医療現場と私と教会


熊谷裕太(カトリック関町教会信徒)

2020年某月、私の働いている病院内で新型コロナウイルスのクラスターが発生しました。
病院はしばらくの間閉鎖状態となり、外来及び各業者の立ち入りもできない事態となりました。

陽性が発覚したスタッフは全員自宅待機となり、残った各部署から応援の看護師をかき集め、クラスターの発生した病棟に補填し入院患者のお世話をしている状況でした。

当時私の所属している病棟では、不幸中の幸いか患者もスタッフも陽性者は出ておらず、閑散とした病院内で看護助手である私は黙々と働いておりました。

世間的にはちょうどアルコール製品やマスク、紙製品が不足している時期で、医療現場でもサージカルマスク、N95マスク、使い捨てガウンや使い捨てグローブなどの供給が不足していました。

当院でも物品の節約のため、ゴミ袋で製作した擬似的な使い捨てガウンを用いたり、袖無しの使い捨てエプロンにアームカバーを併用して、プラスチックガウンほどではないものの、防護性能を高めて使用したりといった工夫をして対応していました。

院内には病院の再会に向けて消毒されたベッドや床頭台、点滴台などがずらりと並び、売り切れランプがすべて点灯している自動販売機、静まり返った受付などは少し前の病院からは考えられない姿でした。

教会活動のほうも、緊急事態宣言の影響で公開ミサは中止。
私もしばらく教会には足を運んでいませんでした。

現場は混乱し、政治的にも統制が取れておらず、もはや何が正しいのか誰にも分からないこの状況の中で、私は今何をすべきか、何ができるのか自分自身に問いかけていました。

病院は再び動き出し、教会活動も徐々に再会の兆しを見せていた頃、私は一つの決断をしていました。

教会からの自主隔離。

それが私の出した答えでした。

クラスターを経験し、確実に陽性者のいる場所へ毎日のように通う私が取るべき行動はこれしかないと思いました。

自信がウイルスの運び手にならないこと。
仮に私が陽性者になったとしても教会から隔離している状況を作ることで教会内での私経由のクラスターの発生をほぼなくすことができると考えました。

ですが、それは同時に私が長期間ミサに与ることができないことを意味していました。

私にとって長い断食の始まりでした。

そんな折、職場の方でも新型コロナウイルスに向けて本格的に特殊病棟を立ち上げることとなり、その病棟の看護助手の枠に私にも声がかかりました。

私はそこに神の招きを感じました。

あらためて現場の最前線に立ち前代未聞のウイルスと対峙する緊張感の中、私の思考はすっきりとしていました。

恐れはほとんどなく、為すべきことを為すという使命感と私を招かれた方への信頼にただ満されていました。

私が新しく所属した病棟は、初めに新型コロナウイルスの感染疑いで搬送されてくる患者の隔離病棟で、陽性・陰性の確認が取れ次第、隣接する陽性者専用の隔離病棟、あるいは他の各科に対応した一般病棟への振り分けを担う、言わば第一の門と呼べる病棟です。

その中で私は食事の配膳、下善、病棟内のゴミの回収、ベッドメイク、シーツ交換、検査時の患者の送迎、患者の買い物の代行、薬剤の運搬、検体(血液、尿、便、唾液、痰等)の検査科への運搬、病棟で使用する物品の発注、管理、補充、消毒、退院時の病室の清掃などを行っており、これらは特殊病棟に移動になる前から任されていた仕事でしたが、これに加えて検査結果が陽性になった患者の陽性者専用病棟へ移送後の隔離部屋の消毒、清掃。
具体的には二時間以上の換気をし、カーテンや使用したリネンなどは袋を二重にして内容物記載の上クリーニングに回し、床、ベッド、床頭台、点滴台などをアルコールタオルや消毒液を含んだタオル等で拭いて消毒し、専用の機械を用いて紫外線照射により、部屋全体を殺菌(主な目標は壁や手の届かない天井)の上、新しいリネンでベッドメイクして次の感染疑いの患者に備えます。

また感染拡大防止のために急変時以外、原則面会は禁止となっており、病棟内に患者のご家族が入ってくることができないため、荷物のやり取りの際にそのメッセンジャーの役割も加わりました。

このように追加された業務もありますが、他にも閉鎖している間に細かなところで業務内容の改善が行われており、より感染症対策が強化されました。

皮肉にも今回のクラスター発生による病院の閉鎖は日々の業務の在り方、特に感染症対策の根本的な見直しの大きなきっかけになったと思います。

それまでの職場の様子は非常に慌ただしく、業務量の多さ故か衛生管理の甘さが出ることもしばしばあったのが実状でした。

また自己の内面の声とじっくり向き合う機会となり、本来私が持っていた能動性を呼び覚ましたように感じました。

教会から身を遠ざけたことによってミサに与ることができなくなり、必然的にご聖体も拝領することができなくなりましたが、イエス様とじっくり向き合って関係性を深めていくきっかけとなり、むしろその距離は近くなったように思えます。

これほど長くご聖体をいただかなかったのは洗礼を受ける前以来で、この断食の日々は当時の気持ちを思い起こさせ、少し懐かしみすら感じていました。

このパンデミックで実際に苦しんでおられる方が大勢いる中、不謹慎かもしれませんが私にとっては仕事の面においても信仰の面においても重要な振り返りの機会となりました。

現在ワクチン接種が一般の方に向けて少しずつ進んでいる状況ではありますが、この仕事を通し、収束に向けて今私が出来ることを精一杯やっていきたいと思います。

そして必ず教会に帰り、再び仲間と共に奉仕に励むことができたらと思います。

 


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