沈黙の風景 5

服部 剛

 夕刻の高速船は鯛ノ浦からゆっくりと出港し、上五島の島が遠のいてゆく。この日の海は比較的凪いでおり、雲間から漏れる西陽が、海原を淡い夕暮れ色に染めていた。巡礼の旅の間に改めて読んだ『沈黙』は、鞄の中で静かに眠っている。長崎へ戻る船の中で私の頭から離れなかったのは、ロドリゴが踏絵を踏んだ後の章に引用されている『長崎出島オランダ商館員ヨナセンの日記』に書かれた、荒木トマスについての記述である。ローマへと派遣され、法王の侍従という役を務めた彼も、日本で捕えられた後(のち)、晩年は精神をはげしく乱していたという。その最期は、「一昼夜穴で吊るされた後、教えを棄てたが、心中には信仰を失わず死亡した」(『沈黙』、遠藤周作著、新潮社)と書かれている。この〈心に中に消えない信仰〉というテーマは、遠藤が描いた『沈黙』の中で、時に激しく揺らぎながらも、一貫する通奏低音として鳴り響いている。

 井上筑後守(ちくごのかみ)は、棄教後のロドリゴを奉行所に呼び、「(パードレ=

長崎歴史資料館

司祭は)この日本と申す泥沼に破れたのだ」(『沈黙』、遠藤周作著、新潮社)と語ったが、その日本という沼地の中にも、そして、岡田三右衛門という日本人として生きねばならなくなったロドリゴの心の奥深くにも、〈踏絵のイエス〉は囁き続けるであろう――。それは嘗(かつ)て、切支丹禁制下の日本で、あまたの貧しい人々が信仰に縋(すが)り、時代の掟により凄惨な拷問に喘ぎ、または、踏絵のイエスを踏まざるをえなかった、深い心の痛みを生涯抱えて生きねばならなかった、名も無き人々の生涯を通して、現代を生きる私達にも何かを、語りかけているのかもしれない。

 21世紀の日本という、転換期を迎えつつあるこの国の人々の心は、霞みがかった時代の中で、渇いている。孤独な夜の哀しみに俯(うつむ)く誰かを探し求めて、遠藤文学の中に描かれる〈イエスの面影〉は今日も、風の姿で街を歩いている。そして、私達の日々の出来事の最中(さなか)にも密かに働きかけるその人は、沈黙の声をあなたに囁くであろう。

 高速船のスピードはいつしか緩やかになり、地上の星々のような長崎の灯が近づいて

記念坂

きた。明日は在りし日の遠藤周作が愛した、大浦天主堂の脇にある祈念坂の石段を、ゆっくり歩こうと思う。 (完)


雨のち晴れではじまった「遠藤周作文学館」

鵜飼清

ある人の面影を偲びたくて、また訪ねたい場所がある。

それは長崎県の外海町にある遠藤周作文学館なのだが、ある人とは遠藤周作その人ではない。

2000年5月13日に、遠藤周作文学館がオープンした。そのセレモニーに私も出席している。セレモニーがはじまる前にザーッと大雨が降って来て、入り口の前で受付けを待っていた大勢の参列者が、あわてて屋根のあるところへと集まっていった。受付が用意されたら雨はやみ、晴れ間がのぞいてきたように思う。参列者のなかからの「遠藤先生らしいわね」という声が耳に入ったのを覚えている。

聖堂のようなエントランスホールで式典が行われた。ホールは参加者であふれていて、私はホールには入れず、ホールの外で式典を覗いていた。開式の辞や式辞などの声はよく聞き取れなかった。

私がなぜ、遠藤周作文学館の落成式に行ったのか。それは私の岳父・上総英郎が遠藤周作の評論を書いていたからである。私が遠藤周作の小説を意識したのは上総英郎によって書かれた評論からであった。

上総英郎は『沈黙』の評論を「共感と挫折―『沈黙』について」として発表したが、それが遠藤周作の目に留まり、2人の交流がはじまった。以来、上総は遠藤文学の評論家として注目される。

