アート&バイブル 16:洗礼者ヨハネの命名

ドメニコ・ギルランダイオ『洗礼者ヨハネの命名』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

今回は、初期ルネサンス時代に活躍したドメニコ・ギルランダイオ(Domenico Ghirlandaio, 生没年 1449~94)の作品を紹介したいと思います。ギルランダイオの名前は通称であり、一種のあだ名です。彼の父親も画家であり、また彫金家として、父の作る「花飾り=ギルランダイオ」が有名だったので、ドメニコもギルランダイオと呼ばれるようになりました。

ギルランダイオは、ミケランジェロの最初の先生として知られていますが、盛期ルネッサンスの三大巨匠、ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロに比べると日本ではあまり知られていない画家かもしれません。しかし当時は大変人気がありました。その証拠として、システィナ礼拝堂の壁画にギルランダイオの「モーセの生涯」と「キリストの生涯」が対になって左右の壁に描かれています。その後、弟子のミケランジェロによる『天地創造』の天井画や正面祭壇を飾る『最後の審判』があまりにも有名になったために、ギルランダイオの名前は霞んでしまいましたが、フレスコ画を得意としていたギルランダイオのもとでミケランジェロが修行したことは、このシスティナ礼拝堂でのフレスコ画制作に役立ったことは間違いありません。

ギルランダイオの代表作は実はフィレンツィエのサンタ・マリア・ノベッラ聖堂にありますが、この聖堂もダヴィンチのモナリザの制作場所となったことやマザッチョの遠近法を駆使した壁画などが有名なために、またもやギルランダイオの名前が霞んでしまっている印象があります。ところで、サンタ・マリア・ノベッラ聖堂にはトルナブオーニ家の礼拝堂があり、そこに「聖母マリアの生涯」をテーマにしたギルランダイオの作品があります。制作を依頼したのは、ジョヴァンニ・トルナブオーニという人物で、メディチ家のロレンツォ・イル・マニフィコ(豪華王)の叔父であり、当時のフィレンツェにおける有力者でした。この礼拝堂には、「洗礼者ヨハネの生涯」も「聖母マリアの生涯」と対になるように同じ場所に描かれています。これはシスティナ礼拝堂の「モーセの生涯」と「キリストの生涯」の対称性と合致するもので、当時の、そしてギルランダイオの得意なやり方であったのかもしれません。

ドメニコ・ギルランダイオ『洗礼者ヨハネの命名』(1486〜90年、サンタ・マリア・ノベッラ聖堂トルナブオーニ礼拝堂)

洗礼者聖ヨハネの誕生と命名について、ルカ福音書には次のように述べられています。

さて、月が満ちて、エリサベトは男の子を産んだ。近所の人々や親類は、主がエリサベトを大いに慈しまれたと聞いて喜び合った。八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。ところが、母は、「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。しかし人々は、「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、父親に、「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。父親は字を書く板を出させて、「この子の名はヨハネ」と書いたので、人々は皆驚いた。すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。近所の人々は皆恐れを感じた。そして、このことすべてが、ユダヤの山里中で話題になった。聞いた人々は皆これを心に留め、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と言った。この子には主の力が及んでいたのである。(ルカ1・57〜66 新共同訳)

 

【鑑賞のポイント】

(1)父であるザカリアは中央に座り、羊皮紙(聖書では書き板)のようなものに名を書き記しています。母であるエリザベトは右から2番目のザカリアと視線を合わせている女性です。その他の人物は特定できませんが、幼子洗礼者ヨハネは当時の習慣に従って、こけし人形のように布でぐるぐる巻きにされています。ザカリアの左側にいる男性たちは当時のフィレンツェ風の衣装で描かれている人物もおり、この人も注文主であるトルナブオーニ一族の一人かもしれません。

(2)建物の内部の装飾は豪華であり、大理石の柱にはフィレンツェ風の大理石モザイクの装飾を思わせるものが描かれています。

(3)背景、遠景にはトスカーナの田園風景が描かれており、アルノ川の流れも描かれています。モナリザの背景やラファエロの聖母子の背景にもよくトスカーナの風景が描かれています。

 


聖人伝3 パドヴァのアントニオ

これは、聖人をこよなく愛する姉・嘉島理華(かとう・りか)と、その弟・嘉島理貢(かとう・りく)と一緒に、聖人について学んでいくノベルゲームです。

 

【注意事項】

※パソコンでのプレイを推奨していますが、スマートフォンからプレイする場合は、全画面表示にすると見やすくなります。
※また、今回は Internet Explorer や Microsoft Edge では動作しない演出があります。Chrome、Firefox、Opera などのブラウザでお楽しみください。
※一文目が表示されるまで時間がかかることがあります。しばらくそのままでお待ちください。
※音が出ます。

 

【参考文献】
池田敏雄『聖人たちの生涯』(中央出版社 1967年)、188-191頁。
石井健吾「アントニウス〔パドヴァの〕」上智大学新カトリック大事典編纂委員会編『新カトリック大事典』(KODオンライン版)。
パドヴァのアントニウス『主日説教集・祝日説教集』伊能哲大訳、上智大学中世思想研究所編『中世思想原典集成』第12巻(坂口昴吉監修:フランシスコ会学派)(平凡社 2001)、197-272頁。
S. Clasen, “Anthony of Padua, St.” New Catholic Encyclopedia 2nd Edition vol.1 (Detroit Gale, 2002) 506-507.
K. S. Frank, “Antonius v. Padua” Lexikon für Theologie und Kirche 3.Auflage 1 Bd, (Herder 1996) 791.
H. J. Thurston S.J., D. Attwater eds., “Bulter’s Lives of Ssaints: Complete Edition” vol.II (Texas Christian Classics 1956), 534-537.
K. Zimmermanns, “Antonius von Padua” Lexikon der christlihcen Ikonographie (Hg. G. G. Martin/F. Tschochner) Bd.5 (Herder 1990), 219-225.

