こころを開く絵本の世界 8


山本潤子(絵本セラピスト)

旅を旅する

  朝晩のラッシュが戻ってきました。社会が動き出したことは嬉しいことですが、絵本を詰め込んだキャリーバッグが迷惑にならないように気を遣います。旅行カバンや大きな登山リュックの人も急に増えてきました。閑散としていた観光地もお客様が増えてきたことでしょう。地方出身者にとって何より嬉しいことは実家や故郷に帰ることが出来ること。会えなかった家族、自粛中に生まれたお孫さんに初めて会うじぃじばぁばも多いことでしょう。旅の定義は様々ですが、とにかく、旅に出る人たちの生き生きとした姿は街の空気を明るく変えてくれました。

『ぼくのたび』 
みやこしあきこ:作、ブロンズ新社

 「ぼく」はホテルの主人、居心地の良い自慢のホテルを長い間やっています。世界中からやってくるお客様の接客をしながら遠くへ旅したい気持ちが溢れてきます。

 夢の中で「ぼく」はあてもなく行きたいところへ旅をします。気が向けば懐かしい友人を訪ね、もてなしてもらうこともあるでしょう。想定外のことが毎日のように起こっても、それは心に刻まれる大事な瞬間。そして、誰も知らない遠くに行ったら、「ぼく」のホテルを想い出すのでしょうか……。

 いつものように朝が来てお客様を迎え、手の空いた夕暮れ時は世界中から届くお客様からの手紙を読みます。たくさんの手紙は「ぼく」を旅へとかき立て、いつか葉書の風景の中にいる自分を想い描くのです。

 

 「ぼく」はホテルのある街を離れたことがありません。でも、ホテルには世界中からお客様がやってきます。お客様の話を聞きながら「ぼく」は旅の準備ができているかのようです。夢の中での旅も思いがけない出来事もお客様から聞いたことかもしれません。いつかきっと世界中のお客様に会いに旅に出よう、そう想い描く「ぼく」の旅は実現しないのではないか、「ぼく」はそれを知っているのではないかと思いました。

 旅を包み込むノスタルジアに浸りながら旅の源流を旅し、静かに絵本を閉じました。

 

 私はよく家を離れ遠くに行きました。それはほとんどが仕事、旅の感覚は全くありませんでした。しかし、遠くに行けば行くほど、家を空ける日数が多ければ多いほど、旅に出ている気持ちになったのです。ここ数年は自由な時間も増え、気ままに森や山を訪れることが増えました。

 旅先の私は環境の違いを新鮮に感じながらも、家から伸びている紐に繋がれているような感覚があります。旅先の環境に馴染むほどにその紐は「あなたの家はここですよ」とピンと張り、引っ張られるような感覚になるのです。それが郷愁ということなのか家を留守にしている罪悪感なのか分かりません。とにかく、旅先と家とはいつも繋がっていてそれを私は意識しているということです。

 

 この絵本には深く共感する言葉がありました。それは「おもいもよらないことが まいにちおこる」です。計画通りに行動することが苦手な私は、乗り物と宿泊以外は自由なプランを選ぶようにしていました。

 

 ある年の秋、一時帰国している友人と温泉巡りをしました。新幹線の最寄り駅からレンタカーを借りて鄙びた温泉に2泊3日の旅です。せっかくなので2日目 はちょっと離れた秘湯に日帰り入浴することになりました。車で山道を一時間半、温泉は国立公園内にあるため一般車両は入ることができません。市営駐車場に車を止めて宿の送迎バスで行くつもりでした。ところが、席が空いていても予約客以外は乗せることができないことが分かり、仕方ないので歩いて行くことにしました。案内図には「遊歩道4キロ、約1時間」と書いてあります。紅葉を観ながら気軽に遊歩道を歩き始めました。

 ところが、川沿いの遊歩道には大型台風の爪痕が残っていて、落石を迂回し道なき道を探りながら進むような状況でした。幸い天気に恵まれ源流の清々しい風に癒されながら3時間かけて温泉宿にたどり着くことができました。白濁した湯は青空を映し、秘湯の名に相応しいものでした。そして、帰る頃には陽が傾き始めていたのです。

 あの険しい遊歩道を暗くなってから3時間歩けるのだろうか、危険な行為でしかありません。何度も山登りで秋の夕暮れを経験しているのに、なんて無謀なことをやっているのだろうとものすごく焦りました。宿のバスには宿泊代を払っても乗せてはもらえません。

 そんな時、一人の若者が「ぼくの車でよかったら」と声をかけてくれました。配達に来ていた地元の酒屋さんでした。白馬に乗った王子様が現れたのです。無事に送ってもらい、帰りにその酒屋で買い物をし、お店にいたお母さんに一部始終を話しお礼をしました。

