アート&バイブル 13:聖母子

ピーテル・パウル・ルーベンス『聖母子』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

今回、紹介する絵は、ルーベンス(Peter Paul Rubens, 生没年 1577~1640)の作品です。前回紹介したボッティチェリの「書物の聖母」と同じようなモチーフですが、ルーベンスが描くとボッティチェリの作品とは異なり、あくまでも明るい、そして温かみのある聖母子の絆となります。

ルーベンス(主に活躍したフランドルの言葉[オランダ語]ではリュベンス。ルーベンスはドイツ語読み)が生まれたのはドイツのジーゲンでした。両親はプロテスタントでしたが、カトリックに転会し、やがてルーベンスはカトリックとプロテスタントの両世界に認められる画家となります。また外交官としても働いた人物です。

彼の絵は生命力のある色使いが特徴で、幼子の肌の色は生き生きとしています。また彼は合作も多い画家で、人物をルーベンスが描き、その周りの風景や植物を他の画家が描くなど、現在では思いもよらない形の作品も多いのです。これも彼が社交性に富み、人から好かれる人柄であるがゆえに可能だったことなのです。

 

【鑑賞のポイント】

(1)体温が伝わってくるような幼子の体
幼子は全くの裸で、母の乳房に顔を寄せています。やわらかな幼子の体と母の乳房のやわらかさと温かさが感じられるほどです。幼子は一番、安心できるものに包まれて幸せそうにほほえんでいます。

ピーテル・パウル・ルーベンス『聖母子』(1624年、ベルリン美術館所蔵)

(2)聖書の頁をめくる聖母の手
母の胸に顔をうずめていた幼子が、母の手が何かをしていることにふと気がつきます。聖母の手はパラパラと音が聞こえるような様子で、聖書の頁をめくっています。「聖書のいろいろな箇所にあなたの事が書いてあるのよ」というような姿にも見えます。その聖書の各頁は美しく装飾されています。すなわち、今、この聖母子が立っている周りの風景と同じく、聖書の各頁の周辺には花や植物の絵が描かれているのです。聖母子のいる世界と聖書の世界がつながっているのです。聖書を開く時に、この世界にも花が開く(平和で豊かな世界が実現する)のです。

(3)聖母の表情に浮かぶほほえみ
ボッティチェリの聖母がどこか拭いきれない憂いを含んでいるのに対して、ルーベンスの描く聖母の表情には暗さがありません。ルーベンスが生きた時代も決して平穏ではなく、キリスト教世界もカトリックとプロテスタントが激しく争っていました。にもかかわらず、その両者を知るルーベンスは「同じ聖書を基礎としている信仰ですから必ずや和解し、一致することが出来るのです」と言わんばかりのメッセージを込めているように思います。

(4)聖書と同じ机の上におかれた果実
絵の右隅にはブドウやザクロ、リンゴのような果物が描かれています。マスカットのような緑色のブドウもあれば、巨峰のような濃い紫色のブドウもあります。色は異なっても同じブドウ、つまりカトリックもプロテスタントも同じことという意味が読み取れるのではないでしょうか。

 


マザー・テレサにあずかるご復活とは

末森英機(ミュージシャン)

その昔、カルカッタ。今はコルカタ。中心街にほど近い、ボウズロードという、比較的、イスラム教の人々が多い、そのメインストリート沿いに、マザー・テレサの本部がある。その一階に、マザーの棺が納められる部屋。質素(じみ)で、まったく飾り気のない安置所が設けられている。履き物をぬいで、はだしになり、その敷居をまたぐと、毎回、込み上げてくるのは、いったい、なんだろう。悲しみではない。苦しみではない。喜びとも違う。つつましいものに、ならざるをえない、という涙に似たもの。あるいは、魂のゆくえが、知らせてくれる言葉にならない、祈りのようなもの。それとも、迷いの眠りから、はっと目覚める、ひとが神の御計らいと呼ぶようなもの。いただける復活。たしか神は、善悪を復活の日に与えると、約束されていたけれど。

毎朝、夜明け前の祈りの時間を過ごす。たくさんの、さまざまな国から見えた、ボランティアに参加する老若男女。祈りの場の1階にある、マザーのお墓に、一歩足を踏み入れるたび、胸に込み上げてくる。のどをつまらせる。もうとっくにマザーは亡くなられているのに、こんなにもたくさんの人々が、あとを絶たない。神の心にかなう心と、かなわぬ心というものが、あるだろうか? 神のことで、苦しみを覚えた瞬間、たったひとつの小さな埃でさえ、神の蒔く砂糖の粒をえられるものなのか? マザーはその答えとなった。いただける復活を生きる、生きなさいとほほえんでいらっしゃる。