落成式のとき、上総は車椅子の人であった。遠藤周作亡き後、『沈黙』の舞台となった場所に文学館が出来、そのオープニングに参列した上総の思いをいま改めて感じている。

遠藤周作は1996年9月29日に73歳で亡くなった。そのあとで『遠藤周作のすべて』(文藝春秋編)が出された。そこに上総は「遠藤周作の小説について―カトリックとしての活躍」を書いている。その冒頭は「遠藤周作がこの世を去ってから、一年余が過ぎた。いまだに『さよなら』と呟くことができそうもない。それは彼の最後の作品群について、まだ語ることができないことで、自分の目に歴然としているのだが、私の中では、彼の作品群の流れについて、いまなお見落としたことどもがあるような気がしているのだ。」と記されている。

上総英郎も2001年7月21日に70歳で旅立ったが、最後まで遠藤作品について追究の姿勢を崩さなかった。

遠藤周作文学館のテラスから眺める五島灘はことのほか美しい。その美しさと遠藤文学を想像するとき、車椅子で首を傾げていた上総が瞼に焼き付いて残る。あの人と、また会いたい……と思う。

(評論家)


沈黙の風景 4

服部 剛



 

朝、民宿の布団の中で目を覚ますと、枕元に置いた携帯電話の画面が着信を知らせていた。折り返すと、五島列島出身の友人からであった。「おはよう。今日で五島にいるのは最終日なんだけど、朝飯を済ませたら、巡礼の最後に頭ヶ島(かつらがしま)天主堂に行こうと思って」「あら、そう!その天主堂は、以前、『周作クラブ』(遠藤文学愛読者の会)の旅で五島に行ったとき、遠藤先生の奥様が〈ここが一番素晴らしいわ〉と言った場所よ。巡礼の最後がその場所なんて、最初から考えていたの?」 「いや、そういう訳じゃないけど……」 ――電話を終えた私は、胸中が静かに高鳴るのを感じた。

有川港の近くにある民宿を後にして、車で30~40分走ると、上五島と頭ヶ島を結ぶ橋に入ったので、アクセルを踏み、加速した。年の瀬になろうという時期ゆえに、少し窓を開けただけでも冷たい風が、びゅうと吹き込む。橋を渡り終えると、今度は曲がりくねった道が続いた後、灰色の空の下に広がる海と、無人の白い砂浜が見えてきた。

駐車場に車を停めて外に出ると、少し高い場所にある石造りの天主堂が、時化(し

頭ヶ島天主堂

け)に荒れる海を黙って眺めるように建っていた。〈五島での巡礼も、ここで最後か〉という感慨を抱きながら、聖堂内に入る。祭壇の前で手を合わせようとしたとき、背後の入口で「どうしようか……」と困っている声が聴こえた。振り返ると、40代くらいの男女が、車椅子に乗った年老いた母親と思われる女性を連れていた。入口に大きな木箱が置かれているため入れず、顔を見合わせている。私は心の中で〈五島の巡礼の最後の場所で出逢ったのは何かのご縁かもしれないな〉と思い、入口の方へ近づいていった。「あの……実は、先月まで介護職だったので、お婆さんを一緒に抱えられますよ」と伝え、私は上半身を、息子さんには下半身を抱えてもらうと、祭壇の前にゆっくりと下ろした。年齢相応に物忘れもあるようだが、息子さんが運んできた車椅子に再び座ったお婆さんは、お祈りをするように、少しの間、祭壇の十字架に目を細めていた。

「どちらからですか?」「はい、鎌倉です」「え!  私も実家は鎌倉で、腰越小学校の出なんですよ」「えっ?  母も腰越に住んだことがあるんですよ」。いくら偶然とはいえ、五島の巡礼の最後の場所で、遥か遠い空の下の、同じ地元の方々と、頭ヶ島天主堂の祭壇の前で共に佇むことになろうとは……。このとき、私は〈目に見えない、沈黙の神〉の働きを、感じずにはいられなかった。私は自ずと笑顔になり、しゃがんで、お婆さんと目を合わせ、細く冷たい手を、少しの間、握った。壁に掛けられた額縁の中で、イエスは無力にも、十字架上で項垂(うなだ)れている。遠藤周作も度々、その作品の中で「無力なイエス像」を描いている。