(企画構成・シナリオ=石原良明:聖書研究者/イラストほか=高原夏希:AMOR編集部)

 


若者とメディアと召命

2018年4月27日、カトリック麹町教会(聖イグナチオ教会)で第四回召命担当者の集い「青年と召命」が行われました。この記事は、その中のプログラムの一つ、講演『若者とメディアと召命』(講師:聖パウロ修道会 井手口満修道士)をまとめたものです。

 

メディアとは

まず、「メディア media」とは「medius」の複数形で、「仲介」や「媒体」を意味しています。最初は巫女やシャーマン、預言者などのように「神と人とを媒介する」という意味で使われていましたが、産業革命によって電話や印刷機などが発明されたことにより、18~19世紀には今のような意味で「メディア」と使われるようになりました。

メディアには、一方通行的なマス・メディアと、双方向的なソーシャル・メディアがあります。前者はテレビ、新聞、ラジオ、映画など、後者はTwitter、LINE、Facebook、Instagramなどが挙げられます。そのほかにも、人や空間もメディアと言うことができます。

 

教会とメディア

カトリック教会では、1962~65年に行われた第2バチカン公会議において、『広報メディアに関する教令』が公布されました。そこでは「出版、映画、ラジオ、テレビおよびこれに類するものは、その性質上、個々の人間だけでなく大衆や人間社会全般に影響を及ぼし、これらを動かしうる手段であるから、それらの発明の中でもとくに優れており、まさしく広報メディアと呼ばれる」(1項)と述べられています。

メディアが正しく活用されるなら、憩いとなり、精神を富ませ、神の国を宣べ伝え、人類に大きく貢献しますが、創造主の計画に反してメディアを用いるなら、人類の損失となります(2項参照)。例えば、今年の「世界広報の日」の教皇メッセージにもフェイクニュースが取り上げられています。

さらに、第2バチカン公会議は「広報のメディアに関する主要な問題を取り扱うことをその任務と考える」(2項)としており、メディアの正しい使用について人々に教示することや、あらゆる種類の広報メディアを利用し、また所有することなどが教会の任務として挙げられています(3項)。そして、「これらのメディアを正しく利用するには、それに携わる人が皆、道徳秩序の規範をよくわきまえ、この分野でそれらの規範を忠実に実践することが必要」(4項)なのです。

それは教会だけではなく、私たち一人ひとりの信徒にも当てはまります。「教会のすべての子らは……使徒職のさまざまな活動に際し、種々の有害な企画に打ち勝つために、倦まず弛まず全力を挙げて一致協力し、事由と時節の状況に応じて広報メディアを活用すること」(13項)とあるからです。

また、「メディアに携わる信徒も、精力的にキリストをあかししなければならない」(同上)とあります。現在カトリック教会には、SIGNIS JAPAN(カトリックメディア協議会)という団体や、カトリック新聞やカトリック生活といった出版物、心のともしびやカトラジ、このwebマガジンAMORなど、多数のメディアが存在しています。

 

メディアを使った福音宣教

聖パウロは、手紙というメディアを使って宣教した最初の人でしょう。そんな聖パウロの名前を冠した聖パウロ修道会は、産業革命によって生活の価値観が変わり、自由主義や近代主義によって神と宗教が否定され、人々が教会から離れてしまった時代に創立されました。創立者であるアルベリオーネ神父(Giacomo Alberione, 1884~1971)は、共産党の印刷物を使ったプロパガンダを参考にして、印刷物による福音宣教を試みます。1914年に少年たちの印刷学校が開始され、これが聖パウロ修道会となりました。

翌1915年にはテクラ・メルロという女性に協力してもらい、聖パウロ女子修道会を創立。そこに託された最初の仕事は、イタリア北部アルバ教区の教区新聞発行でした。さらに1924年には師イエズス修道女会を創立しましたが、この修道会は「人類とパウロ家族(樹)が豊かな恵み(樹液)を得るために、教会とパウロ家族の中で祈り、自己を捧げ、教会と人々に奉仕する『根』の役割」をしています。つまり、活動ばかりしていると枯渇してしまうので、祈りをもって養分を与えるということです。

この後もアルベリオーネ神父は修道会や在俗会を次々と創設し、合計10の修道会は「聖パウロ家族修道会」と呼ばれています。日本には名前を挙げた3つの修道会が来日しており、出版やインターネットショップ、売店などを通して宣教活動をしています。

 

新しいメディアと若者

総務省の調査によると、携帯電話やスマートフォン、パソコン、タブレットなど、何らかの情報通信端末の世帯保有率はほぼ100%に達します。その中で、近年、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(social networking service、以下SNSと略)が急速に発達してきました。SNSとは、インターネットを介して人間関係を構築できるスマートフォン、パソコン用のサービスの総称で、情報の発信・共有・拡散に重きを置いているのが特徴です。代表的なSNSに、前述のTwitter、LINE、Facebook、Instagramが挙げられます。

SNSを利用している年代は、20代以下~40代が多く、LINEがよく使われているようです。一方、50~60代以上はFacebookやTwitterの利用率が高くなります。自分で発信もしますが、他人が発信したものに対して「いいね」をクリックし、情報を共有するという使い方が多いようです。また、20代以下~30代が「内容が面白い」というときに多く「いいね」をクリックするのに対して、50~60代以上は「情報の信憑性が高いかどうか」「社会的に重要な内容かどうか」というときにクリックすることが多いという傾向が見られます。

 

SNSを使った召命活動

各修道会では、さまざまなSNSを使って召命活動をしています。ここでは例として、サレジオ会、イエズス会、コングレガシオン・ド・ノートルダム修道会、聖パウロ修道会のサイトが紹介されました。

サレジオ会のサイトには、「神父・修道士として生きる」という召命に関するページや、サレジオ家族の教会や学校の活動情報、ドン・ボスコ社の最新情報などをお知らせするTwitterがあります。イエズス会のサイトには、召命チームのブログや「イエズス会ボケーション」というFacebookがあり、新司祭の写真や講義の動画、召命プログラムや黙想会のお知らせなどが載っています。コングレガシオン・ド・ノートルダム修道会のサイトには「シスターになる」というページがあり、それぞれのシスターが語る「CND召命ものがたり」を動画で見ることができます(※CND:Congrégation de Notre-Dameの略号)。また、Facebookで世界のいろんな召命の情報を見ることもできます。

そして、聖パウロ修道会は最近、管区でSNSグループを作り、若いブラザーを中心にホームページを制作し、森司教様の主日の黙想などを行っています。また、神父様やブラザーに9枚のカードの中から3枚をめくって出たカードの質問に答えるというような動画や、ミサのライブ中継の動画なども配信しています。

 

ネットの中にキリストが

『広報メディアに関する教令』2項からもわかるように、SNSやインターネットを使うことは諸刃の剣であり、インターネットを危険視する人も多くいます。同じように、アルベリオーネ神父が印刷を使って福音宣教をした当時は、それをタブー視したり、どうしてそんなことをするんだと言ったりする人がいました。

しかし、聖パウロ家族修道会の聖堂には「恐れるな わたしがあなたたちと共にいる わたしはここから照らそうと望む 悔い改めの心を保ちなさい」という言葉が掲げられています。「SNSやインターネットが危険だから排除する、使わないというのではなく、SNSを使って福音宣教もできる、ネットの中にもキリストはいるということを考えたいと思います」と井手口さんは話し、特定非営利活動法人BONDプロジェクトを例に挙げました。