なにが、人を幸せにしたいと思っているのか? それを知ることができるのか、復活を生きれば、生まれ変わるというのが、この岐路にあるということに気づかされるのだ。当時、マザーがカーリーテンプルを巡るスラムに漂いでたときに、飢え渇く者たちを、満たそうとすることは、正気の沙汰ではなかった。復活というステージを与えられたとき、彼女は思った。本当に憎まなければならないものが、何かを知ることで、罪人(つみびと)を罰しないというキリストの声を自分のものにできると。それが、復活を呼び寄せると。神はみずからを贈ると。だから、わたしたちは、光でできていると。

花びらで「JESUS I TRUST IN YOU」と書かれたマザー・テレサの墓。毎朝シスターによって書かれ、その日ごとに言葉が変わる(写真提供:町田雅昭)

わたしたちは、少しの混乱と、無とその闇を破ることのできない、あいまいなまなざしをいつも捨てることができないでいる。いただく復活。否、それが共通の人間性を持たせているということもできる。だから、宗教が生まれ、祈りをもらい、疑わしい選びに振り回され、衝突と沈黙を常とする。人に刻印される裏(面)と表(面)、それすらも申し分のない奇跡ではないか。いかしいただける復活。信じられるものすべては、存在する。数え挙げることもできないほどの。あずかる復活。

与え、そして激しく奪う、人は肉体を脱ぎ捨て、灰に変わる。肉体は死そのもの。神のみ言葉はいつも、時と場所にふさわしく、神に奪ってきてもらうもの。力ずくで奪ってきてもらうもの。マザーはそのとき、深くこうべを垂れる。とげを抜くために、使ったとげを捨てるような神のため。それは、マザーのほほえみのように、神がまるで、風のなかを行き来するように。主のみ名がとなえられる。それはいただける復活。心がやさしく、やわらぐことができないのなら、その人の心は石。

かつて生まれてきた、また、今生まれつつあり、やがて生まれてくる、普通の人にとっては、神のなされようは、とても解釈のおよばぬものとなり。けれど、このマザー・テレサの前で、こみあげてきて、喉をつまらせるもの。復活にあずかる。人の望むすべてが、得られる場所。

 


アート&バイブル 12:書物の聖母

サンドロ・ボッティチェリ『書物の聖母』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

2016年1月16日~4月3日、日伊国交樹立150周年記念企画として、ボッティチェリ展が東京都美術館で開催されました。そのポスターに掲載されていたのがこの「書物の聖母」でした。ボッティチェリ(Sandro Botticelli, 生没年 1544/45~1510)というと、宗教画になじみの薄い日本では、「ヴィーナスの誕生」(図1)や「プリマベーラ(春)」などギリシャ神話を題材とした、いかにも泰西名画的な作品が人気のようですが、この展覧会によって聖母を描く作品も新たに注目されたといえるかもしれません。

図1:サンドロ・ボッティチェッリ『ヴィーナスの誕生』(1483年頃、フィレンツェ、ウフィッツィ美術館)

ボッティチェリはフィリッポ・リッピ(Fra Filippo Lippi, 1406頃~1469)を師として絵を学び、それゆえリッピの描く甘美な聖母の表情、姿を引き継いでいます。当時、聖母を描く時の甘美さにおいて定評があったのはぺルジーノ(Perugino, 1445/50~1523)ですが、こちらの弟子にはラファエロ(Raffaello Sanzio, 1483~1520)がいます。ラファエロがマドンナの画家と呼ばれますが、ボッティチェリもラファエロに劣らぬマドンナの画家の一人です。

この絵は窓辺に聖母が腰をかけ、ひざに抱いた幼子イエスに聖書のことばを読み聞かせているという姿です。聖書のことばを読んでいる時、聖母は、ふとこの幼子はやがて全人類の救いのために犠牲として捧げられなければならないということに思いが至り、ことばが止まってしまった様子に気づいて、幼子が聖母を見上げて何かを語りかけているように見える作品です。

 

