余白のパンセ 9 微笑みながら咲いている花のように


私が大学を卒業した1975年は戦後最大の不況と言われた年でした。就職したくてもなかなか就職先が見つからないという状況でした。

私は大学の友人が自民党の代議士の秘書をしていて、ときどき議員会館の代議士の部屋に遊びに行ったりしていました。そんなことから、大手企業に口を利いてもらって、重役面接までいきました。私は聞かれたことに正直に答えたつもりでしたが、結果は不採用になりました。

なぜなのかが知りたくて、友人を介して理由を求めました。友人から言われたのは「重役連中は、君のことを自己顕示欲が強すぎると判断したようだ」とのことでした。

私は本音では、企業に勤める気持ちはあまりありませんでしたから、そうなのかあと思っただけでした。いい経験をしたといった気持でした。代議士さんと友人には申し訳なかったのですが。

私は新聞記者になるのが小学生のころからの夢でした。だから、父親の戦友である沖縄出身の新里金福という評論家を紹介してもらい、新里さんの紹介状を持って銀座にある沖縄タイムスの事務所に社員募集をしていないかと訪ねたこともあります。しかし、やはり不況の折、新たな人材募集はしていないとのことでした。

そうこうしながら辿り着いたのが出版への道でした。新聞記者になれなくても本を作ろう。いろいろな先達の謦咳(けいがい)に接することができるにちがいないとの気持ちが沸いてきたのです。

小さな出版社からのスタートは、編集のイロハも知らなかったので、最初に入った出版社の林一夫編集長の仕事を横で見ながら覚えていきました。それから現在の「パピルスあい」という出版社まで、本作りの道を歩めたのは、両親や最愛の相棒(恵里香)、そしてたくさんの支えがあったからだと思います。

古希という年を迎えて、自分自身のことを振り返り、甦ってくるのが重役面接で言われた「自己顕示欲が強い」ということです。自己顕示欲が強いのは、果たして悪いことなのか。周りに迷惑をかけることなのか。いまさら、こんなことを考えている自分が情けなくもあるのですが、自分の好きな本を編集し、出版にこだわり続けられたのは、自己顕示欲の強さがあったからではないかとも思います。

 

井上洋治神父は『余白の旅―思索のあと―』のなかで書いています。

「輝かしい神学は何一つわからないでも

素晴らしい説教は何一つできなくても

誰一人通らない山の小路に

それでも微笑みながら咲いている花のような

そのような

そのような人に 私はなりたい」

「自己顕示欲の強い私だからこそ、路傍の一輪の名もない花の心に限りなく惹かれるのであろうが、この魂の憧れを失ったときこそ、私のキリスト者としての生命の終わりだというような気がするのである」

 

いまは、井上神父の思いの中に自分自身の自己顕示を委ねていこうと考えています。

鵜飼清(評論家)


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