琉球王国


あき(カトリック横浜教区信徒)

2019年10月31日午前2時35分ごろ首里城が原因不明の火災で焼失した。わたしは沖縄が好きで何度も足を運び、青い空に映える朱色の鮮やかな首里城を見たときは「よくも過去の情報を探し出して、ここまで復元できたなぁ」と感激したものだ。琉球王国を象徴する素晴らしい景観だった。

今回「沖縄復帰50年を思う」というテーマで改めて調べたかったことがある。
この首里城に象徴されるような琉球民族とはどんな歴史をたどっているのだろうと。

近年の遺伝子研究によると、沖縄県民と九州以北の本土住民は、縄文人を基礎として成立し、東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成であるとのこと。
遺伝子によれば本土の人と同一の祖となるようだ。アイヌ民族とも近い因子も持っているとのことだった。
琉球王国は正史によると、12世紀に源為朝(鎮西八郎)が現在の沖縄県の地に逃れたところから歴史は始まるそうで、琉球王国は1429年から1879年の450年間、琉球諸島を中心に存在した王国だった。
琉球王国は海洋民族として交易に力を入れて繁栄したが、16世紀になると明国の属国として中国皇帝の臣下になることを強いられたり、16世紀後半、薩摩藩による侵略を受け薩摩の属国となったり、海洋の拠点として波乱に満ちた歴史をたどる。
1853年黒船来航後、1855年琉米修好条約がアメリカと結ばれ、1859年には琉蘭修好条約がオランダとの間で結ばれる。
1871年、明治政府は廃藩置県により、琉球王国の領土を全て鹿児島県の管轄とした。
当時の琉球国王尚泰が、明治政府の意向に従わないことを理由に、1879年に琉球藩を廃止し沖縄県の設置がなされ、450年の琉球王国が幕を閉じる。

そして、沖縄は第二次世界大戦では焦土と化し、1945年世界大戦終結に際しては米国統治下におかれてしまう。
沖縄人の自己の判断を求めるべくもない。
否応もなく日米の合意に基づき米軍基地の島とされてしまう。
そして、1972年5月15日、当時の佐藤栄作首相と米ニクソン大統領の時代、日本への沖縄返還。県民の期待とは裏腹に、アメリカ軍基地を県内に維持したままの「72年・核抜き・本土並み」の返還がなされた。
そして、今年2022年5月15日で「沖縄返還50周年」を迎えたものの、本土並みと言っていた米軍基地は、いまだに沖縄に集中している。

ここまで、琉球王国の歴史を簡単に述べてきた。
沖縄は、海洋貿易の拠点として繁栄してきた反面、その地理的な思惑から、いろいろな国々の属国となるように振り回されてきた。戦後は、米軍のベトナム戦争の拠点として位置づけられ、その後も極東の抑えとしての立ち位置となった。

今回の「沖縄返還50周年記念」に際し、「うちなんちゅー」(沖縄人)はどう思うでしょうか。

・世界大戦で家族や親族を失った人
・貧乏に虐げられた人
・米軍基地により生計を営んできた人やその恩恵を受けてきた人
・日本内の米軍米軍の多くが沖縄にあることの不条理・危険・被害を訴える人
・沖縄の自然の消失に嘆く人

これらは、それぞれに重要な意味を含んでいると思います。
各時代、その時々の世相で沖縄は振り回られてきました。現在の沖縄人はそれぞれの立ち位置や生き方で、いろいろな意見が混在しているように感じました。
今回、沖縄の歴史を振り返ってみたときに、それらを集約すると、「沖縄の自治権をもっとしっかりと持たせてほしい」ということになると感じました。
国と国との思惑に振り回されたくないという思いを感じました。
現在沖縄は当然ながら日本の属国ではありません。しかしながら、米軍基地配置「本土並み」といいながら本土以上に基地が集中しているのはその通りだと思います。

「沖縄返還50周年記念」

本土の人(やまとんちゅう)は純粋に日本に返還された沖縄を祝う気持ちは当然ありますが、「その言葉に秘めた思い」を考えていかなければと思います。
正直米軍基地を少なくすることは、現在の世界情勢や日本とアメリカの関係からすれば、たやすいことではないと思います。

私たちができること。
「絶えず信じて、絶えず希望すること」
沖縄にはいい言葉があります。
属国になってもめげずに堪えぬく力。
「なんくるないさ~」(なんとかなるさ)
沖縄の人たちは、苦しい時に、嬉しい時に「なんくるないさ~」と笑います。
この言葉に救われながら、いつの日か基地の島が、平和な沖縄にもどるのを祈りたいと思います。

 


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