【鑑賞のポイント】

(1)聖母の光輪とベール
聖母の頭の背後にある光輪は金色で、繊細なレースのように描かれており、ボッティチェリらしい優雅さにあふれています。聖母の肩にかかるベールも半透明で、聖母の髪を半ば隠そうとしながらもその優美さは隠しきれない美しさとして描かれています。聖母のマントの肩には星の姿が描かれています。

サンドロ・ボッティチェリ『書物の聖母』(1483年、ミラノ、ボルディ・ベッツォーリ美術館所蔵)

(2)聖母の表情
この聖母の表情こそ、ボッティチェリの特徴、得意とするところです。ボッティチェリの描く聖母の顔には、かすかな憂いを含んでいます。しかし、それは恐怖や不安ではなく、あくまで憂いなのです。この幼子の過酷な運命、しかしそれが神の御心ならば、人間の目には悲劇的なものであろうとも、その先にあるものを信じようとする聖母の心の動きが憂いという表情の源となっているのです。

(3)聖母を見上げる幼子
聖母の声が止まってしまったことに気づいて、幼子が聖母の顔を見上げています。幼子の左手には三本の釘と茨の冠があります。この幼子が救い主として、その使命をどのように実現するかについて、イザヤ預言書の52章13節から53章12節にある「苦しむしもべの歌」(第四のしもべの歌)にイエスのメシアとしての自己理解が示されています。幼子は「お母様、心配なさらないで下さい。これらの苦しみを通してメシアは復活することになるのです。それによって御父は栄光をお受けになるのです」と語っているように見えるのです。

(4)聖母の手と幼子の手
聖書におかれた聖母の右の手と幼子の右手が重なっており、この聖母子の絆の深さがさりげなく、描かれています。その上には白と赤のバラの花も飾られています。

 


特集19 復活のリアル

復活節も終わりに近づく今、復活というテーマに向けての思いを寄せていきます。普通の生活感覚、言語感覚で、教会でいわれる言葉を考えるとどうなるのか、そんなアプローチが必要となる最大のテーマの一つが「復活」ではないでしょうか。キリスト教の真理の中心を示す言葉、しかし、そこから人生のリアリティーに迫るには一つも二つも発想の展開と視野の拡大が必要となるのかもしれません。

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「起こされて生きる」こととしての復活

母と暮せば

マザー・テレサにあずかるご復活とは(2018年5月15日追加)

 


「起こされて生きる」こととしての復活

「立ち上がる/起き上がる」という動詞

「復活」は、キリスト教の重要な信仰内容を表す代表的な言葉とされています。「キリストの死と復活」、あるいは信条(使徒信条)中で宣言する「からだの復活を信じます」というところなど。典礼で聞く言葉としても、聖書の訳語としても「復活」は用語として定着しています。かつて「よみがえり」ということばが使われていたのに対して、「復活」に統一されたという経緯もあったようです。

とはいえ、こうキリスト教のある意味で“定番用語”になりきってしまうと、逆にキリスト教の教えの奥座敷に鎮座しているようでもあり、それが、わたしたち一人ひとりの生き死に痛烈にかかわっているという実感が湧いてこない一面もあるのではないでしょうか。

「復活」という日本語(訳語)で意味されることのリアリティーはどうしたら見いだせるのでしょうか。ちょっと調べてみると、なかなか刺激的です。新約聖書で「復活する」を表す動詞は二つあり(アニステーミとエゲイロー)、どちらも「立ち上がる」「起き上がる」あるいは「立ち上がらせる」「起き上がらせる」「起こす」という意味のものです。エゲイローには「目を覚ます」という意味もあるとすれば、日本語の「起こす」「起きる」がそれだけで対応します。復活とは「起こされること」。基本の語義がそこにあるとすると、いろいろな事象への連想が広がっていきます。

参考にラテン語で復活を表すレスレクティオ (resurrectio) はレスルゴーという動詞に対応するものです。スルゴー(立ち上がる・起き上がる)に「レ」がついて「再び立ち上がる・起き上がる」の意味になっています。「再興する・復興する」という大きな事柄も指す語です(フランス語や英語もこのラテン語をそのまま導入して、キリスト教の「復活」を指す言葉として定着しています)。

もう一つドイツ語を見てみるとキリスト教の「復活」を表す単語は「アオフエアシュテーウング」(Auferstehung)。これもキリスト教用語「復活」の定番用語ですが、動詞アウフエアシュテーエンは (auferstehen) はやはり「立ち上がる/起き上がる」で、病気から「立ち直る」、廃墟から「復興する」などの意味でも使われるのです。こうしてみると、だいたい同じような現象に触れる単語であることがわかります。