SNSで「死にたい」「消えたい」「必要とされたい」「寂しい」と発信し、助けを求めている10~20代の女性がたくさんいます。彼女たちに対して、「声をあげていいんだよ」「一人じゃないよ」「一緒に考えていこうよ」と応えてくれるのが、BONDプロジェクトなのです。これはまさにインターネット上における福音です。さらにBONDプロジェクトでは、その子の場所がわかればそこに駆けつけて話を聞き、シェルターで一時保護をして安心を与えるなどの活動をしています。「ここにはキリストが存在しているのではないでしょうか」と井手口さんは語りました。

 

終わりに

ヨハネによる福音書に「イエスはまことのぶどうの木」という箇所があります。「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである」(15章4~5節)。

井手口さんはこのたとえを受けて、「本当につながっていたい。それは枝としての私たちの思いでしょう。インターネットを通じて真にキリストにつながるならば、また、私たちがいい真実をインターネットで発信するならば、それは大きな実を結ぶのではないでしょうか」と講演を締めくくりました。

 

まとめ

井手口さんの講演は、今月の特集「福音を伝えるメディアとは?」にも関係する、非常に興味深い内容でした。インターネットメディアが普及した今、教会や修道会にもホームページがあり、召命に関するページも豊富になっています。こちらの記事で、教会ホームページ制作会社代表の丸山泰地さんは「ホームページは教会の玄関」だとおっしゃっていますが、同様に、修道会の玄関もホームページなのです。教会や修道会が近くになかったり、まだ一歩踏み込むことができない場合でも、そのようなページがあればイメージしやすいでしょう。

また、世の中には、インターネット上でしか世界や他者とつながることができない人や、そこで助けを求めている人がたくさんいます。それを逆手にとった悲惨な事件が起こったこともありますが、そのような人たちのために、インターネット上でも他者とつながり、声をかけることや、恐れずに福音的な内容を発信することが大事なのではないでしょうか。

(まとめ:高原夏希/AMOR編集部)

 


アート&バイブル 15:二つの聖三位一体(二つの聖家族)

ムリーリョ『二つの聖三位一体(二つの聖家族)』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(Bartolomé Esteban Perez Murillo, 生没年 1617~1682)は、1617年12月31日、セビーリャの理髪師の末っ子として生まれました。ちなみに当時の床屋は外科医も兼ねており、現在も残っている青・赤・白のクルクル回る床屋のマークは、静脈(青)、動脈(赤)、包帯(白)の象徴なのです。ムリーリョは11歳で孤児になり、姉のもとで成長し、13歳位から絵の修業を始めたといわれていますが、1640年になって、ようやく彼の作品の記録が現れてきます。

図1『無原罪の御宿り』(1678年頃、スペイン・プラド美術館所蔵)

彼の画業の業績は、大きく3つの時期に分類されます。

第1期(1650年代)
「冷たい様式」の時代と呼ばれ、自然主義の画風で描かれ、『天使の台所』『蚤を取る少年』『ロザリオの聖母』(1650年、油彩、 スペイン・プラド美術館)などが代表作です。

第2期(1660年代)
「熱い様式」の時代と呼ばれ、穏やかな安定した作風で、黄金時代とされ、その名声も高まりました。『エル・エスコリアルの無原罪の御宿り』(1660~1665年、油彩、209×173cm、スペイン・プラド美術館)は温かみのある、穏やかな表情で描かれています。

第3期(1670年代)
「薄もやの様式」の時代と呼ばれ、甘美なスタイルへ傾注していきます。背景がスフマート(物体の輪郭を柔らかくぼかして描く技法)のように描かれていて、柔らかさを感じさせます。『聖母子』(1675年、油彩、イタリア・ローマ国立美術館)、『無原罪の御宿り』(図1)、今回鑑賞する『二つの聖三位一体(二つの聖家族)』(図2)、『貝殻の子どもたち』(1670~1675年、スペイン・プラド美術館)などが代表作です。

 

【鑑賞のポイント】

図2『二つの聖三位一体(二つの聖家族)』(1675~82年頃、ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵)

(1)『二つの聖三位一体(二つの聖家族)』は、父と子と聖霊の三位一体とヨゼフ、マリア、イエスの聖家族を同時に描いている珍しい構図で(特集16の「聖家族崇敬が生まれた状況」も参照)、柔らかなタッチで描かれていますが、これは彼の作品の中でも隠れた傑作と言ってよいとでしょう。

彼の代表作はセビーリャのカプチン会やサンタ・マリア・ラ・ブランカ聖堂、カリダード施療院に残っています。いずれも暖かい色調と自在なタッチで、当時の荒んだ人々の心を癒す、優美で慈愛あふれる世界を描き出しています。

(2)聖父と聖子と聖霊の三者は縦に(垂直に)配置されています。そして聖母マリアと聖ヨゼフの二人は幼子イエスの左右という横に(水平に)描かれています。この配置は十字架の形になるのです。聖母マリアの視線は幼子イエスに注がれています。さらに幼子の右手は聖母の右手の人差し指をしっかりと握りしめています。ところがイエス様の左にいる聖ヨゼフは視線をイエス様と同じ方向に、かつやや下向きに向けています。

そして幼子イエスの左手はヨゼフが広げた掌においています。左右の聖母マリアの視線と手のポーズ、聖ヨゼフの視線と手のポーズは対照的であり、父と母のそれぞれの役割を表しているように思います。マリアの服は定番の赤と青のマントですが、ヨゼフは緑の服と大地を思わせる茶色のマントになっているという対照も面白いと思います。

 


「教会とインターネット」セミナー —インターネットが拓く新・福音宣教— が築いたもの

土屋至(SIGNIS Japan インターネットチーム)

第1回「教会とインターネット」セミナー

SIGNIS Japan は2003年より「教会とインターネット」セミナーを23回開催してきた。過去の開催場所とテーマ、講師などの履歴はこちらに掲載されている。

第13回 田園調布教会

実は私は第1回目のセミナーの講師だった。第1回目が開催されたとき、私は SIGNISの会員ではなかった。当時の事務局長であった平林冬樹神父が、勤務先のカトリック学校でホームページ(以下HPという)を先駆けて構築し、「情報」の授業と教科書の執筆も担当した私を講師として呼び出したのである。

第1回の講演で提示したことに情報の10の特質福音の10の特質がある。「3.福音は分かち合えば分かち合うほどに価値を生み出す」「4.福音にコピーライト(著作権)はない。どこにでも移植可能である」「5.福音は『センス オブ ワンダー』という心の動きとともにやってくる」というような福音の特質は今のSNSの特質を予感していた。

 

年2回のセミナー

このセミナーは当初は年2回計画された。そのうちの1回は「教会HP担当者交流会」、あと1回は「インターネットが拓く新・福音宣教」というテーマで行われた。

まずターゲットを「教会HP」に定め、全国の教会や修道会のHPの「定点観測」を4年に1回くらいのペースで過去3回行ってきた。全国のカトリック教会を検索して自前のHPの紹介であるかどうかとか更新の頻度とかそのHPの特徴などを調査した。セミナーではそうして見つけた特徴あるHPの担当者を呼んでそれぞれのHPを紹介してもらったこともある。