 数ヶ月後、正式に送迎バスを予約して再度その秘湯の宿を訪ねました。内風呂を出ると目の前に『山のいで湯を守って』と湯守の言葉が綴られてありました。読みながら前回の経験と重ね合わせ嗚咽し涙が止まりませんでした。この厳しい環境の中で湯を守り、宿を維持し続けることがどんなに大変なことなのか、無計画でわがままなお客であった自分を心から恥じたのです。

 その後、私は【一般社団法人日本秘湯を守る会】に登録しました。登録宿には400年も前から守り続けている宿もあります。一覧を見ると私がここ数年泊まった宿が4軒もありました。兆しがあったのだと嬉しくなりました。

 ある宿の4代目主人の話では道路の補修も除雪も全部宿の責任で行っているのだそうです。「来てくれる人がいますから、安全にお帰りいただかないとね」

 計画を立てても思いも寄らないことが起きるのが旅、宿泊スタンプ帳に宿の印を押してもらう瞬間、宿の主人と心が通ったと感じるようになりました。

季節の絵本

『しぶがき ほしがき あまいかき』 
石川えりこ:さく / え、福音館

 

 女の子がおいしそうに色付いた柿を頑張って取りました。ガブっと噛みついたら、さあ大変、舌が痺れる初めての渋い味、そうです渋柿だったのです。おばあちゃんが渋柿を甘くする魔法を教えてくれました。

 お父さんも参戦して竹で柿取り竿を作ります。枝ごと柿をもいだらヘタを残して剥いていきます。紐にヘタの先の枝を通して吊るせるようにします。何個も紐を通せない時は1個ずつハンガーに吊るしたり、棒で串刺しにしたり、いろんな方法があります。干す前には大きなお鍋のお湯に潜らせカビないようにしました。柿が物干し竿に並べられ夕焼け空に染まります。

 甘くなるまでの毎日は心配でたまりません。紐が緩んで落ちてしまうこともあります。カビが生えたらおばあちゃんが強いお酒で拭いてくれました。柔らかくなるように揉んだり雨の日は家の中にしまったり、女の子も柿のお世話をします。

 そして、おばあちゃんの魔法は大成功、ついに渋柿は甘くて美味しい柿になりました。縁側でみんなで頬張る甘い柿、柿の木の高い枝でカラスがカァとなきました。

 

 私は祖母が干し柿を作る姿を見て育ちました。絵本をめくっていると口の中に衝撃的な渋味を感じ、味覚の記憶の確かさに驚きました。あっという間に絵本の女の子になり切った私は、柿を取る竿も紐通しする場面も昨日のことのように鮮明です。体が弱くあまり外出できなかった祖母は柿だけでなく季節の果実を美味しく仕上げてくれました。甘い物が苦手な子どもでしたが、祖母の作るおやつは大好きでした。絵本のおばあちゃんのように祖母は魔法をかけてくれたのかもしれません。細くて白い祖母の指先が柿の渋で黒ずんだことも鮮やかな1ページです。

 

 11月に入ると住宅地で赤く色づいた柿を目にします。「甘いのかしら?」「渋柿だったら干し柿にしないのかな?」などと他人様の柿に気を揉む自分に苦笑し ます。商店街の八百屋さんで買えるのにダジャレではありませんが、木に生っている柿が何故か気になるのです。

 朝晩の寒さを感じる頃、故郷に住んでいる幼馴染が渋柿をたくさん送ってくれました。段ボールを開けると1個ずつ新聞紙に包み配送中動かないように、きっちり並んでいました。すぐに干し柿を作ろうと包丁と紐を用意し、いつもならパソコンでレシピを確認するのですが今回は違います。本棚からこの絵本を引き出しページをめくりました。

 2年前の秋に出版されたこの絵本は私にとっては干し柿作りのレシピ本でもあるのです。文章や写真を駆使したレシピ本以上に、描かれている干し柿作りの工程が分かりやすく、感情も蘇ります。また、おばあちゃんの言葉から大事なコツも教わることができます。

 

 皮をむいて紐に繋ぎ、熱湯に通したら干します。洗濯物もあるので狭いベランダではハンガー干し柿が最適です。室内に取り込む時もとても便利です。田園風景を背景に友人の干し柿の写真が送られてきました。高層マンションを背に狭いベランダで並ぶ私の干し柿、私も魔法をかけました。どちらもきっと甘く美味しくなることでしょう!

(ここでご紹介した絵本を購入したい方は、ぜひ絵本の画像をクリックしてください。購入サイトに移行します)

 

東京理科大学理学部数学科卒業。国家公務員として勤務するも相次ぐ家族の喪失体験から「心と体」の関係を学び、1997年から相談業務を開始。2010年から絵本メンタルセラピーの概念を構築。

https://ehon-heart.com/about/


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