 

「再」と「リ」の時代への福音

なぜ新約聖書で、復活が「立ち上がる/起き上がる」という語で表現されるかについては、聖書の背景にある死生観を見る必要があり、そこでは、死ぬということが、しばしの間、横たわること、眠ることと考えられています。それでこそ、その状態から「起こされ、立ち上がる」ことがまさしく命への回帰・復帰、復活だということになるのです。

さて、復興という意味が復活を表す単語に含まれていることを見るとき、わたしたちには、すぐさま震災からの復興、戦災からの復興という歴史と、今も直面している震災と原発事故からの復興という社会全体の命題が目の前に迫ってきます。全体的な復興の中にある、災禍を被った一人ひとりの人生における絶望や再起をかけてのそれぞれの歴史に思いを向けさせられずにはいられません。また、いうまでもなく、イエスの時代も今の時代も、病や負傷、ハンディある状態からの再起やリハビリということも、社会をかたちづくる本質的な側面であることが意識化されるようになっています。

社会のメジャーな体制、正規の階段から落ちこぼれたり、はなから疎外されたりするマイナーの存在、非正規の存在が互いに反射し合いながら、社会の実相を創り出している時代。いつの世もそうだったのかもしれませんが、イエスのまなざしは、やはり、そのようなマイナーな存在にこそ向かっていました。そしてその十字架からの復活への展開は、一人ひとりの中にある不安や絶望からの再起、立ち直りの不断の原動力として、今も人々に働きかけている、と考えるとき、ようやくキリストの死と復活が現実味を帯びてきます。

最近では「レジリエンス」 (resilience またはレジリアンス)という言葉が頻繁に聞かれます。回復力・耐久力を意味する物理の世界でも使われる言葉が、心理学の次元で、心のもろさ、折れやすさに対する回復力、要するに立ち直る力という意味になり、その力をどのように培うことができるかというテーマに展開しています。このようなアプローチにも、キリストの復活の意味と力を新たに見いだすヒントがあるのかもしれません。

どのような人の人生にもある「再起の物語」に目を向けていくこと、それがひいてはキリストの復活の反照として見えくるとき、この信仰と世の中のひとりの人生がはじめて絡み合っていくようになるのでしょう。さまざまな再起の物語を照らし出し、語り継いでいくことのうちに、復活と呼ばれる神秘の真のあかしを見いだせるのではないでしょうか。「AMOR-陽だまりの丘」にそのようなあかしをこれから集めていけたらと思います。

(石井祥裕/AMOR編集長)

 


母と暮せば

復活というテーマで思い出す映画はたくさんありますが、キリストの生涯を描いたものを外して死者が復活するということで映画を探すとこれまたたくさんあります。その中で、今回は、小説家で劇作家の井上ひさしが、広島を舞台にした戯曲「父と暮せば」と対になる作品として長崎を舞台にしたものを書こうと思いながらかなわなかった物語を山田洋次監督が映画化した作品「母を暮らせば」をご紹介します。

第二次世界大戦中の1945年8月9日、長崎医科大学に通う医大生の福原浩二(二宮和也)は普段通り、自宅を出て大学の講 義を受けている途中で長崎に投下された原爆によって命を落としてしまいます。3年後、助産師として働く福原伸子(吉永小百合)は一瞬にして消えてしまった 浩二が亡くなった事実を受け入れることができませんでした。浩二の恋人・町子(黒木華)や上海のおじさん(加藤健一)、近所の人たちに支えられ、浩二の死を受け入れ始めたある日、死んだはずの浩二が亡霊としてひょっこり現れます。

伸子の前に現れた浩二は生前と変わらぬ様子でいろいろな思い出話を懐かしそうに話しては伸子の支えとなります。浩二は 幼馴染で恋人だった町子のことが気にかかりますが、町子がやってくるときに浩二は姿を現すことがありません。

死者となった浩二と母・信子はその後どうなるのか、町子は……。これは観てのお楽しみです。この映画、親しき人の突然の死をどう受け入れるのか、その後の人生をどう進めるのかを定義している作品ですが、とても予定調和の感が強く、突っ込みどころが満載です。たとえば、長崎=カトリックの図式で、家庭祭壇があり、教会に行って祈るシーンもあるのですが、なぜかカトリック信徒のように見えません。ただ、長崎だからカトリックという感じしか与えないのです。また、母・信子が教会でミサ中に倒れてしまうのですが、私たち信徒がミサ中にだれかが具合が悪くなって倒れてしまったら周りの人が誰か助けるか救急車を呼びますが、近所の親しい人しか気がつかないのです。そんなことがあるでしょうか。