第15回 目黒教会

他の1回は教会HPと離れて「インターネットと福音宣教」をテーマとした。著作権の問題、大震災とインターネット、殉教者・列聖・列福をどう取りあげるか、SNS と福音宣教などをテーマとして講師の話を聞くなどの勉強会が企画された。また、これまで押川司教、菊地司教(現東京大司教)、郡山司教、勝谷司教、幸田司教を講師として講演を行った。仙台と神戸でセミナーが行われたこともあった。

ただし現在は年1回のペースとなっている。テーマも教会HPに関することよりも「SNSと福音宣教」というテーマが多くなるであろう。

 

教会HPの進化の3段階

第16回 田園調布教会 交流会

3回の「教会HP定点観測調査」を行いながら気がついたことだが、教会HPは次の3つの段階を経て進化してきたと思う。

第1期 教会の中のコンピューター技術者が担当して見栄えは今ひとつだが個性豊かなHPがうまれた。なにをコンテンツとするか考えるために、こういう技術者たちが聖書を読み出したり、神学の勉強をはじめたりというにわか勉強がはじまった。内向け(信者向け)の内容と外向けの内容とが混在しているHPが多かった。

第2期 当初の始めた人の個性豊かなページの内容が問題となり、そういう人たちを排除して主任司祭の監督の下に広報担当者が外注する「公式HP」がつくられた。教会によっては二つのHPが現れてトラブルになったところもあった。見栄えはよくなったが、おもしろい内容のないHPとなってしまった。内向けと外向けが分離して住み分けが明確になった。

第3期 公式HPは維持に経費がかかりすぎ、迅速なアップがしにくいというところから、WordPress などを使い、初期設定は業者に発注するが、更新は教会の人がするという形のHPがつくられるようになった。HPは外向けのものと割り切り、特に近隣の人が教会に訪れたくなるような内容を作り、内向けには Facebook などのSNS がもちいられるようになった。

 

教会HPのコンテンツに関して

2017年2月に開かれた第22回のセミナーは、講師として八木谷涼子さん、第23回ではBREADFISHの丸山泰地さんをお招きして話を伺った。二人の講師ともに、教会HPを新しく教会を訪れようとしているひとにフレンドリーにするためにはどうしたらいいかというとても具体的な話をされた。

第18回 平塚教会

たとえば言葉のつかいかた、教会のなかでしか通じないような言葉を多用するのはNGだとか、新しく教会をおとずれようとしているひとたちがもっとも知りたいことにこたえているか、HPで新しく来るひとをやさしく歓迎してくれそうな雰囲気がつたわってくるかどうか、そういう視点からいろいろな教会のHPを例にだして説明された。

教会HPの目的はその教会をおとずれてみたいという気にさせることであり、福音をつたえるということはそれを目的にしたサイトにリンクを貼ればいいと言いきっている。たとえば牧師や司祭の説教を音声や映像で流しているところもあるが、そのほとんどは自己満足でしかないと八木谷さんはいっておられた。

実はこの点については、私たちのセミナーとはちょっと考えがちがうと思ったのである。これまでこのセミナーでは、教会HPにはどのようなコンテンツをのせたらいいのかということに主眼がおかれてきた。それは第18回、第22回のときにシグニスレポートとして発表した「教会HPを活性化するための12の原則」として凝縮されている。


教会ホームページを活性化するための12の原則

1.教会が活性化すればするほど、教会ホームページも活性化する。そうでない場合、つまり教会ホームページは活性化しているが、教会は沈滞しているという羊頭狗肉なケースも「あり」。教会ホームページが教会を活性化することもありうる。

2.教会の建物や設備よりも、そこにどれだけ「信仰の喜び」が表現されているか、それを読み取れるホームページでありたい。

第19回 神戸中央教会

3.教会ホームページは、教会メンバーを対象とするのではなく、キリスト教を知りたいという人、教会を知りたい、行ってみたいという人の「目線」で表現され、そのニーズに親切に応えるものでありたい。

4.その教会ホームページの、ほかにはどこにも書かれていない個性的でユニークなコンテンツこそが《たから》である。どこにでも書かれているようなことは書かれているどこかとリンクをはればいい。

5.教会の信徒の《いきざまと信仰》があふれ出ている、この教会に行ってこの人と会ってわかちあってみたいと思うような内容をあふれさせよう。

6.教会と地域との関係を表した記事も貴重な《福音=good news》である。町おこしや地域行事への参加、地域で活躍している人の紹介など。その地域を知るために調べているうちに教会ホームページに迷い込んでしまったというケースが生じるのが理想的である。

7.たとえば、キリスト教や信仰についての質問が投稿されるとする。それに神父さんだけが応えるのではなく、いろいろな人があれこれと異なった答えをできるシステムがあったらいい。

8.教会で行われている「入門講座」と連動しているホームページでありたい。

9.他の教会ホームページで行われていること、かかれていることを自分の教会でもやってみて、リンクを張る。他の教会のコンテンツもあたかも自分の所のもののように取り込むというのがかしこいやりかたである。

10.教会ホームページに笑顔の写真を溢れさせよう。人の顔をぼかしたり、顔のない写真をアップするのは《愚の骨頂》である。プライバシー恐るるに足らず。

第23回 上野教会

11.ホームページに掲載する記事を主任司祭の事前検閲制ではなく、アップしたらそれをチェックするという事後報告制にする。

12.その教会の独自なテーマがあったらいい。たとえば「家族」たとえば「教会と音楽」たとえば「祈り」。そのことを知りたいならそのホームページにいけばいいというふうになったらいい。リンク集だけでもいい。たとえば「キリシタンを主人公とする小説リンク集」みたいなもの。


ここには23回の「教会とインターネット」セミナーが蓄えてきた「極上の福音」が凝縮されていると自負しているが、これを読まれているみなさんはどのように思われるだろうか。

 


特集20 福音を伝えるメディアとは?

