言葉を超えた共感、共苦


市川真紀(カトリック関口教会信徒)

東日本大震災から10年がたちました。津波で家族を失った友人はつい先日、私に「今も前を向けていない」と言い、ちょっと驚きました。初めてストレートにネガティブな言葉を直接聞いたからです。返す言葉がありませんでしたが、少しでも気持ちを吐き出してくれて、私は少しほっとしたような気持ちになりました。支援する側の人間として、私はその友人に出会いました。その後、細く長い付き合いの中で、私は友人の悩みや苦しみに耳を傾けられるように心を開いていようと心がけてきました。でも、そのうち私のほうが友人に励まされることが結構あると気づきました。今ではイーブンな立場の友達になったと思っています。そもそも私に何かできるのではと考えるほうがおごりであり、間違いではないかと思うようになりました。お互い心の内を全開することはなくても、ちょこちょこ出し合う。そんな仲になれたことをうれしく思っています。

人は心に抱えていることを話せば楽になるのでしょうか。そうかもしれません。場合によって、その時によって、あるいは話す相手によっては気持ちが楽になることがあるかもしれません。でも必ずしも話すことがいいとは限らないように思います。この友人から、そして他の友人たちとの関わりからも私は学んだように思います。

自死で家族を亡くした友人は、筆舌に尽くし難い苦しみを経て喪失感、自責の念に長いこと苦しんだと言います。その間は誰にも何も話せなかったそうです。長い歳月が過ぎ、自助グループにつながって自分の体験を話せるようになった後、私はその友人と知り合いました。友人の話の中で私が一番印象に残っているのは、ある遺族が語ったという次の言葉です。
「どしゃ降りの雨の中に一人立っている気分。傍らを通る人に傘をさしかけてほしいんじゃない。一緒に濡れてほしいだけ」。これは悲嘆に暮れる人からの具体的な求めです。しかし、このように示されなくても人は誰かの悲嘆を心と体で受け止めざるをえないとき、ただ一緒に濡れるしかないのかもしれない……。私もそんな体験しました。

先ごろ、私のこころの友とも言える友人が亡くなりました。医師からの余命宣告を私は友人から「宣告」されました。心臓がばくばくいって息をするのが苦しくなりました。残された時間があまりにも短かったこともあり、驚きと共に怒りの感情が湧いてきました。でも気づいたら、電話越しに泣いている友人と一緒に私も泣いていました。どれくらい時間がたったか覚えていません。「沈黙」は友人によって破られました。「でも神さまは牧師になるという願いをかなえてくださったから……」。感謝の言葉に、私は友人が前を向き始めたことを感じました。そして励まされました。

私は本や雑誌を制作する編集の仕事をしています。それもあってか、仕事以外でもとかく言葉にしてまとめるきらいがあり、それは短所であると自覚しています。友人の余命宣告に際して、言葉にならない思いは無理に言葉にする必要はない、むしろしてはいけないのだとあらためて気づかされました。

考えてみれば、私は6年前に帰天した親友に自分を織り成すある重要なことを話していません。他に話した人は複数いますし、親友にも機会があれば話そうと思っていました。でも親友はある日急逝してしまったのです。悲しみと喪失感は大きかったですが、そのことを話さなかったことは後悔しませんでした。そのことを知っても知らないままでも私たちの友情に変わりはないと確信できたからでした。私が一番つらいときに、その存在をもって支えてくれたのは親友だったからです。

共感、共苦。これは自分でしようと思ってできることではないと思いますが、そうできる者でありたいと願います。その大切さを、震災をとおしての友人、自死遺族の友人、牧師として志半ばで召された友人、親友が教えてくれました。心から、ありがとう。

 


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