今、私が目の前にしているお婆さんの長い人生の中にも、おそらく深い哀しみの夜があり、そのときも神は沈黙していたであろう。だが、額縁の中で力無く頭を垂れるイエスは、時に不思議なわざを現す……。私の胸中には、そんな思いが芽生えた。

もう一度、息子さんと私でお婆さんを抱え、入口に置いた車椅子にゆっくり乗せた。「ありがとうございました……」「いいえ、また旅の後、鎌倉で会いましょう」。そう言って手を振りつつ、車椅子を押して去ってゆく三人の後ろ姿を見送った。

誰もいなくなった聖堂の中で、旅の導きを感じながら祈った後、私はゆっくり腰を上げた。 天主堂を出て、古い鐘の傍らを通り過ぎ、石畳の道を下ると、浜辺から激しい波の音が響いてきた。白い浜辺が見えてくると、右手に無数の十字架が姿を現し、かつて、遠い日に切支丹として生涯を送った人々の魂が、懐かしくも哀しみを帯びた灰色の海を、いつまでも眺めていた。


沈黙の風景 3

服部 剛

 

旅先の宿で時を忘れ、『沈黙』のページを捲ってゆく。しばらくのち、顔を上げて時計を見ると、針はすでに午前0時を過ぎていた。〈今夜はクリスマスだ〉と思い起こしながら、静寂の中、本の中にいる【踏絵のあの人】の顔を、私は瞼に浮かべた。

目の前に迫る、死の暗闇の只中に坐るロドリゴの傍らには、不思議なほど優しい気配があり、その深く澄んだまなざしは、ロドリゴのみならず読む者をも見つめている…。そんな予感を覚えた私は一瞬、小さく息を呑んだ。もし、その深く澄んだ【あの人】の瞳に、一度でも、言葉にならぬ想いで見つめられていることを知ったならば、〈私はあなたの哀しみを知っている〉と囁く声を心で聴いたならば、人は生涯、その瞳を忘れることは無いであろう。

キチジローは、自らの弱さと罪の汚(けが)れに耐えかねて、縋(すが)るように許しを

外海の海

乞い、何処までもロドリゴを追うであろう。だが実は、体を持たない神のまなざしこそが、魂の救いを求めるキチジローを追っているのではなかろうか? 誰もが心の奥で、密かに愛と優しさを求める以上に、今から二千年前、十字架に掛けられたあの人がある日、弟子に「私は渇いている」と語ったように、私達の日常に隠れている神は沈黙の内に人間を探し求め、あらゆる出来事の中に働き、今日も関わろうとしている。日常から遠く離れた旅先の島の宿で『沈黙』を読み進めるうちに、私はいつしか、自らの無意識の領域におられるであろう神の存在を感じた。

机の上に『沈黙』を置いた私は、〈人間にとって“消えないもの”とは何か?〉を、思い巡

五島の教会

らせていると、聖書の『最後の晩餐』の風景が思い浮かんだ。そして、自らが十字架に掛けられる前夜、イエスは弟子達一人ひとりの足を洗い、「わたしがあなたを洗わなければ、あなたはわたしと何の関わりもなくなる」と語った時の瞳と、『沈黙』の中で、ロドリゴが踏絵を踏もうとするその時、足裏の下にいる【踏絵のイエス】の瞳が、私の心の中で重なった。そして、ロドリゴの足裏を通して、イエスの御心(みこころ)がロドリゴの中に入ったのを、私は感じた。「今までとはもっと違った形であの人を愛している」(*1)と棄教後のロドリゴが語る言葉からは、信仰の核心にふれた者の実感が、深く沁