今回は、広い意味でキリスト教とメディアの関わりに目を向けます。ウェブマガジンにとっても宿命的なテーマです。イエスが弟子たちや人々との間で行ったこと、語ったことは、やがて新約聖書という言語世界になり、以来、生きた言葉と書かれた言葉を通して福音は今日まで伝えられています。手写本の時代から印刷本の時代、やがて新聞・雑誌の時代になり、加えて映画・ラジオ・テレビの時代、そして今やインターネットやSNSと、メディアの世界は多彩かつ重層的に広がっています。そんななかで忘れられてはならないものは何なのか? ――根源にある福音への問いかけ、キリスト、神、教会への問いかけが今新たな顔を見せ始めています。その一端に目を注ぎ、問いかけの窓を開けていきましょう。

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第23回「教会とインターネット」セミナーレポート

第42回日本カトリック映画賞レポート

「教会とインターネット」セミナー —インターネットが拓く新・福音宣教— が築いたもの(2018年6月2日追加)

若者とメディアと召命(2018年6月7日追加)

 


第23回「教会とインターネット」セミナーレポート

2018年3月3日、第23回「教会とインターネット」セミナー――インターネットが拓く新・福音宣教(主催:SIGNIS JAPAN、後援:サンパウロ、女子パウロ会)が、カトリック上野教会(東京都台東区)にて行われました。

今回のテーマは「キリスト教会の福音発信術を考える」と題し、教会ホームページとSNSの現状をふまえながら、これからの方向性を考えました。この記事では、講師の丸山泰地さん(キリスト教会専門のホームページ制作サービス「BREADFISH」代表、日本同盟基督教団名古屋福音伝道教会教会員)による講演「キリスト教会の情報発信術 ~大切なのはITスキルではなかった~」をまとめています。

 

BREADFISHを始めたきっかけ

まず、丸山さんは「教会ホームページ制作の技術的な手伝いをしたいと思って、BREADFISHを始めた」と語り始めました。しかし、ホームページ制作を手伝っていくうちに「本当に必要なのは『伝える』こと」であり、「教会の案内や自分たちの魅力などをいかに伝えるかということが大事だ」と気付いたそうです。

 

「BREADFISH」代表の丸山泰地さん

教会ホームページの問題点と対策

教会ホームページの問題点として、丸山さんは「なんとなく情報発信している」「〈相手の聞きたいこと〉より〈自分の言いたいこと〉を優先している」「自分をよく見せようとしすぎ」「誰に向かって話しているのかわからない」「上から目線、説教されている感じがある、おしつけがましい」「戦略がまったくない」などを指摘しました。

その対策として挙げられたのが「〈何の目的で〉〈誰に向けて〉情報発信をするのかを明確に」「読み手との距離感を意識する」「安易に大企業の広告のまねをしない」という三つです。

 

1)「何の目的で」「誰に向けて」情報発信をするのか明確に

ホームページを作るときには何らかの目的がありますが、教会ホームページの一番の目的は「教会に来てもらうこと」でしょう。それについて丸山さんは「1サイトにつき1目的、その目的に合わない内容のものは入れない」と言います。理由は「ホームページというのは目的を持って見に来るものであり、ある程度興味があって検索した人だけがたどりつくものだから」です。例えば、教会ホームページを見るまでのプロセスは以下のようなものが考えられます。

A きっかけ……小説、映画など
B 欲求……教会に行ってみたい
C 検索……「名古屋 初心者 教会」など
D 調査……教会ホームページを見て、どんなところか調べる
E 行動に移す……実際に教会へ行ってみる

丸山さんによると、多くの教会ホームページはAに手をつけがちだと言います。つまり、聖書解説や福音宣教的な内容をホームページに載せ、キリスト教に興味を持ってもらおうとしているということです。しかし、それは「教会に来てもらうこと」とはまた別の目的であり、それも入れると「1サイトにつき1目的」を超えてしまいます。

教会ホームページを検索して調査する人はすでにきっかけがあり、A~Bをクリアしているため、教会ホームページの守備範囲はC~Eということになります。「教会に興味がない人を振り向かせるようなメッセージを入れるのはほとんど意味がない」「教会ホームページは宣教の場ではない」と丸山さんは言います。確かに、福音を伝えたいという気持ちは大事ですが、「まずは教会に来てもらうことが目的で、福音は教会に来てから伝えればいいのではないか」との考えでした。

セミナーの様子

まとめると、教会ホームページは「教会に来てもらう目的で」「教会に行ってみたいという興味を持っている人に向けて」情報発信している、ということになります。したがって、教会ホームページを「教会に興味を持っている人が安心して教会に足を運べるようにするためのツール」であると考えれば、自然とどのような内容を載せればいいのかがわかってきます。

 

2)読み手との距離感を意識する

これは端的に言えば、「読み手に寄りそって、相手の視点でホームページを作る」ということです。

初めて教会に来た人と教会には、信頼関係がありません。そこでいきなり「信じませんか?」などと尋ねても、おそらく「はい」と答えてはくれないでしょう。それはホームページにおいても同じであり、教会に初めて行こうとしている人には、まず信頼感や安心感を持ってもらうことが大事だと丸山さんは言います。

そのためには、初めての人でも安心して教会に来てもらえるような文章を書くことが重要になります。信仰の押しつけがないことを伝え、あまり専門用語を使わないようにして敷居を下げ、服装・持ちもの・所作・ミサや礼拝の手引きといった具体的なことが書いてあるといいそうです。

 

3)安易に大企業の広告をまねしない

広告には、ブランドイメージをアップするための「イメージ広告」と、読み手の反応を得るための「レスポンス広告」があります。前者はある程度知名度がある場合に使うものですが、教会はまず知名度や信頼を得ることから始めなければならないので、具体的・説明的・機能的なレスポンス広告のほうがよいと丸山さんは言います。

そこには「共感」「信頼・安心」「効果(結果)」「期待する行動」という四要素を入れるといいらしく、特に「期待する行動」は明記しておいたほうがいいとのこと。例えば「どなたでも安心していらしてください」「お気軽にどうぞ」「献金をお願いしています」といった具合です。

 

SIGNIS JAPAN顧問司祭・晴佐久昌英神父

教会ホームページはどのように運営すればいいのか

次のテーマは教会ホームページの運営方法です。丸山さんは「毎日更新しなくてもいい」「文章をたくさん書く」「ホームページからあたたかくもてなす」といったポイントを挙げました。

 

1)毎日更新しなくてもいい

ホームページを作っていると、「毎日更新すればアクセス数が増えるのでは」と思いがちですが、今まで想定してきた読み手のことを考えると、教会ホームページを毎日見にくるという人はほとんどいないでしょう。

したがって、「一人の人が教会ホームページを見にくるのはたった一回だと考え、その〈たった一回〉で相手の聞きたいことを伝えるのが重要」だと丸山さんは述べます。そうなると、「最初の作り込みが大事であり、それを改善していくことが大事」になってきます。また、改善するということは必然的に更新するということにもなります。

 

2)文章をたくさん書く

ほかにも、「文章はあまり読んでくれないだろうから、画像や動画を増やそう」と思うことがありますが、前述のように、ホームページの特性は「まったく興味のない人は来ない=ある程度興味のある人が来る」です。したがって、そのような人たちは文章を読んでくれるので、相手の知りたい情報をきちんと書くことが重要になってきます。

読みやすくするため、あるいはわかりやすくするために写真や画像、動画を入れる必要もありますが、それらはあくまで主役である文章を引き立てるための脇役だと丸山さんは語ります。

