラとニコデムの家〜』

私のようなクリスチャンホームに生まれ、物心ついたときにはカトリック信徒だった人間にとって、カトリックと本気で正面から向き合うのが初聖体のときです。洗礼の記憶は乳児期なのでまったくなく、カトリックのことを正面から向き合って勉強し始めるのが教会の日曜学校でシスターから教えられる聖書の話です。だから、という訳ではないのですが、1年間勉強し、真っ白なドレスに身を包み、ミサでいただく初めてのご聖体は憧れでもありました。

そんな記憶をよみがえらせる映画に出会いました。そのドキュメンタリー映画『祝福~オラとニコデムの家~』をご紹介します。

ポーランドのワルシャワ郊外、セロックという街に14歳の少女オラは住んでいます。オラの父親はお酒で問題を抱え

©HBO Europe s.r.o., Wajda Studio Sp. z o.o, Otter Films Wazelkie prawa zastrzeżone. 2016

ています。弟のニコデムは、自閉症児です。母親は、違う男性と離れて暮らしています。学校に通いながら、家事をこなし、弟の面倒を見るオラが母親の役割を一手に担っています。ニコデムは、ベルトもうまく締められない状況で、あらゆる場面でオラの手助けが必要です。

一般的に初聖体は、7歳か8歳で受けるものですが、ニコデムは13歳になってやっと受けることができるようになります。ただし、初聖体を受けるには、その前の試験に合格しなければなりません。そのためにオラはニコデムに勉強を強います。厳しく、接するオラの姿は必死です。なぜそんなに必死なのかというと、離れて暮らす母親が初聖体の儀式に来てくれれば、もう一度家族が一つになれると信じているからです。

©HBO Europe s.r.o., Wajda Studio Sp. z o.o, Otter Films Wazelkie prawa zastrzeżone. 2016

初聖体は無事受けられるのか、母親は来てくれるのか、そしてオラの考える幸せはやってくるのかは観てのお楽しみです。監督のアンナ・ザメツカは、当初カメラを受け入れようとしなかったオラと正面から向き合って、カメラを受け入れさせることから始めたといいます。それには1年以上の時間をかけたそうです。この映画はカメラを受け入れたオラの姿が如実に出ています。また、監督は、この映画について、「『ヘンゼルとグレーテル』は私のお気に入りの物語の一つでした。この映画『祝福~オラとニコデムの家~』は親が自分の役割を果たせない世界の森で、彼らの道を探すヘンゼルとグレーテルの、非モノクロームで描かれたリアリスティックな物語なのです」と語っています。

初聖体を舞台に、家族の物語が描かれています。ぜひ、映画館に足を運んでみてください。

(中村恵里香、ライター)

 

6月23日ユーロスペースほか全国順次公開
公式ホームページ:http://www.moviola.jp/shukufuku/
脚本&監督:アンナ・ザメツカ
撮影監督:マウゴジャータ・シワク
編集:アグニェシュカ・グリンスカ、アンナ・ザメツカ、ヴォイチェフ・ヤナス

原題:Komunia|英語題:Communion|2016年|ポーランド|75分|配給:ムヴィオラ


アート&バイブル 15:二つの聖三位一体(二つの聖家族)

ムリーリョ『二つの聖三位一体(二つの聖家族)』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(Bartolomé Esteban Perez Murillo, 生没年 1617~1682)は、1617年12月31日、セビーリャの理髪師の末っ子として生まれました。ちなみに当時の床屋は外科医も兼ねており、現在も残っている青・赤・白のクルクル回る床屋のマークは、静脈(青)、動脈(赤)、包帯(白)の象徴なのです。ムリーリョは11歳で孤児になり、姉のもとで成長し、13歳位から絵の修業を始めたといわれていますが、1640年になって、ようやく彼の作品の記録が現れてきます。

図1『無原罪の御宿り』(1678年頃、スペイン・プラド美術館所蔵)

彼の画業の業績は、大きく3つの時期に分類されます。

第1期(1650年代)
「冷たい様式」の時代と呼ばれ、自然主義の画風で描かれ、『天使の台所』『蚤を取る少年』『ロザリオの聖母』(1650年、油彩、 スペイン・プラド美術館)などが代表作です。

第2期(1660年代)
「熱い様式」の時代と呼ばれ、穏やかな安定した作風で、黄金時代とされ、その名声も高まりました。『エル・エスコリアルの無原罪の御宿り』(1660~1665年、油彩、209×173cm、スペイン・プラド美術館)は温かみのある、穏やかな表情で描かれています。