みわたってくるのである。

まるで黙想のような感覚で聖夜の読書を終えた私は、畳の部屋の明かりを消して、布団に入った。五島列島に来る前に寄った、遠藤周作文学館の鉛色に広がるパノラマの海が、私の脳裏に映し出された。あの日、館内には『キチジローはわたしだ』という見出しの、遠藤が寄稿した新聞記事が展示されており、自らの心の中にいる「キチジロー」から目を逸らさず、己の弱さをも『沈黙』という物語の中に描き切った遠藤周作というカトリック作家の信念を、私は思う。

人間の心には、それぞれに異なるかたちで「キチジロー」が住んでいるのかもしれない。

踏絵が行われた可能性のある場所

だが、もしも自分の中にいる「キチジロー」が、人間である自らの弱さを知って跪(ひざまず)き、無心で両手を合わせるならば――頭(こうべ)を垂れる者の上には、目に見えない恩寵の光が降り注がれるであろう。今から350年以上前、長崎のある寺に住む、和服を着た沢野忠庵こと、ロドリゴの師・フェレイラの背に、夕暮れの陽射しがそっと注がれていたように。

 

※文中の*1は、遠藤周作著『沈黙』(新潮社)より引用しました。

 


沈黙の風景 2

切支丹巡礼の旅も3日目となった。この日は12月24日で、クリスマスイブである。聖夜を上五島の教会で過ごすためミサに与(あず)かろうと思い、夕方に長崎港から出る高速船に乗り、上五島へ向かった。12月は時化(しけ)で海が荒れる、と噂では聞いていたが、予想していた以上に船は海上を弾むように進み、一瞬、船が宙に浮くのを感じた。いつしか時化も凪へと変わり――1時間ほど眠った私が目を覚ますと、点在する明かりが遠くに見え、鯛ノ浦港が近づいてきた。

私の脳裏には再び、前日に訪れた〈祈りの岩〉の光景が浮かんだ。まるで円盤のような巨大な岩は他に見たことがなかったし、何よりも、切支丹迫害下の緊迫する時代状況の中で、命を賭けてまで代々語り継いだ信仰というものに、私は改めて想いを馳せた。

翌日、朝食の時に民宿の女将(おかみ)さんが教えてくれた、いくつかの教会から巡礼を始めた。車で15分程走ると、遠い山間に白い教会らしきものが見えてきた。車を停めて、坂を上りきって見下ろすと、美しく緑OLYMPUS DIGITAL CAMERAがかった海を小さい湾が囲み、ゆっくりと漁船が出てゆく。絵のように長閑(のどか)な風景を目にして私は、思わず立ち止まった。そして、旅の前に上五島出身の友が、切支丹の子孫が今も住むという地域の教会を教えてくれたが、桐教会はその中の大事な一つであることを、ふいに思い出し…上五島で最初に訪れる教会が桐教会だということに、旅の導きを感じた。教会の正面入口に立ち、左を見ると切支丹の像があり、3人の中の1人は老人で正座をしている。その目線は遥かなる光を見出し、静かな深い希望をたたえているのが、像の前に立つ私にも伝わってきた。

聖夜のミサは所属信徒の多い青方教会へ行き、中に入ると、幼子からお年寄りまで年齢幅のある信徒達で席は埋め尽くされ、自分が日頃行く教会との違いを感じた。

ミサの後は車で民宿に戻り、前夜に続き、『沈黙』の頁を開く。描かれた場面の中で、司祭のロドリゴを裏切ったキチOLYMPUS DIGITAL CAMERAジローが、薄汚れた姿で細い手を振り、連れ去られるロドリゴを何処までも追いかける。『沈黙』という物語で、ロドリゴの姿が受難のイエスの姿に重なってゆく――。もし、ロドリゴの内にイエスのまなざしが一瞬でも宿るならば、痩せた野良犬が何かを乞うように、自分に向かって叫ぶキチジローの姿は、一体どのように映るであろうか?人を容易(たやす)く許すことのできない私達人間の胸の奥底に、体の無い神は隠れ〈何かを囁いているのではないか…〉と、私は感じた。


