あなたは一人じゃない−FATAがやってきた番外編


 FATAは4歳になりました。

天真爛漫に感情を表すFATA。

毎日「あそぼっ あそぼっ」と私の前に遊ぶ道具をくわえて運んできます。

FATAが来て早や4年。夫婦二人の生活の中にFATAがやってきました。

夫婦二人の会話にもFATAがいつも登場します。

老夫婦の生活に潤いを与えてくれます。

コロナ禍の中、マスクをして近所の公園にFATAを連れて散歩する時間が当たり前の生活になりました。

今日もFATAを連れて(というか「遊ぼっ」とFATAが私を連れ出して)散歩に出かけることに。

FATAには自分のルールがしっかりあります。

途中でおしっこをする場所。においを嗅ぐ電信柱。 道のどこを歩いて、どの藪に飛び込むか。しっかりとルールに沿って歩くことで自分の時間を確認しているようです。

また、いつも決まったベンチに私が座ると、待ち構えていたようにピョンと膝の上に飛び乗るのもFATAのルールです。

犬の一生は15年程度らしいですが、与えられた生活の一瞬一瞬に喜びを持って生きている姿には感動します。

FATAが来てよかったなぁと思います。

 

さて今日もFATAといつものベンチに座ると、隣のベンチに杖をもった年配の女性が座っていました。最近よく見る方です。いつもの癖で「ご近所の方ですか」と声を掛けました。「公園のすぐ目の前です」「よく来られるんですか」「毎日歩いています」「いつ頃から住まわれているんですか。わたしも近所なんで、よく来るんですよ」「40年くらいかなあ。年がばれちゃうでしょ」と笑いながら。

「いくつに見えますか」「失礼ですけど、80歳くらいかなぁ」「内緒ですよ。90です」「えっ、お若いですねぇ」と話がはずみます。

見た目、本当にしっかりした方で、90歳なんて言われないとわかりません。

と突然、「誰かいい男性を紹介してくれないでしょうか。」「えっ」(2度目のえっ)

「わたしは女性の友達はたくさんいるんですが、男性の友達がいません。連れ合いには20年以上前に先立たれました。一緒に老後を過ごしていただける方がいたらいいなぁっといつも思っているんです。」と私の方ではなく、目の前の一点を見つめながら話しだしました。

私もちょっと考えましたが、そんな方はそう簡単に思い浮かびません。

「ごめんなさい。思い当たる方はいませんねぇ」

しばらく会話が途絶えました。

 

「本当のことをいいます。ハグしてほしいんです」「えっ」(3度目のえっ)

「長い人生を一人で暮らしてきました。女性の友達はたくさんいますが、男性とやはり違うんです。一緒に生活してくれる人がほしい。ハグしてほしい」と小さな声で本音が聞こえてきました。

『ハグしてほしい』ともう一度。

 

優しくハグされて安心したい。

安らぎを感じたい。

一緒に生きていることを感じたい。

友達はいても、それだけでは満たされない気持ち。 それが痛切に伝わってきました。

こころが痛くなりました。

人はひとりでは生きていけない。

90歳の独り言。

年を取ればとるほど人間関係が希薄になり、公園で静かにじっと、行き過ぎる子供たちや飛ぶ鳥を見ている時間が増えていくおばあさん。

この女性とは、また公園でお話をしましょう。

 

最近の平均寿命は100歳と言われています。孤独を噛みしめながら生きている方もたくさんおられるでしょう。

コロナ禍で人間関係の在り方が少し変化していると思う今、「コロナの時代」ではなく「こころの時代」が大切、夫々が互いを感じて生きていくことの大切さを思いました。

 

元気で無邪気に生を謳歌しているFATA。

そんなFATAを見つめて楽しむ私たち夫婦。

公園でたたずむおばあさん。

それぞれの時間が過ぎていきます。

あき(横浜教区信徒)

「FATAがやってきた1」はこちらからご覧ください。)


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