そして、映画全体のストーリーも井上ひさしさんならこう描くだろうと推測して作品作りをしたという山田洋次氏の言葉がありますが、井上ひさし氏がこんな作品を書くだろうかと疑問をもたらざるを得ないのです。これはあくまでも私的感想です。すでにDVDになっていますので、ご覧になって皆さんの感想をお聞かせいただければと思います。

(中村恵里香/ライター)

予告編:https://www.youtube.com/watch?v=hvrs_103jRw

監督・脚本:山田洋次/脚本:平松恵美子/音楽:坂本龍一
製作年:2015年/製作・配給:松竹
出演:吉永小百合、二宮和也、黒木華、浅野忠信、加藤健一、広岡由里子ほか

 


アート&バイブル 11:聖母マリアの少女時代

フランシスコ・デ・スルバラン『聖母マリアの少女時代』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

この絵の作者はフランシスコ・デ・スルバラン(Francisco de Zurbarán, 生没年 1598~1664)です。スペインで活躍した画家の中で、特に宗教画という世界では、エル・グレコ、スルバラン、ムリーリョの三人の名が思い浮かびます。

図1:フランシスコ・デ・スルバラン『神の子羊』(1635~40年頃、プラド美術館所蔵)

スルバランをスペインのカラヴァッジョと呼ぶ人々もいるようです。確かに光と影のコントラストという点ではカラヴァッジョに通じるものがあるかもしれませんが、私はむしろスルバランは「修道者の画家」という呼び名の方がふさわしいと思います。スルバランの絵はリアリズムに満ちており(図1)、その点ではカラヴァッジョと共通するポイントがありますが、カラヴァッジョのような激情をそのままぶつけるのではなく、むしろ内面の情熱を抑え、静謐さによって包まれている魂の姿というものを感じるのです。

スルバランの代表作として1628年に発注されたメルセス会の創立者聖ペトロ(ペドロ)・ノラスコの生涯を描いた連作があります。この作品以後、1630年代にはセビリアを中心に活動しており、1634年にはマドリードのブエンレティーロ宮の「諸王国の間」の装飾という大きな仕事を引き受けています。1638~39年にはグアダルーペ修道院聖具室(香部屋)の装飾にも携わり、スルバランの画業は全盛期を迎えたのです。

しかし1640年代になると彼の人気は急速に衰えます。セビリアの町自体が衰退し、かつペストの流行もありました。加えて、甘美で優雅なマリア様を描いたムリーリョ(スペインのラファエロと呼ばれた)の声望と人気が高まっており、スルバランは、1658年にセビリアを去り、ベラスケスを頼りマドリードに向かい、同地で没します。

 

【鑑賞のポイント】

フランシスコ・デ・スルバラン『聖母マリアの少女時代』(1660年頃、エルミタージュ美術館所蔵)

(1)黒髪の少女として:聖母マリアはいろいろな画家によって描かれていますが、ルネッサンス期のイタリアでは、聖母の髪が金色で描かれていることが多いようです。これは理想化された女性の姿、また金色の意味する輝きが聖母にふさわしいと考えられたからでしょう。しかし、スペインの画家たちは、多くの場合、聖母の髪色を黒や亜麻色で描いています。これはそれぞれの国の女性たちの姿で聖母が描かれるという聖母ならではの特徴だと思います。

(2)女のまなざしと口元の表情:裁縫あるいは刺繍をしていた時、ふと気がつくと神様の姿、あるいは神様の呼びかける声が聞こえてきたのでしょうか、少女マリアは目を天に上げて、何かを見つめています。その表情には驚きや不安などの影はなく、純心なまなざしは幼子のようでもあり、それでいてしっかりとした大人の女性のような落ち着きがあります。口元は今にも開き、神様への賛美のことばを唱える様にも見え、また神様のことばをしっかりと味わうためにむやみに口を開こうとはしない、つつしみのある姿とも見えます。顔だけを見ると大人にも劣らぬ落ち着きを感じますが、体つきはまだ少女の小さな体です。