第3期(1670年代)
「薄もやの様式」の時代と呼ばれ、甘美なスタイルへ傾注していきます。背景がスフマート(物体の輪郭を柔らかくぼかして描く技法)のように描かれていて、柔らかさを感じさせます。『聖母子』(1675年、油彩、イタリア・ローマ国立美術館)、『無原罪の御宿り』(図1)、今回鑑賞する『二つの聖三位一体(二つの聖家族)』(図2)、『貝殻の子どもたち』(1670~1675年、スペイン・プラド美術館)などが代表作です。

 

【鑑賞のポイント】

図2『二つの聖三位一体(二つの聖家族)』(1675~82年頃、ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵)

(1)『二つの聖三位一体(二つの聖家族)』は、父と子と聖霊の三位一体とヨゼフ、マリア、イエスの聖家族を同時に描いている珍しい構図で(特集16の「聖家族崇敬が生まれた状況」も参照)、柔らかなタッチで描かれていますが、これは彼の作品の中でも隠れた傑作と言ってよいとでしょう。

彼の代表作はセビーリャのカプチン会やサンタ・マリア・ラ・ブランカ聖堂、カリダード施療院に残っています。いずれも暖かい色調と自在なタッチで、当時の荒んだ人々の心を癒す、優美で慈愛あふれる世界を描き出しています。

(2)聖父と聖子と聖霊の三者は縦に(垂直に)配置されています。そして聖母マリアと聖ヨゼフの二人は幼子イエスの左右という横に(水平に)描かれています。この配置は十字架の形になるのです。聖母マリアの視線は幼子イエスに注がれています。さらに幼子の右手は聖母の右手の人差し指をしっかりと握りしめています。ところがイエス様の左にいる聖ヨゼフは視線をイエス様と同じ方向に、かつやや下向きに向けています。

そして幼子イエスの左手はヨゼフが広げた掌においています。左右の聖母マリアの視線と手のポーズ、聖ヨゼフの視線と手のポーズは対照的であり、父と母のそれぞれの役割を表しているように思います。マリアの服は定番の赤と青のマントですが、ヨゼフは緑の服と大地を思わせる茶色のマントになっているという対照も面白いと思います。

 


アート&バイブル 14:うさぎの聖母

ティツィアーノ『うさぎの聖母』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

図1:ティツィアーノ『聖母被昇天』(1516~17年、サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂所蔵、ヴェネツィア)

今回は、宗教画に登場する脇役や小道具などに注目してみたいと思います。鑑賞する作品は『うさぎの聖母』(鑑賞のポイントとあわせて、図2参照)です。その作者はヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ(Tiziano Vecellio, 生没年1490頃~1576)です。

ティツィアーノは、イタリアの北、アルプスに近い小さな村で生まれました。10歳でヴェネツィアに行き、絵画を学んでいます。当時、ヴェネツィアには、ジョルジョーネ(Giorgione, 1476/78~1510)やベッリーニ(Giovanni Bellini, 1430/35~1516)というような偉大な画家が活躍していました。ティツィアーノはジョルジョーネの助手として壁画装飾に参加していましたが、ジョルジョーネ、ベッリーニの没後、ヴェネツィア派の巨匠として活躍します。豊かで、穏やかな色彩を特徴とするヴェネツィア派ですが、ジョルジョーネとティツィアーノは自然の光、自然との調和を強調する独自な画法を作り上げています。

ティツィアーノは、それまでの形式的な祭壇画の構図を無視して、革命的とも言うべき、ダイナミックな表現方法と鮮やかな色彩を取り入れていきました。やがて、1516年から26~28歳で手がけた『聖母被昇天』(図1)の祭壇画は、ジョルジョーネやベッリーニをもしのぐといわれるほどの出来栄えでした。ヴェネツィアの人々は、この絵が完成したとき、ヴェネツィアのかつての栄光が失われつつある中で、大きな勇気と希望を奮い起こすことができたと伝えられています。

 

【鑑賞のポイント】

この作品は74×84cmという大きさで大きな聖堂に飾られるためというものではなく、ある個人からの依頼で作成されたもので、その人の家に飾るための宗教画だったのではないかと想像されます。そのためか描かれている題材はまるでピクニックに出かけた聖家族の一場面のようなのどかで楽しげな雰囲気です。

図2:ティツィアーノ『うさぎの聖母』(1530年、パリ、ルーブル美術館所蔵)

(1)母マリアは右手を、幼子イエスを迎えるように差し伸べています。左手は膝もとにいる白いうさぎを抱きかかえています。幼子イエスは母の手にある白いうさぎに興味を引かれている様子です。

