今思えばわかること


あき(カトリック横浜教区信徒)

大学の理系に進んだ私は、電気系大手子会社に就職しました。大手の大きな組織の一歯車となって一生懸命働きました。当時は残業も今よりはずっと多く徹夜も度々ありました。
会社で教えていただいたことは、大学で学んだことより数倍多いものでした。
転職希望が全くないわたしは、多分一生をこの会社で務めると思っていました。

ところが、なんと47才にもなって転機を迎えます。社長が親会社から突然配属され、集められたわたしたちに彼の言った言葉は「わたしは部署をつぶしたことはあるが、会社をつぶすのは初めてだ!」
「えっ何言ってんのこの人」
会社を合併して形態を変える先駆けでした。合併して新しい会社になることは、別に今ふつうに行われていることと思います。ただ、今まで一生懸命働いてきた子会社のわたしにとっては、突然現れた彼の安易な発言は非常に腹が立ちました。

若くないにも関わらず、わたしは自分の意志で早期退職に手をあげました。
大学のこどもを筆頭に、ふたりのこどもを社会に送り出す必要がある当時のわたし。
なんてことをやってしまったんだろう。
いまのわたしなら考えるでしょう。

再就職の口も考えていなかったわたし。さあどうしよう。正気に戻った私は「さあ困った」心細く不安が心をよぎります。いろいろ伝手をたどって就職口を探しましたが全く見つかりません。妻も働くと言ってくれて、二人でハローワークに通いました。
そんな夜「気晴らしにスーパー銭湯でも行こうよ」と誘ってくれた妻。湯船につかりながら、仕事もなく、お金もない自分がこんなところにきていいのだろうかと罪悪感を覚えると同時に、そのお湯に浸かり、ぶざまな自分が情けなく、お湯の温かさがすごく身に染みて有難く思ったのを覚えています。

そんなこんな探しているうちに、会社の業者さんから「うちに来ませんか」という声が2件ありました。うち一件は「大変でしょう。半年くらいなら決まるまでうちで働いてください」というものでした。既に退職しているわたしは何の権限もありません。そんな私に再就職が決まるまでと声をかけてくれる。
すごく有難く思いました。

結果もう一件に正社員として就職することができました。そこで配属されたのは営業技術の仕事。営業さんと一緒に御用聞きです。
わたしにとって初めての仕事でした。
この営業さんはわたしより年配で、いろいろ教えていただきました。ちょっととぼけていましたが軽妙な語り口と人柄の良さで仕事をどんどん作っていきます。わたしはそれを製作する人に技術的に整理して伝える仕事でした。彼のお客様に対する態度と誠実さ。そして場を和やかにする語り口調。
口下手だった私にとってはいい勉強になりました。今では見知らぬ人にも気軽に話しかけることができます。笑いを取ることもできるようになりました。彼との出会いは今に生かされています。

3年ほどたった時、仕事の後輩から新会社ができるけど立ち上げのメンバーにならないかと声がかかりました。
その会社に移った私。元々海外でプラントの仕事を志望していたわたしは、どういうわけか、海外プラントのメンバーになることができました。そのきっかけも不思議と言えば不思議。海外でのプラント建設の経験をさせていただいた後、親の介護のため日本に戻り別の会社に就職。
するとしばらくして、海外で部下として働いたある人から、「いま私が働いている外資系の会社にこないか」と誘っていただきました。
これも不思議なめぐりあわせ。

ひとつの会社で定年を迎えると思っていた私が、偶然の流れで、結果会社を6つ経験することになってしまいました。
今にして不思議と思うことは、いつも誰かが助けてくれたこと。きっかけを作ってくれたことです。
わたしは、目に見えない何かに支えていただいたように、都度の声に助けられました。
本当に不思議としか思えません。
改めて、支えていただいた人たちに感謝するとともに、この岐路の選択に不思議なものを覚えます。

わたしの人生には、ここに書ききれないほどの不思議な出会いがありました。
今思えばやはり「神に感謝」ということだと思います。
偶然と思えるものも一生懸命前を向いていれば、しっかり支えていただいている。
65才を迎えようとする今、会社の規定で正社員の定年となるときがきました。
神に感謝し、謙虚な気持ちで新たな人生の一歩を踏みたいと思います。

 


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