こころを開く絵本の世界 15


山本潤子(絵本セラピスト)

 

揺れながら

 春らしい陽射しを感じる今日この頃、先月までは真っ暗だった私の起床時間にビルの谷間から朝日が上るようになりました。それでも早朝はまだまだ寒く、一晩かけて体温と馴染んだ暖かい布団の中は至福の世界です。目は覚めているのに「もうちょっと、もうちょっと」と気持ちは揺れ動き、なかなか寝床を抜け出すことは出来ません。

 ようやく起き上がりお湯を沸かし台所から今日という日が始まります。ほぼ毎日のお弁当作りも同じことを繰り返しているように見えますが、卵一個にも無限の可能性を感じながらちょっと違う事を試してみたくなります。そして最後に梅干しをどこに置こうかと、こんな些細なことにも思考は絶えず揺れ動くのです。

 最近始めた仕事ではいろんな人との出会いがあります。平然と装っていても相手が変わればどう接していこうかと心はいつも揺れ動いています。今日も一人の女性と初めましての挨拶を交わしながら少しずつ距離を縮めていきました。初めは何の興味も湧かない相手だったのに言葉を交わすうちに気持ちが解れ会話が繋がり、帰る頃には「また会いましょうね!」と心からの笑顔で手を振りました。

 ぶれない動じないあり方に捉われる日もあれば、ゆらゆら揺れ動くからこそ柔軟に生きていけるのだと言い聞かせる日もあります。そして、それを自分にも相手にも求めることもあるのです。

そんな心の揺らぎを強く意識していた頃、タイトルに惹かれて購入した絵本があります。

 

『ゆらゆらばしのうえで』 
きむらゆういち:文、はたこうしろう:絵、福音館書店

 

 大雨の後、谷川の橋は一本の丸太だけになってしまいました。そこに、キツネに追い詰められたウサギが駆け込んできました。一気に対岸に渡り丸太を落とそうというウサギ、渡らせるものかと必死に追いかけるキツネ、二匹の思惑が災いして丸太を支えていた石が崩れ落ち岸から外れ、天秤棒のように左右に揺れ始めました。キツネもウサギも丸太の上では運命共同体、身動きできず丸太が落ちないように協力し合う関係になってしまったのです。日が暮れて夜に包まれると二匹にできることは会話だけです。実は怖がりだと話すキツネ、敵同士ということを忘れていろんなことを語り合うのでした。しばらくするとウサギが寝てしまいます。落ちたら大変、キツネはウサギに「命を大事にしろ!」と叫ぶのでした。

 夜明けの山から吹き下ろす風が丸太を大きく揺らしました。お互いの重さでバランスを保っている二匹は必死にしがみつき、ぐるっと丸太が回転した弾みにキツネのしっぽが岸の茂みに絡まってしまいました。キツネはウサギに「早く渡れ!」と叫び、ウサギはキツネの背中を渡って岸に上がり、そして、今にも落ちそうなキツネをウサギが捕んで二匹は危機一髪助かったのです。

 二匹はお互いの無事を喜び合いました。しかし、ふと、我に返ったキツネの目が光り、ウサギは急いで逃げ出しました。ところが、キツネは追いかけませんでした。「おーい うさぎ! もう つかまるんじゃないぞー!」、キツネの声はウサギに届いたのでしょうか、気になる最後の場面でした。

 

 丸太を渡る前、丸太の上、岸に上がった後と場面展開しながらキツネとウサギの関係性が変わっていきました。敵同士の二匹が危険な丸太で一夜を明かし、助け合って命拾いするお話です。絵本では言及していませんが友情が芽生えたに違いないと思いました。

 

一読してこれは対等な立ち位置で「あたかも自分のことのように相手の話を聴く」傾聴のお話だと思いました。また、対立関係にある相手、恐れを感じる相手とどのように話し合えば良いのか、絵本と心理学とを絡め相談業務に携わっていた私にとってとても感慨深い展開でした。昨日まで敵対していた相手が利害関係によって今日は味方になることは珍しいことではありません。しかし、この絵本で描かれていることは利害関係をも超えた素の姿、肩書きやプライドを脱ぎ捨てた裸の関係性なのだと思いました。

 

日常生活では家族や友人と話す時に相手と同じ状況に身を置くことは出来ませんが、そもそも宇宙も地球も人間の体も常にゆらゆら揺れ動いているのだから、生きているということは「ゆらゆらばし」の上にいるようなものだと思います。揺れ動いているからこそ変化も進化もあるのでしょう。相手の揺れと自分の揺れが織りなす世界もまた楽しむ事ができるのではないかと思います。また一つ絵本から生きる姿勢を学ぶ事ができました。

 

季節の絵本

『のげしとおひさま』 
甲斐信枝:さく、福音館書店

 

 どこへも行く事ができない『のげし』は好きなところへ行けるカエルや蟻、楽しそうに空を飛び回る蝶やてんとう虫を羨ましく思いました。お日さまは「私の光を一生懸命吸い込んでいればきっとどこかへ行けますよ」と教えてくれました。

のげしは言われた通りに毎朝花びらをいっぱいに広げお日さまの光を吸い込みましたが、いつまでたっても動く事ができません。それどころか、花を開く事ができなくなってしまいました。何日かしてようやく開いた花びらは今までとは違います。真っ白でびっくりしましたがお日さまに言われたようにゆっくり開いていくと、真っ白な丸い綿毛になりました。

のげしの綿毛は春風にのってどこまでもどこまでも大空を飛ぶ事ができたのです。

 

三月に入ると読みたくて仕方ない絵本です。冬以外、長い期間咲いているのげしですが、やっぱり春の陽射しを確信した頃にはスタンバイします。絵本棚から抜き出して表紙を見せて並べると冬の絵本たちと選手交代です。絵本たちは一足早く衣替えをするのです。

春が広がってくると道路脇でも海岸の岩場でものげしの黄色い花が目につきます。繁殖力の強いのげしがこんな気持ちで花びらを開いていたなんて、夢にも思いませんでした。そして、のげしとお日さまの柔らかい会話を読んでいると、私も何かをいっぱい吸い込んでみたくなりました。

ここ数年、世の中は口や鼻を塞ぐような状態が日常化しているからでしょうか、読みながら「吸い込む」という言葉に体が反応し自然に何度も深呼吸をしていました。

いっぱい吸い込んだその先に何が待っているのかは分かりません。でも、きっとのげしのように広い世界が待っているのだと思います。

 

(ここでご紹介した絵本を購入したい方は、ぜひ絵本の画像をクリックしてください。購入サイトに移行します)

 

東京理科大学理学部数学科卒業。国家公務員として勤務するも相次ぐ家族の喪失体験から「心と体」の関係を学び、1997年から相談業務を開始。2010年から絵本メンタルセラピーの概念を構築。

https://ehon-heart.com/about/


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

16 − eleven =