沈黙の風景 1

長崎から車で一時間近く走り、海沿いの坂道を上り下りすると、旧外海(そとめ)町に入る。【遠藤周作文学館】の小さな看板が目にとまり、左折すると、灰色の空から雨は降り始め、車を出ると、冷たい風は旅人の私の頬を叩き、無数の雨粒はコートを濡らした。足許には、紅の花弁らが泥に塗(まみ)れ、哀しげに散っていた。季節は待降節、3日後はクリスマスだが、心の中では、年明けに公開される映画『沈黙―サイレンス―』のことを思い巡らせていた。目の前に広がる暗黒の海を映画の情景そのもののように感じながら、私は〈巡礼の旅の始めに…枯松神社へゆこう〉と、心に呟いた。

先ほど車で走った道を5分ほど戻り、海を背に坂を上る。道が細くなった所で、私は車を降りた。石段の

枯松神社

枯松神社

道のある山の茂みの中へ入っていくと、胸の中に静かな鼓動が高鳴ってゆく。宣教師サン・ジワンを祀(まつ)るこの枯松神社は、日本で3ヶ所しかない切支丹の神社である。石段を上る途中の左手に、円盤のような巨大な岩が姿を現した。白い看板には「祈りの岩」と書かれている。迫害の時代に隠れ切支丹は、この岩の裏側に身を潜めて、互いに体を寄せ合い、ひたすら信仰の言葉“オラショ(祈り)”を唱え続けたという。〈そこまでして… 迫害の恐怖の中でも消えない“信仰”とは、一体何か?〉。私の心の中に、深い疑問は広がってゆく。湿った枯葉を踏みしめながら、岩の裏側に入ってみる。冷えた地面に腰を下ろし胡坐(あぐら)をかくと、頭上を覆う岩は低く、首を伸ばすことさえできない。目を瞑り、祈ると、木々の葉は風にざわめき、何かを囁いた。無明の闇の中、狭い岩陰に身を置く。当時の切支丹の人々の息遣いが、すぐ傍らに感じられる。そして、信仰の地を訪ねて旅をした在りし日の遠藤周作もまた、ここに来たであろう姿が

祈りの岩

祈りの岩

瞼(まぶた)の裏に浮かんだ。

遠藤が著した小説『沈黙』に描かれている、旧外海の海の中に立てられた十字架上で棄教を拒み、拷問の果てに苦しみ抜いて死んだモキチが、最期の命を振り絞って唱えたオラショを、私は繰り返し唱えてみた。姿の無い切支丹の人々の――時を越えた祈りの声がさざ波のように寄せては返すのを、全身全霊のうちに、私は感じた。

その晩、私は旅の宿で、改めて『沈黙』という作品について、思い巡らせた。遠藤がかつて、大浦天主堂の近くで展示されていた踏絵を見たことを契機に、この小説は書き始められたという。人は誰もが、一生の何処かで“踏絵”を踏むことを迫られるのではないか、と感じる。過ちの大小ではなく、自らが歩いた道を振り返る時、全く悔いの無い人はいないだろう。そして、人間の深層意識には、いくつになっても温かな愛情を求める〈子ども〉がおり、人生の旅路を天から見守り、深い後悔さえも赦(ゆる)し導く存在を、心の何処かで探し求めているのではないだろうか? 50余年前、遠藤が発表した『沈黙』は、人間の魂にとっての根源的なテーマを、今もなお私達に問いかけている。

(服部剛)


遠藤周作氏と日本キリスト教芸術センター

遠藤周作氏というと小説家のイメージが強い方ですが、あまり知られていませんが、幅広い活動をしていた人です。その一端が伊藤神父様のお書きになった樹座ですが、それとは別にキリスト教作家たちの勉強会として、日本キリスト教芸術センターといった活動もされていました。

私が知っているかぎりのところで、日本キリスト教芸術センターの成り立ちと活動を皆さまにお知らせしたいと思います。

もう40数年前になると思いますが、遠藤氏が代々木上原のマンションを仕事場にされていた頃、若手のキリスト教の作家、評論家が集まり、霊の会という勉強会を主催されていました。これは、当時三田文学の編集長をされていた遠藤氏の周辺にいた作家たちを中心に代々木上原のマンションで月に1、2回集まりがもたれていました。

