シグニスの魅力:2017年のジャーナリストミーティングを振り返って


石原良明(AMOR編集部)

4年前の2017年、筆者はマレーシアのクアラルンプールで開催された、ジャーナリスト会議(SIGNIS Asia Journalist Round Table)に参加させて頂いた。世界中のシグニスがデスク制に再編され、シグニス・アジア最初のジャーナリズム・デスクとしての会議でもあった。

3月10日から11日の二日間にわたって行われた会議の内容については、こちらのページをご覧いただければ早い。とりあえず、覚えていることを先に述べておきたい。

2017年のマレーシア、クアラルンプール国際空港といえば、2月に北朝鮮の金正男が暗殺されたことが大きなニュースとなっていた。また、マレーシア航空では事故が続いていた記憶があり、直前までそわそわしていたものだ。加えて、東南アジアへの滞在は初めてだったので、シンガポール在住の学生時代の同級生に用意すべき物や事を一通り聞き出し、準備した。曰く、「KLの3月は日本の8月だから、暑さに気を付ければ楽しい」とのこと。荷物は比較的少なくてすんだ。

約6時間のフライトは快適そのものだった。到着地が近付いてくると大きな入道雲がうずたかく上空へとぐんぐんと伸びている。すると、それまで轟音をかき鳴らして爆発的に推進していた飛行機が、まるでエンジンをまったく切ったかのように静かになり、旋回しはじめた。心地よい浮遊感を感じつつ窓から空を眺めると、雲の柱の間から青々とした大空と太陽が顔をのぞかせる。と、思った次の瞬間勢いよく高度を落とし、曇天を貫いて着陸まで滑空し続けた。

シグニス・ジャパンでは難しいことだが、シグニス・マレーシアのメンバーが会場までの送迎のため待機してくれていた。国際空港から一路会場へと向かう。車内では既に到着している各国のメンバーについて話を聞き、中には英語が苦手な参加者もいるらしいことに安堵した。

会議の様子。

到着すると、既にプレミーティングが始まっていた。会場は会議室と宿泊所も備えた施設で、外の灼熱の日差しとまとわりつく湿度が信じられないほど快適だった。会期中の食事もすべてこの施設内で提供された。航空運賃に始まり、食費も宿泊もすべてシグニス・アジアが負担してくれる。

そこまでしてシグニス・アジアは何がしたかったのかというと、それはシグニスの使命を具体化するためである。新たなマルチメディア時代における倫理的でプロフェッショナルなジャーナリズムを促進すること、異なる地域と異なるメディアを越えてカトリック信徒のジャーナリストによるグローバルなネットワークを構築すること、記事と情報を共有することによってカトリック信徒のジャーナリストの連帯を強めること、表現の自由とジャーナリストの権利を守ること、個人的繋がりとソーシャル・メディアの使用を通してネットワークを援助すること、である。

そのためにシグニスは、テレビ、ラジオ、ジャーナリズム、映画、メディア教育の各デスクを制度化し、それぞれに所属するカトリック信徒を援助しているというわけだ。

しかし私は必ずしもジャーナリストの自覚はなかったし、今もほとんど持っていない。それにも関わらず、アジア各国のジャーナリストたちとディスカッションをし、グループワークではシンガポールから来たAFP通信の女性記者とペアになった。他のグループを見ると、スリランカとバングラディシュとパキスタンとインドからやってきたメンバーがあーでもないこーでもないと激論を交わしている。他方ではヴェトナムからやってきた(おそらくジャーナリズムを専攻している)女子学生がカンボジアの若いテレビ局アナウンサーと意見を交わしている。国境を争った国々の若者たちがカトリック信徒同士という理由で仲良く議論している様子は大変刺激的だった。

日本からのお土産のせんべいを配る筆者(右)。

アジア、というのはあまりに広い。イスラム国家パキスタンのメンバーは常々宗教迫害に苦しむキリスト者の現実を報道している。ある司祭は仏教国で宣教メディアに関わっている。日本や韓国、シンガポールは先進国かもしれないが、ヴェトナムに至っては社会主義国だ。それぞれの場で活かせるものをどう学ぶのか、最後まで分からなかったが、こうもいろんな人たちがいろんな見方をしていることを実感させられた。

議論と講演はどれも、その年の1月に公開されて5月に迎える世界広報の日の教皇様のメッセージを具体的な環境の中で深めるための内容だった。教皇様のメッセージは、社会に対立と分断を招くフェイクニュースとどう立ち向かい、癒しと連帯を生むジャーナリズムを強調していた。2020年のメッセージではディープフェイクにも触れている。2017年当時はアメリカ大統領選挙の翌年だったということもあって、問題の深刻さはもちろん共有されていたが、その解決の難しさもまた痛感させられた。フィリピンから来たシグニスメンバーは大統領府の広報官を務めるカトリックの青年で、ドゥテルテ大統領の部下の立場からこの問題に向き合った。

グループディスカッションで筆者が提示したアイデア(誰にも理解されなかった)。

中でも忘れられないのは、会場に訪ねてきてくださったクアラルンプールの大司教様のこの言葉だ。「これだけは自分に問いかけてほしい。あなたは、たまたまカトリックになったジャーナリストですか。それともたまたまジャーナリストになったカトリックですか。」

つまり、福音的なレンズを通して社会を見つめることができれば、いかなる困難の中にも希望を見出すことが出来るはずなのだ。それが教皇様も毎年おっしゃっていることだ。私はジャーナリストではないが、その観点を持ち込んで聖書の論文を一本執筆することができた

それにしても、日本のカトリックメディアの社員や、一般メディアのカトリック信徒は、どうしてこんなに有意義な研修を(しかも場合によりけり無料で)受けることができるシグニスに入らないのか不思議でならない。世界中に有意な人脈ができること請け合いだ。

また、こうした機会を日本で作る必要性も感じている。日本でも宣教メディアと一般メディアの枠を超えて連帯し、今後一層強まる分断に対して、社会の一致を目指すメディア人の集まりが求められているように思う。

 


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