 

3)ホームページからあたたかくもてなす

読み手がホームページを開いて自分のニーズに合わないと思うと、すぐに離れてしまうので、読み手がどういうきっかけで検索するか、どんなニーズがあるかといったことを想定しながらホームページを作ることが大切になってきます。「読み手との距離感を意識する」で挙げたことのほかにも、トップページに読み手が検索しそうなキーワードをちりばめることで、検索エンジン対策にもなります。

このように、教会に足を運ぶ前から、つまりホームページからあたたかくもてなすことは非常に重要であり、「ホームページは教会の玄関」だと丸山さんは考えています。集会案内の時間・内容・目的などをわかりやすく丁寧に説明するなど、そっけないデータではなくあたたかみのある言葉を載せ、集会の様子を撮影した写真や動画で実際の教会の中が見えるほどにオープンにすることによって、相手に安心感を与えることができるということです。

ほかにも、Googleアナリティクスなどの解析ツールを使うことによって、どのようなキーワードで検索されたか、どのくらいの時間いたか、年齢層や男女比はどうかなどを調べ、より読み手のニーズに合った改善ができるとのことです。

 

セミナーの様子

ホームページで福音は伝えられないのか

丸山さんは「教会ホームページは宣教の場ではない」と述べましたが、ホームページで福音は伝えられないのか、教会のホームページなのにそういうものがないのは変ではないか、という疑問が浮かびます。それに対して丸山さんは、「そのようなホームページも可能だが、教会ホームページとは分けて作ったほうがいい」と言います。

ここで押さえておきたいのは、今回丸山さんがお話しくださった「教会ホームページ」とは、各地に存在する教会(小教区)の案内のようなものであり、上記C~Eをカバーするものだということです。一方、A~Bを担っているものとして有名なのは上馬キリスト教会のツイッターですが、それもやはり教会ホームページとは別の独立したサイトととらえたほうがいいでしょう。

 

教会ホームページにとって大事なこと

最後に丸山さんは、「教会ホームページにこそ愛が必要です。愛を伝える教会のホームページに愛がないのは残念なこと。初めての方々の立場に立ちきって、ホームページからおもてなしを始めていきましょう」と講演を締めくくりました。

(文:高原夏希/AMOR編集部)

 


第42回日本カトリック映画賞レポート

2018年5月12日、第42回日本カトリック映画賞授賞式&上映会(主催:SIGNIS JAPAN、後援:カトリック中央協議会広報)が、なかのZERO大ホール(東京都中野区)にて行われました。

1976年に始まった日本カトリック映画賞は、毎年、前々年の12月から前年の11月までに公開された日本映画の中で、カトリックの精神に合致する普遍的なテーマを描いた優秀な映画作品の監督に贈られます。今回の授賞作は、長谷井宏紀監督『ブランカとギター弾き』です。また、シグニス特別賞が松本准平監督『パーフェクト・レボリューション』に贈られました。

 

『パーフェクト・レボリューション』授賞理由

SIGNIS JAPAN(カトリックメディア協議会)の顧問司祭である晴佐久昌英神父は『パーフェクト・レボリューション』の予告編を観て、「初めてこの映画を観たときの感動がよみがえりました」と話し始め、続けて「人間は素晴らしい。可能性がある。人と人が出会うことは素晴らしい。未来がある。私たちは本当に何があっても神様によって出会わされている、そのような家族なんだ。そんな思いを持たせてもらった映画です」と語りました。

シグニス特別賞『パーフェクト・レボリューション』の松本准平監督

この映画は、体の障害を持っている人と心の障害を持っている人の出会いを描いた作品ですが、私たちにも躊躇や恐れ、ひるむ気持ちがあり、障害を持っている人たちと上手くつながったり向き合ったりできないことから、「もしかして、私たちみんな恐れているという意味では障害者なんじゃないか」と晴佐久神父は指摘します。

そして、「そこを超えてつながることができたら、この世界はどんなに変わっていくだろうと。まさにパーフェクト・レボリューション。完璧な、完全な革命。神の国はもうすぐそこだ。私たちが障害を超えて、恐れを超えて、つながるならば」と、そのような可能性を見せてくれたことに対する感謝を述べました。

 

『ブランカとギター弾き』授賞理由

次に『ブランカとギター弾き』の授賞理由について、最近涙もろくなったという晴佐久神父は「もう何か申し上げるまでもないという思いでここに立っております」と言い、「今の自分にとって、私たちにとって、教会にとって、この世界にとって、一番大事なことがこの映画の中にこめられている。それを今観て改めて感じて、やっぱり私たちにとって人と人が本当に家族としてつながる、それが何より価値のあることなんだという、当たり前と言えば当たり前なんだけれども、一番この世界が忘れてしまっていることを思い起こさせてくれた」と力強く語りました。

第42回日本カトリック映画賞『ブランカとギター弾き』の長谷井宏紀監督

また、「最後にまったく血縁じゃない三人が、血縁の家族以上につながっているシーンは、私たちにとって本当に大きな励まし、希望、私たちもできるはずというようなそんな力になると、そう感じました」とも述べています。

この作品は上映前にSIGNIS JAPANの土屋至会長から紹介があったように、舞台も役者も言語もすべてフィリピンであり、唯一の日本的な要素は監督が日本人だということです。それについて晴佐久神父は、現在ご自身が力を入れている「福音家族」について説明したあとで、「この映画がそのような本当の家族をもたらす力を私たちに与えてくださるという思いで、この作品に自信をこめて、皆さんも納得していただけたと思いますけれども、シグニスから日本カトリック映画賞を差し上げることといたしました」と、この映画の授賞理由を述べました。

 

ピーターとの出会いと奇跡

晴佐久神父と長谷井監督の対談は、「いつもですと、もうちょっと冷静にお話しができるんですけど」という晴佐久神父のあふれる想いから始まりました。上映が終わったあとの休憩時間に初めて監督とお会いしたという晴佐久神父は、感激で涙が止まらなかったそうです。

話はまず、晴佐久神父の「どうしても聞きたいこと」であったピーターの話題から。映画の中のピーターを演じているのは、キャラクターと同じ名前のピーター・ミラリという人物です。生まれつき盲目だった彼は、8歳で両親を亡くして孤児となり、生きるためにお金を道端で集めて回ることから人生が始まったといいます。

そんなピーターと長谷井監督の出会いは、マニラにあるキアポ教会の地下通路でした。「彼は小っちゃい子にお金の番をさせて歌ってたんですけど、そのときに『この人と映画を作ってみたいな』と」監督は思ったそうです。それは、偶然にも短編映画の登場人物である盲目のギター弾きを演じる役者を探していたときでした。その後、『ブランカとギター弾き』を撮影するためにピーターを一ヶ月半かけて探し、再会。見つけたときは非常に嬉しかったし、ピーターも「また帰ってきたんだね」と喜んでいたそうです。