(3)親指を重ねた手の表情:思わず親指を重ねて手を合わせていますが、これはカトリック教会の祈りの時の姿勢であり、こちらに向けられた親指は力強さが感じられます。布の白と緑もそれぞれ、白は少女マリアの純真無垢な心を表し、クッションの緑は、若々しさや楽園を象徴する色に思えます。

 


エンドレス・えんどう 15

服部 剛(詩人)

日本人は外国人から見ると無表情に見える、という話を聞いたことがあります。逆に日本人から外国人を見るとYesとNoがはっきりしている、と感じるかもしれません。日本人の心は白か黒かというよりも灰色で、いつも心にグレーの領域があるようです。それは宗教観にも表れており、西欧キリスト教の一神教は日本人には受け入れ難く、八百万神(やおよろずのかみ)を自然に信じる心をもっています。私の師であるカトリックの哲学者・小野寺功先生は以前、「日本人の宗教性は〈無宗教の宗教〉なのです」と言っていたのが、印象に残っています。

確かに日本人は、日常会話のなかで宗教的な話を好まないわりには、いざ寺や神社にお参りすると自然な心で手を合わせます。そんな日本人を客観的に見ると、何だか不思議な民族に思えます。

では「愛」については、どうでしょうか? 日本人にとって「愛」という言葉ほど曖昧なものはないかもしれません。男女の愛・親子の愛・友愛から師弟愛まで「愛」という文字の裏側には、実にいろいろな「愛」の姿があるのも、日本人の性質なのでしょう。また、キリスト教の神の愛は、見返りを求めず無償で与えるアガペーと言い、男女のように互いに求めあう愛をエロスと言います。

『深い河』の八章を読み、私は改めて〈愛とは何か?〉と考えました。若き日に美津子を愛し、深い関わりをもち、棄てられた大津は、やがて大学内の無人の聖堂でみつめる十字架のイエスから〈おいで〉*1 という内面に響く呼び声を聴き、その密かな導きに応じて歩み続け、辿り着いたのがインドでした。そこで、大津はガンジス河へ遺体を運ぶ仕事をするようになります。世間の価値観では無駄と思われる行為でも、大津の姿からは〈イエスに倣(なら)い、愛を生きる〉という静かな決意が伝わってくるのです。そして、かつて一度は犬のように大津を棄てた美津子はほんものの愛を探して、インドへやってくる――。

* * *

私は今日、お腹の調子の悪いダウン症児の息子の食事介助をしました。ふだんは凸凹だらけで欠点のある父親ですが〈小さな愛〉をこめて食事をすくったスプーンを小さな口へ運びました。ガンジス河で黙して遺体を運ぶ大津の姿を思い浮かべながら。

日々の場面のすき間で〈小さな愛〉を生きることはきっと、目には見えない神との内面の繋がりを深めることであり、その時、体の無いイエスの面影は、人と人の間に働くでしょう。

*1 『深い河』遠藤周作(講談社)より引用しました。

 


アート&バイブル 10:復活したキリストの聖母への出現

グエルチーノ『復活したキリストの聖母への出現』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

図1:グエルチーノ『聖ペトロニラの埋葬(聖ペトロニラの祭壇画)』(1623年、ローマ、カピトリーノ美術館所蔵)

イタリアのバロック画家、グエルチーノ(Guercino, 生没年 1591~1666)を紹介したいと思います。ゲーテは「彼の筆の軽妙さ、清純さ、円熟さはただ驚嘆のほかはない」と絶賛し、スタンダールは「最後の大画家」と讃えています。2015年に国立西洋美術館で展覧会が行われましたが、それが日本でグエルチーノの作品が紹介された初めてのことでした。グイド・レーニ(Guido Reni, 1575~1642)とともにイタリアン・バロックの双璧と称されていますが、これまであまり知られていないことも事実です。

グエルチーノという名はこの時代の画家たちによくあるように通称で、本名はジョヴァンニ・フランチェスコ・バルビエーリ(Giovanni Francesco Barbieri)です。グエルチーノとは「やぶにらみ」という意味で、彼が斜視であったことからつけられたあだ名です。グエルチーノはボローニャとフェラーラの間にあるチェントという村(現在は市ですが)に生まれ、17歳でボローニャ派の画家に弟子入りしました。カラヴァッジョ(Caravaggio, 1571頃~1610)やカラッチ一族によって扉を開けられたバロック美術を発展させるという功績をあげました。

