主を待ち望む イザヤ43章18〜19節


佐藤真理子

先のことに心を留めるな。昔のことに目を留めるな。

見よ、わたしは新しいことを行う。今、それが芽生えている。あなたがたはそれを知らないのか。必ず、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。

イザヤ書43章18〜19節

最近、「自分が自分の友達だったとしたら、良い友なのだろうか、友達でいたいだろうか」と考えさせられる機会がありました。人が誰かの良き友でいたかったら、むやみに責めるようなことも、傷つけるようなこともしないはずです。その友の存在の尊さを認め、励ますはずです。ところが、時に人は自分に対しては存在価値を貶めるようなどこか厳しいメッセージを送ってしまいます。

自分の中にいる、自分を苦しめる存在は、歩んできた道のりの過程で作られてしまうものだと思います。人は誰しも生まれたときは一切の悪を知りません。しかしだんだん社会性を身に着け、他者と関わるうちに傷つけられたり、挫折したりします。はじめはまっさらだった自分の存在が、だんだんと価値を貶められるような体験をします。そのような体験から、自分をみじめにさせる自分が生まれ、時々顔を出すようになるのです。

傷となるような体験は、意識の上でも、無意識の上でも人を束縛します。また、そのような体験は不当な扱いを受けた自分自身に罪責感を植え付けることがあります。過去の記憶が今の自分に影響し続けることがあります。しかし、しっかりと整理すべきは、不当なことをされたとき、悪いのは不当なことをする人であって、される人ではないということです。

不当な扱いを受けると、人は自分の価値が貶められるような気がします。しかし、神はあなたを世界の始まる前から計画し、母の胎に宿る前から待ち望んでいたのです。

また私には、何度か周りから「きっとこのように思われているに違いない」とネガティブな方向に考えていたことがありました。しかし、そのたびに蓋を開けてみれば全くそのようなことはなかったという経験をしました。そのような体験を通して、自分に対して意地悪な態度をとっていたのは自分自身だったのだと気づかされました。それ以来、自分は自分の最善の友でいなければと思うようになりました。神がその創造物である人に無限の価値を認めてくださったのだから、長年の体験から降り積もった塵を落として、それを真正面から受け入れるべきなのだと思いました。

 

私たちは誰しも、生まれたときは世界に何の疑いも持っていない無邪気さを持ち合わせています。まっさらな状態の私たちは、自身に満ち溢れていたかもしれません。しかしある日突然、それを覆すような出来事に出くわします。それは幼稚園の砂場かもしれませんし、学校の教室かもしれません。だれかがちょっとした意地悪を言ってからかいます。そういったことは、人生の中で姿かたちを変えて繰り返し現れます。(意地悪を言ってからかう人も、誰かからそれをされて本当は傷ついている人なのかもしれません)。

そのような出来事が繰り返されるうちに、自分に自信を失ってしまったり、自分の価値を低く見なしたりしてしまうようになるのです。

そのような価値観の犠牲になり、脆い自尊心から支配欲を持ち教会をカルト化させる男性牧師、あるいはクリスチャンであっても女性に賞味期限を突きつけるような因習的で非聖書的な価値観を刷り込まれ、苦しむ女性を私は何度か見たことがあります。

しかし、そういった人を支配するのは偽りのメッセージです。そこに真理はありません。聖書の中で、神と対極の存在にいるサタンは偽りの父と表現されます。心を落ち込ませ、負の感情に陥れるサタンのメッセージは、虚構であって偽りなのです。

神は私たちに全く反対のメッセージを送っています。私たちは地の塩、世の光です。

 

あなたがたは恥に代えて、二倍のものを受け、人々は侮辱に代えて、その分け前に喜び歌う。それゆえ、人々は自分の地で二倍のものを所有し、とこしえの喜びが自分のものとなる。

イザヤ書61章7節

過去に聞かされた虚構のメッセージに従う必要はないのです。昨日までのことはもう過去です。心無い言動に振り回される必要はないのです。真実は、神様が私たちに無限の価値を与え、全てを必ず益とすると約束を与えていることです。

 

ロトの妻のように後ろを振り返って固まってしまうのではなく、前を向くよう神様は示しています。

 

私自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている――主のことば――。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望をあたえるためのものだ。

エレミヤ書29章11節

神様は、あなたに対してすでに新しいことを始めています。何も起こっていないように見えても、神様は常に働いています。過去に縛られず、誰かの祝福となるために前を向いて歩いていきましょう。主に信頼する者は決して失望する必要はないのです。

主の御業に期待して、希望をもって素晴らしい計画の実現を待ち望みましょう。

佐藤真理子(さとう・まりこ)

東洋福音教団沼津泉キリスト教会所属。上智大学神学部卒、上智大学大学院神学研究科修了、東京基督教大学大学院神学研究科修了。
ホームページ:Faith Hope Love


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

12 − 3 =