授賞式の様子

晴佐久神父が「監督とピーターとの出会いがね、すべてじゃないですか。ほかの誰か、役者がやってもこういう映画にならなかったと思うし、最後に『ピーターの魂は映画と共に全世界を旅している』っていうのを読んで、またぐっときて」「神がかってるっていうか、特別な力がすごく働いている作品だなっていうのは観ていてとっても思いました」と述べると、長谷井監督も同意し、「ぼくも撮影する日々の中で、本当にそういう奇跡がきらきらと毎日見えていたので、本当に良い時間を過ごさせてもらったなって」と話しました。

この映画と同じようなことがピーターの人生に起こっていたというのも、奇跡の一つでしょう。ピーターがキアポ教会の前でギターを弾いていると、11歳の女の子が毎日自分の近くに来て歌を歌い始めたそうです。ピーターは「自分はそれでお金を稼いでいるから来るんじゃない」と言ったそうですが、それでも毎日女の子が来るので一緒に稼ごうということになり、教会の前で一緒に歌っていました。そのうち、マカティのクラブのオーナーに誘われてそこでパフォーマンスをしていると、その女の子は大阪から来たカップルに養子に迎えられていった、ということがあったそうです。

何も知らずに脚本を書いていた監督は「そのときはもう鳥肌が立つというか。結局自分が書いてることに何かを招き入れたのか、それとも、何かある場所に招かれたのか、それはちょっとどっちなのかわからないですけど」と言うと、「何かそういうものを呼び込む力というか、選らばれし者みたいなオーラがあるような気がしますけどね」と晴佐久神父はコメントしました。

 

セバスチャンがいた!

ジョマル・ピスヨ演じるセバスチャンは晴佐久神父のお気に入りキャラクターですが、彼を見つけるまでに二ヶ月かかったそうです。「11歳の歌を歌える少女ブランカ」の役に「25歳のアクロバットができる男性」が来るなど、オーディションがなかなか上手くいかず、最終的には監督自ら街を歩きながら役者を探したとのこと。

最初は通り過ぎてしまったそうですが、何かぴんと来るものがあったらしく、引き返して演技をしてもらったところ、「アドリブがどんどん入ってきちゃって止まらない」「フィリピンのクルーも驚いていて、『彼は本当に才能がある役者だ』と言っていた」というほど天性の才能を持っていたと言います。そのとき、監督は「セバスチャンいた。いたんだ」と思ったとか。撮影中に急にいなくなるというトラブルもありましたが(海で泳いでいたそうです)、撮影を始めると一発OKというプロフェッショナルぶりも発揮したそうです。

SIGNIS JAPAN顧問司祭の晴佐久昌英神父

晴佐久神父は「自由で、やさしくて、そして一番大切なことを本人が知らずににじませている存在みたいな、とても新鮮なものを感じました。セバスチャン見つけてくれてありがとう。だから最後にセバスチャンが一緒にいて、またあれがツボでね」と嬉しそうに語りましたが、当初そのラストシーンにセバスチャンは出てこない予定だったそうです。「あの最後のカットはブランカの笑顔と涙っていうのは決めてたんですけど、あそこにセバスチャンはいなかった。ただ撮影をしていく中で、セバスチャンっていうものが本当に大きくなって」と監督は言います。

そのほかにも即興の演技やシーンがいくつも生まれたとのことですが、現場には通訳の人がいなかったため、「本当に言葉じゃなくて、映画って感覚っていうか感情っていうか、それが本当にとても重要」だと感じたとのことでした。

 

子どもたちの本当の豊かさや幸せを伝えたい

「今、日本の若い人たちはすごく狭い世界で常識の中にとらわれていますが、監督自身もお若いのに、こういう自由な発想があったり、フィリピンのストリートチルドレンの中に飛び込んでいったりして、神が降りてくる映画を作っちゃう。その秘密がね、どこにあるんだろうってすごく不思議な気がするんですよね」と疑問を投げかけた晴佐久神父。

それに対して長谷井監督は、基本的にお金を持たない旅なので、いろんな国のスラムや道端で人と出会ってきたと言い、中でもフィリピンのゴミの山で出会った8歳の少年のエピソードを挙げました。なんでも、ゴミの山で仕事をしていた子どもたちにアイスクリームを買うためにポケットから財布を出そうとしたところ、その少年に止められ、「コウキの分は俺がおごるよ」と言われたそうです。そのとき、監督は「この人たちかっこいいなって。世代っていうか、年齢ではないというか。本当にぼくはあそこの子どもたちの力に素晴らしいものを見た」と思い、「それをやっぱりお伝えしたいなっていう気持ちで(この映画を作った)」と言います。

さらに、「子どもたちの中に本当にすごく光る美しいものがあって、彼らの視点から社会を見たときに、何か伝えられるものはないかなっていうのがこの映画で」とも語り、「やっぱり子どもたちの本当の豊かさというか幸せ、そういうことを訴える映画っていうのが監督の今後の一つの(目標ですか)」と晴佐久神父が問いかけると、「そうですね。一つ、それは続けていきたいなと」と監督は答えていました。

 

対談の様子

長谷井監督の不思議な魅力

会長挨拶の中で、『パーフェクト・レボリューション』の松本監督がクリスチャンであることが紹介されましたが、実は長谷井監督もクリスチャンです。「先ほどうかがったんですけど、洗礼を受けてらっしゃる?」と晴佐久神父が尋ねると、「そうなんですよ。セルビア正教」と答えた長谷井監督。

長谷井監督の短編映画を気に入った映画監督がセルビアでリゾート経営をしており、そこで2年ほど食事と寝る場所を提供してくださったそうです。そのときに「コウキ、洗礼を受けてみる?」と言われ、「やってみようかな」と思ったのだとか。「セルビアの新聞の一面に載ったんですよ。日本人が正教の洗礼を受けたっていうのが、本当にもう新聞の一面にばーんと。セルビアにいた日本の大使館からも電話がかかってきて、長谷井さん今めっちゃ注目受けてますよって(言われた)」と当時のことを振り返りました。

そんな監督について、晴佐久神父は「何か最初ぱっとお会いしたときに、イエスさまに会ったような雰囲気が漂っていて。不思議な方ですよね」と印象を語り、「今ここの会場内のみんながきっとこの監督を応援したいってね、心から思っている」と続けると、会場からは拍手が起こりました。