その会に集まっていたのが、作家の三浦朱門氏、阪田寛夫氏や森禮子氏、劇作家の矢代静一氏、文藝評論家の上総英郎氏、高堂要氏、武田友寿氏など10人程度だったと聞いています。そこは一種のサロンのような集まりでした。そこから生まれたのが教文館から出た『キリスト教文学全集』や主婦の友から刊行された『キリスト教文学の世界』といった全集です。

そういった活動のなかから、キリスト教を信仰する作家は、キリスト教に限らず、もっと幅広く学ばなければならないと遠藤氏が考え、音楽評論家の遠山一行氏やピアニストの遠山慶子氏、加賀乙彦氏、木崎さと子氏など、カトリック、プロテスタントの垣根を越え、また作家だけでなく、さまざまな分野の方が参加し、勉強会が表参道のマンションの一室を借りて、日本キリスト教芸術センターとして発足されました。

勉強会は月に2回、月曜日の夜行われ、各分野の一流の方々を講師に招き、1時間程度の講演を聞き、その後、軽食とお酒を口にしながら、その日の講演について話し合うというものでした。講師は、仏教、キリスト教、欧米文学、心理学、物理学、映画などなど、さまざまな分野にわたっていました。その中には、私たちがよく知る人物もたくさんいます。一例を挙げると、映画監督の熊井啓氏、女優の吉永小百合氏、宇宙物理学の小柴昌俊氏、ほか、荒俣宏氏、観世栄夫氏、杉浦日向子氏、妹尾河童氏、なだいなだ氏、村松禎三氏など、講師陣の名前を挙げるだけでもそうそうたるメンバーです。

1990年12月、原宿・福禄寿でのクリスマス会

1990年12月、原宿・福禄寿でのクリスマス会

その講師陣がまた会員になるといったかたちで人数が増えていきました。

ただ、勉強するだけではありません。年に1、2回バスで遠足に行ったり、有志で海外巡礼をしたりと幅広い活動になっていきました。

残念なことに遠藤氏がお亡くなりになって数年後、日本キリスト教芸術センターは閉鎖されました。そのメンバーのなかには、今第一線で活躍しておられる方がたくさんいます。遠藤氏の遺志が花開いた結果ではないでしょうか。


遠藤周作氏の創った劇団樹座

いとうあつし

「樹座に入ってた神父がいるなんて信じられないなぁ!」

周作クラブ会長の加賀乙彦先生に初めてご挨拶申し上げた時の反応です。

 無理もありません。座長の遠藤周作先生が団歌に「あほらしき劇団樹座よ」と歌うほど、あの劇団は確かに奇天烈でした。(ちなみに私が座員だったのは大学生のときですから、正確には神父が樹座に入っていたのではなく、樹座に入っていた人間が神父になったということです。誤解なきよう。)

 まずは樹座という劇団名。字面はなかなか美しいのですが、これで「キザ」と読みます。「キザなヤツ」のキザです。

 入団審査も変でした。演劇経験者はふるい落とされ、演技がヘタクソであればあるほど歓迎されたのです。結果、座員になれたのは「ド」が付くほどの素人ばかりでした。

 いざ稽古が始まると、素人劇団とはとても思えない状況が待っていました。

 座員は確かに素人ばかり、老若男女が偏りなく集められていましたが、よく見ると、その中にはなんと北杜夫、佐藤愛子といった大御所作家の先生方が混じっておられたのです。私の相手役は古山高麗雄先生でした。感動するやらビビるやら、ただただ狼狽えるしかありませんでした。

 裏方は全員プロ。演出やダンスの振付、舞台装置などはすべて劇団四季のスタッフが指導して下さいました。超大物女優が演出に名を連ねることもありました。とにかく舞台の表と裏のギャップが凄すぎたのです。

 当然の帰結として、私たちドシロウトはこれらプロフェッショナルをしょっちゅうマジギレさせることになりました。

「なぜこんなことができないんだ! ちゃんとやれ‼」

こんなことができない人、ちゃんとやれない人ばかりをわざわざ選んでおきながらそんな無茶な…、と反論できるような立場でもなく、極限に達した緊張で歌う声はますます上擦り、踊る手足はますます突っ張ってしまい、それでまた怒鳴られる始末でした。