彼自身も認めているように初期のスタイルはアンニバーレ・カラッチ(Annibale Carracci, 1560~1609)の影響を受けていますが、後期の作品には彼のライバルとも言われているグイド・レーニの作風に近づいてゆき、より明るく明瞭な絵を描くようになりました。彼はスケッチの点でも超一流で、かつ仕事が早いことでも有名でした。1621年から1623年まで、ボローニャ出身の教皇グレゴリウス15世(在位年 1621~1623)に招かれ、ローマの宮殿や教会に多くの作品を描きました。彼の最高傑作は『聖ペトロニラの埋葬(聖ペトロニラの祭壇画)』(図1)と言われています。

 

図2:グエルチーノ『復活したキリストの聖母への出現』(1628~30年頃、イタリア、チェント市立絵画館所蔵)

【鑑賞のポイント】

『復活したキリストの聖母マリアへの出現』(図2)は、聖書には書かれていない伝承に基づいたエピソードをモチーフにしています。聖書には、墓の近くでマグダラのマリアに姿を見せたこと、ユダヤ人を恐れ、鍵をかけて閉じこもっていた弟子たちに姿を現したことなどが記されています。しかし、復活の朝、キリストは最初に、誰よりもキリストを愛し、また誰よりもキリストを理解し、誰よりもキリストを信じていた聖母マリアにこそ出現したという言い伝えもあるのです。

 


私がつくった本の原点に立ち戻りたい

書店に行って驚いたのですが、「食」に関する本のコーナーがつくられて、いろいろな種類の書物が並んでいました。それらは健康に関するもので、「食事術」やら「カラダに良い食のレシピ」といった実用的なものがあります。なかには、「腸は第2の脳」である」といったカラダの内部へ目を向けたものもあります。食べ物と腸という内臓器官との関係が、いままでの医学では捉えられなかったメカニズムとして明らかになってきています。NHKでは「人体」といった番組で健康への意識を高めています。「健康長寿への挑戦」とかが取り上げられ、人々はとにかく健康で長生きしたいのだなと感じました。

医学の父と言われるヒポクラテス(紀元前5~4世紀)は次のような格言を残しています。①汝の食事を薬とし、汝の薬は食事とせよ。②食べ物で治せない病気は医者でも治せない。③食べ物について知らない人が、どうして人の病気について理解できようか。

「食」の語源は、人に良いと書きます。人のカラダは、何を食べるかで結果が決まってくるとも言われます。そこで「食育」ということが注目され、「食」に関する意識が高まってきたのでしょう。

『農薬を使わない野菜づくり』『農薬を使わない野菜づくり part 2』徳野雅仁著(マルジュ社刊)

私たちが食べている食材は、確かに農薬で汚染されていたり、化学肥料や遺伝子組み換えによって、かなり変化してきています。それがカラダに悪いことが専門家によって明らかにされてきました。「パンと牛乳はすぐやめよう」といった内容の本も読まれているようです。パンは小麦に問題があり、牛乳は乳牛が食べる餌などに問題があるということです。

私にはこうした現代の風潮に対して甦ってくるものがあります。それは私が編集した1冊の本です。『農薬を使わない野菜づくり』という徳野雅仁さんが著した本です。徳野さんは漫画家で、家庭菜園をしていました。本の奥付に1980年4月2日発行とあります。当時は家庭菜園をはじめる人たちが少しずつ増えていました。そうしたなかで、農薬を使わないで野菜を育てるということに注目されたのです。

徳野さんは、文芸春秋漫画賞を受賞したばかりでした。得意のイラストで分かり易く説明された『農薬を使わない野菜づくり』は朝日新聞の家庭欄で紹介され、広く人々に読まれていきました。

同上

私は、この本をつくるときに「食」ということへの関心が高まりました。そして、自然のなかであるがままに育てることが一番大切なのだと知りました。キュウリは曲がっていてもいいし、トマトは歪んでいても美味しいのです。無耕転栽培するなかで、農薬など使わなくても、野菜は育っていくことを教えられました。

「食」を考えるとき、いまでは地球環境についてまで思考を巡らさなければなりません。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』は、農薬で利用されている化学物質の危険性を取り上げて話題になりました。「食」ということへの関心を持続することが、生きとし生けるものたちの生命をどのように守っていくのかを考えることなのだと、いま改めて意識しているところです。

鵜飼清(評論家)