(2)当時、うさぎは雌雄同体だと信じられており、処女性を失わずに繁殖することができると考えられていたために、聖母マリアと関連づけられていたのです。

(3)母マリアの足元にはバスケットが置かれており、そこにリンゴ・ブドウ・イチジクなどの果物が見えます。いずれもアダムたちの原罪のエピソードとイエスによる贖罪を連想させる果物です。

(4)マリアたちの背後にヨゼフらしき男性が座っており、そのそばには羊たちが描かれています。「世の罪を取り除く神の小羊」というイエスの使命が暗示されています。

 


ゲティ家の身代金

アメリカの『フォーチュン』誌に億万長者と認定されたジャン・ポール・ゲティの孫ジョン・ポール・ゲティ3世が誘拐された実在の事件をリドリー・スコット監督が映画化した作品『ゲティ家の身代金』をご紹介します。

1973年留学先のローマで夜の道を歩く17歳の青年ジョン・ポール・ゲティ3世(チャーリー・プラマー)が何者かに拉致されます。誘拐の報はすぐさま祖父ジャン・ポール・ゲティ(クリストファー・プラマー)のもとに知らされます。祖父ジャン・ポール・ゲティは誰もが不可能だといった中東から石油を輸入して「ゲティ・オ

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イル社」を設立し、世界でも有数な大富豪として知られている人物です。誘拐犯は身代金として1700万ドルを要求してきますが、断固として拒否します。

身代金拒否の背景には、息子との関係が絡んでいます。長男である息子は、ゲティ・オイル社で働いていましたが、ドラッグに溺れ、妻ゲイル(ミシェル・ウィリアムズ)とも離婚し、長男としての役割を果たしていなかったからでした。そして、身代金要求に応じれば、他の孫も標的にされる恐れがあると釈明もします。

一方で、自分のもとで働く元CIA職員フレッチャー・チェイス(マーク・ウォールバーグ)を呼び寄せ、親権者である母親ゲイルのもとに向かわせ、誘拐犯との交渉に当たらせます。

誘拐されたジョンは、南イタリアのカラブリア州の人里離れたアジトに監禁されていました。誘拐犯のリーダー格チンクアンタ(ロマン・デュリス)は、身代金を払わないと指を切断すると脅母親宛に手紙を書かせます。

ジョンの行方はわからないまま、身代金を出そうとしないゲティに対し、ゲイルはいらだちを募らせます。そうして、ジョンがかつて偽装誘拐を企て、祖父から身代金をせしめる計画を冗談半分で話していたと友人が証言したことにゲティはますます半信半疑となります。

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交渉がなかなか進まないことに焦り始める中、ジョンに顔を見られた誘拐犯の一人がジョンに向けて発砲します。その直後、誘拐されたときに使われた車が発見され、その中に遺体が発見されます。遺体を確認しにきたゲイルは、息子ジョンではない遺体にホッと胸を撫で下ろします。誘拐犯の遺体と確定した警察は、その出身地を割り出し、アジトを襲撃します。銃撃戦の末、チンクアンタは、ジョンをつれ逃げ出し、マフィアと合流します。

ジョンは無事帰ってくるのかはぜひ劇場で観てください。この映画はもちろんサスペンスです。ちょっと過激なシーンもありますが、その裏に隠されている物語がたくさんあります。ゲイルを演じたミシェル・ウィリアムズは、「サスペンスに満ちた映画ではあるが、同時にフェミニズム映画でもあると思う」と語っています。男社会の中で、息子を救いたい一心で、あらゆる能力を使い、周囲と対等になろうとしますが、女性ゆえに軽んじられ、過小評価されるシーンがたくさんちりばめられています。

また、監督のリドリー・スコットは「ゲティは、富の虚しさ、それに付随しうるダメージを理解し、明確に自覚していたんだ。お金でなく息子に対する愛情に突き動かされてるゲイルの鋼鉄の意志と交錯させるのが面白かった」と語っています。

サスペンスの面白さに目を奪われがちですが、家族とは何か、その愛情表現はどのようなものなのか、この映画の突き詰めていくテーマの広さは見る人を魅了することでしょう。

(中村恵里香/ライター)

監督:リドリー・スコット/脚本:デヴィッド・スカルパ/原作:ジョン・ピアースン「ゲティ家の身代金」(ハーパーコリンズ・ジャパン刊)

キャスト:ミシェル・ウィリアムズ、クリストファー・プラマー、ティモシー・ハットン、ロマン・デュリス、チャーリー・プラマー、マーク・ウォールバーグ

原題・英題 :All the Money in the World

配給:KADOKAWA

コピーライト :©2017 ALL THE MONEY US, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.

2018年5月25日TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー

公式サイト :http://getty-ransom.jp