 そして本番。私が出演した第十回記念公演の舞台はなんと、あの帝国劇場でした。(帝劇は樹座への使用許諾を後悔し、その事実を封印したという噂もあります。)座員がドシロウトである以外はすべてホンモノ、もったいないほどの大舞台で、役者は大真面目に悲劇を演じているのに客席はなぜか大爆笑という奇妙奇天烈な芝居が繰り広げられたのでした。

 のちに分かったことですが、遠藤先生は、素人が必死に頑張っている(にもかかわらずうまくできない)のがいいのであって、素人の慣れた演技ほどつまらないものはない、と考えておられたようです。言い換えれば、ドシロウトなりに真面目に遊び、ヘタクソなりに全力で楽しむということが、この珍妙な劇団樹座の目指すところだったということでしょうか。

 劇団樹座の奇天烈さを体験すると、『沈黙』のような純文学を書かれる遠藤先生が、同時に狐狸庵シリーズのような作品を執筆された理由が、ちょっとだけ分かるような気がするのです。


『沈黙』はいまの日本を考えさせる

江戸時代の初期に、民(農民や漁民)たちがどのような生活をしていたのか。この映画はリアルに表現している。民の手は汚れ、爪には土が入っている。泥で凸凹になった道を、井上筑後守が歩く足取りがふらついている。スコセッシ監督は、民の暮らしの有り様を描くことで、生きることの重さを見せる。沈黙_メイキング_Photo Credit Kerry Brown

「将軍より偉い者がいて、人間は平等である」などとは、当時の為政者としては許すべからざる考え方だった。しかし、神を信じるキリシタンたちにとって、それは苛酷な毎日のなかで、唯一の救いだっただろう。いままで支えにしてきた心の拠り所を、突然に棄てろと強制される。信仰を棄てなければ命が危ない。命がけで守り抜かねばならないものとはなにか。わが命に代えてでも守るべきものとはなにか。「生きること」の意味が問われる。

アーノルド・J・トインビーは、キリスト教布教にあたって、最初はキリスト教を直接宣教することが抵抗を生み、次に文明から入ることで静かなる宣教を果たしていったと言うようなことを書いた。『沈黙』は、弱き人間へスポットライトを浴びせることで、苛酷なキリシタン弾圧のなかでの日本におけるキリスト教宣教を考えさせる。「抵抗」とはいかなるものか、そこに宗教性の真髄を読み取らねばならない。

戦後間もなく日本に来たトインビーは、これからの世界のなかで日本に魅力を感じていたそうである。遠藤周作の「母なる神」は戦中・戦後を生きた遠藤が生み出したキリスト教の世界である。踏み絵を踏む足の痛さを、遠藤は描く。それは、井上洋治神父の言う「文化内開花(インカルチュレーション)」にまで繋がるもののように思えてならない。パードレは棄教した。しかし、現代を生きる私がこの生きづらい毎日のなかで、生きることの意味を問い続けるとき、踏み絵を踏んだパードレにこそなにか近しさと深愛を感じてしまうのである。

2017年1月21日(土)全国ロードショー

2017年1月21日(土)全国ロードショー

『沈黙』は、いまの日本を考察するにはもってこいの題材であり、スコセッシ監督が28年がかりで完成させた映画『沈黙』の公開に最大級の賛辞を贈りたいと思う。

(鵜飼清/評論家)

 

原作:遠藤周作「沈黙」(新潮文庫刊)
監督:マーティン・スコセッシ
脚本:ジェイ・コックス  撮影:ロドリゴ・プリエト 美術:ダンテ・フェレッティ 編集:セルマ・スクーンメイカー
出演:アンドリュー・ガーフィールド リーアム・ニーソン アダム・ドライバー 窪塚洋介 浅野忠信 イッセー尾形 塚本晋也 小松菜奈 加瀬亮 笈田ヨシほか
配給:KADOKAWA