最後に、晴佐久神父は「是非一層の素晴らしい作品を送り出してほしいと思いますし、ともかくピーターに会わせてくれてありがとう。ブランカに、セバスチャンに会わせてくれてありがとう。そういう思いでいっぱいです」と感謝を述べました。そして、「私たちももうちょっと街角ではっと出会うね、セバスチャンと深いかかわりを持ちたいし、通り過ぎるんじゃなく、ピーターと何かこう家族のように触れ合えるそんな恵み」を大事にしたいと言うと、「そうですね。それが広がっていけばどんどん幸せな力が広がっていって、過ごしやすい日常がどんどん増えていくんじゃないかなと」と長谷井監督も同意し、対談を終えました。

(文:高原夏希=AMOR編集部/写真提供:生川一哉)

 


アート&バイブル 14:うさぎの聖母

ティツィアーノ『うさぎの聖母』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

図1:ティツィアーノ『聖母被昇天』(1516~17年、サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂所蔵、ヴェネツィア)

今回は、宗教画に登場する脇役や小道具などに注目してみたいと思います。鑑賞する作品は『うさぎの聖母』(鑑賞のポイントとあわせて、図2参照)です。その作者はヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ(Tiziano Vecellio, 生没年1490頃~1576)です。

ティツィアーノは、イタリアの北、アルプスに近い小さな村で生まれました。10歳でヴェネツィアに行き、絵画を学んでいます。当時、ヴェネツィアには、ジョルジョーネ(Giorgione, 1476/78~1510)やベッリーニ(Giovanni Bellini, 1430/35~1516)というような偉大な画家が活躍していました。ティツィアーノはジョルジョーネの助手として壁画装飾に参加していましたが、ジョルジョーネ、ベッリーニの没後、ヴェネツィア派の巨匠として活躍します。豊かで、穏やかな色彩を特徴とするヴェネツィア派ですが、ジョルジョーネとティツィアーノは自然の光、自然との調和を強調する独自な画法を作り上げています。

ティツィアーノは、それまでの形式的な祭壇画の構図を無視して、革命的とも言うべき、ダイナミックな表現方法と鮮やかな色彩を取り入れていきました。やがて、1516年から26~28歳で手がけた『聖母被昇天』(図1)の祭壇画は、ジョルジョーネやベッリーニをもしのぐといわれるほどの出来栄えでした。ヴェネツィアの人々は、この絵が完成したとき、ヴェネツィアのかつての栄光が失われつつある中で、大きな勇気と希望を奮い起こすことができたと伝えられています。

 

【鑑賞のポイント】

この作品は74×84cmという大きさで大きな聖堂に飾られるためというものではなく、ある個人からの依頼で作成されたもので、その人の家に飾るための宗教画だったのではないかと想像されます。そのためか描かれている題材はまるでピクニックに出かけた聖家族の一場面のようなのどかで楽しげな雰囲気です。

図2:ティツィアーノ『うさぎの聖母』(1530年、パリ、ルーブル美術館所蔵)

(1)母マリアは右手を、幼子イエスを迎えるように差し伸べています。左手は膝もとにいる白いうさぎを抱きかかえています。幼子イエスは母の手にある白いうさぎに興味を引かれている様子です。

(2)当時、うさぎは雌雄同体だと信じられており、処女性を失わずに繁殖することができると考えられていたために、聖母マリアと関連づけられていたのです。

(3)母マリアの足元にはバスケットが置かれており、そこにリンゴ・ブドウ・イチジクなどの果物が見えます。いずれもアダムたちの原罪のエピソードとイエスによる贖罪を連想させる果物です。

(4)マリアたちの背後にヨゼフらしき男性が座っており、そのそばには羊たちが描かれています。「世の罪を取り除く神の小羊」というイエスの使命が暗示されています。

 


一本足打法から生まれた快挙——王貞治

鵜飼清(評論家)

メジャーで活躍する大谷翔平選手に注目が集まっています。二刀流をメジャーで実現する大谷選手は、きっとベーブルースの記録を超えてくれることでしょう。

私が野球で記録ということを意識するときに浮かんでくるのは、王貞治選手のことです。私たちの世代では、巨人軍のV9を達成した立役者として、ON(王と長嶋)は忘れられない存在です。

『スポーツニッポン』号外(1980年11月4日)

王さんは、早稲田実業高校のピッチャーとして甲子園のマウンドを踏みました。そして、1954年に巨人軍に入団しました。そのとき投手から一塁手になったのです。

それまで巨人軍の一塁手は川上哲治さんが守っていて、ここに名実ともにホームランバッターのバトンタッチが行われたわけです。しかし、王さんのバッティングは最初3年間振るいませんでした。そこで荒川博コーチとの特訓がはじまります。

「やる気があるなら、3年間は俺のいうことを黙って聞けッ」と言われ頷く王さん。

「お前のヒッチ(もう一度余計にキャッチャーの方へ身体をひねってしまう)の癖は直りそうもない。とすればだ。最初から打っていく構え、もうこれ以上はヒッチのできない構えで打つ方法もあるのだ」「こういうホームではどうだ」荒川コーチは片足で立って素振りをしました。この奇想天外の打法が「一本足打法」のはじまりでした。

そして王さんは「もう、これ以上底がないというところまでいっていたから、一本足打法なんて、誰もやったことのないものに踏み切れたのだと思います。これが、2割7、8分の打率で、ホームランを20本ぐらい打っていたら、大打者とまではいかなくても、まあ、プロ選手として通ります。そこそこプロ生活ができていれば、そういう冒険はできなかったでしょうね。一本足で、初めてやった日(1962年7月1日対大洋戦)に、3本ヒットが打てたんです。うち一本は、ホームランでした。この日、4-0をくっていれば、一本足打法はなかったかもしれない」と語ります。

どん底からの起死回生には、こんなエピソードが残っているのです。

『劇的人間』(安部敏行編著 マルジュ社 1981年刊)より

私が王さんのファンだったから、このようなエピソードが印象にあるのはまちがいないのですが、それにはもう1つの理由があります。私が編集した『劇的人間』(安部敏行編著 マルジュ社 1981年刊)で安部さんが王さんに聞き書きした文章が載せられているからです。そのなかから、王さんの回想として、1つ紹介しましょう。

「いつも若々しくて、なにかXめいたものを秘めていると人に感じさせ、自分ではそうあるべく努力するのが、プロにとっては大事な条件であるとともに、コンスタントに高成績を上げることができるポイントじゃないかって、ぼくは考えています。それで、74年型とか、75年型という、その年の打法をやることにしているわけです。年とともに、顔も考え方も違ってくるでしょ。それと同じようにバッティングも変える。65年のときの成績が最高だったからといって、そのときのバッティングを、いまやるのは無理があります。それから10年という経験を積んできているし、肉体的にも違ってきています。現在は、現在の最高のバッティングをやる、という方がいいんです」

王貞治選手は1980年に現役引退をしました。首位打者5回、本塁打王15回(連続13回を含む)、打点王13回、三冠王2回(2年連続)、終身打率3割1厘、通算本塁打868本などの大記録を残してユニホームを脱いだのです。