博士と狂人


1928年の第一版刊行まで実に70年以上を費やした世界最高峰の辞典『オックスフォード英語大辞典』通称OED。

このOEDの誕生秘話をドラマチックに描いたノンフィクション本『博士と狂人―世界最高峰の辞書OEDの誕生秘話』が1989年に刊行されると、その劇的なストーリーに魅せられたメル・ギブソンがすぐに映画化に名乗りを上げる。それは、世界に冠たる辞典の礎を築いたのは、“異端の学者”と“殺人犯”だったからだ。

 

ギブソンは、監督に『アポカリプト』(2006年)で共に脚本を手がけたファラド・サフィニア(本作の監督表記ではP.B.シェムラン)を抜擢した。そして2016年に撮影がスタートした。

 

1837年2月7日、スコットランドで仕立て屋と織物商を営む家の長男として生まれたマレー(メル・ギブソン)は、独学で言語学博士となった。そして1869年にオックスフォード大学からOED三代目の編纂主幹を任命され、その計画の中心にいた。シェイクスピアの時代まで遡りすべての言葉を収録するという前代未聞のプロジェクトは困難を極める。

マレーは、英語の用例を印刷物や記録から徹底的に集め、その用例からあらゆる語彙の意味がどのように使用されているかを示すという新しい方法を用いた。マイナー(ショーン・ペン)は精神病院の看守から贈られた本のなかに、辞典への協力を呼びかける文書が挟まっているのを見て、OEDの編纂プロジェクトに参加する。

しかし、大英帝国の威信をかけた一大事業に犯罪者が協力していることが明るみになり、OEDの編纂プロジェクトは暗礁に乗り上げてしまう。そしてついには、時の内務大臣ウィンストン・チャーチルや王室をも巻き込んでいくことになるのだった――。

 

この映画が描き出そうとしている主題は、OEDに関わったマレーとマイナーの二人の出遭いであろう。学士号を持たず独学で言語を学び孤軍奮闘していたマレーと、優れたエリート軍医であったが殺人という過去を持つマイナー。マレー博士はスコットランド生まれだったこともあり、閉鎖的なオックスフォード大学のプロジェクトチームからはその存在を軽んじられてもいたし、マイナーに至ってはアメリカ人であり犯罪者だった。“異端の学者”と“殺人犯”、この2人の孤独な魂が共鳴していくところに主旋律があると思われる。

辞典のなかで「ART」という言葉に苦心していたが、マイナーによって解決したあとに出て来る台詞、

「闇を恐れることなく 世界を見つめることから 偉大で美しい芸術は生まれる」

「闇の中で生きてきたこの私に あなたは光で照らすことを求めてくれた 力を合わせて闇を退けましょう 光で打ち勝つ日まで」(あなたの友 マイナー)

「鉄は鉄に磨かれ 友は友に磨かれる」

「すべてに神の恵みを」

このような台詞にも注目したいと思う。

『博士と狂人』によって、歴史的に偉大となる事業は、こうした隠れた人物によって生み出されていくのだという事実を教えられる。

 

ただ、わたしにはこの映画にはもう1つの主題があるように思われてならないのだ。それは、マイナーへの描写がわたしを惹きつけて離さないからである。

マイナーは裕福な家庭の子どもとして生まれ、名門イェール大学医学部を卒業後、南北戦争に北軍の軍医として従事したエリートだった。しかし過酷な戦争体験によって彼の精神が蝕まれてしまう。マイナーは精神の安定を求めてロンドンに移り住むのだが、街を歩いていたとき、誰かに追われているという幻想を抱く。そして面識のないジョージ・メレットを射殺していまうのだ。戦争のときに脱走兵を痛めつけたことがトラウマになり、「アイルランド人に襲われる」という被害妄想がエスカレートした犯行だった。のちにマイナーは、妄想・幻覚・思考障害といった症状を持つ統合失調症と診断されている。

 

メレット(ナタリー・ドーマー)には夫が殺されたときお腹に子どもがいた。そのほかに6人の子持ちだった。メレットと7人の子どもの生活は貧しさを極めていた。マイナーは、未亡人のメレットにアメリカ軍からの年金を渡そうとする。最初は拒んだメレットだったが、精神病院を訪れると、次第にマイナーの誠意を受け留めていき、援助を受けるようなる。そして、マイナーは字が読めなかったメレットに文字を教えていく。文字が読めるようになれば、子どもたちにも教えられるからだ。メレットの習得は早かった。

メレットはマイナーに手紙を渡す。

「I can because of you」

(できるわ)

やがて2人の間に恋が芽生え始める。

「If love‥‥then what」

(愛があれば その先は?)

しかし、ある日メレットが子どもたちをマイナーに紹介したとき、長女がマイナーの頬を平手打ちにする。

マイナーは苦しむ。そして、メレットの夫を

「また殺した」

と呻くのだった。

ここには、懺悔と赦し、そしてなによりも「贖罪」のテーマが描かれているのではないか。

『博士と狂人』の映画パンフレットには次のように書かれている。

「監督は、照明とカメラワークも現代的なものになるよう意識したという。狂気は暗闇であり、正気は光。無知と混乱は暗闇で、知識と秩序は光。殺人と処罰は暗闇で、許しと贖罪は光――。全編を通して、暗闇から光へと移行するイメージを繰り返す事で、進歩というテーマを表現している。有機的な照明と作りこまれた照明の両方でこの隠喩を表現し、登場人物が最も闇に近い状況にあるように思われても、光の兆しを視覚的に表現した。積み重なる本のページといったショットから、壮大なオックスフォードの建築物の超広角映像へと、ストーリーの移り変わりを1つのカットやショットで見せることで、叙事詩的に広大に見える作品になっている。」

メル・ギブソンが映画人としてわれわれに何を訴えてきているのか。その大きな答えが『博士と狂人』に描き出されているように思える。

 

そして、マイナーの台詞を最後に1つ上げさせていただこう。

「読書をしている間は誰にも追われない  私が追う 神のあとを」

 

鵜飼清(評論家)

 

10月16日(金)、ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国ロードショー

 

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監督:P.B.シェムラン 出演:メル・ギブソン、ショーン・ペン、ナタリー・ドーマー、エディ・マーサン、スティーヴ・クーガン

原作:サイモン・ウィンチェスター著「博士と狂人―世界最高の辞書OEDの誕生秘話」(鈴木主税訳/ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

2018年/イギリス、アイルランド、フランス、アイスランド/英語/124分/ドルビーデジタル/シネスコ/原題:THE PROFESSOR AND THE MADMAN/字幕翻訳:原田りえ/

提供:ポニーキャニオン、カルチュア・パブリッシャーズ/配給:ポニーキャニオン


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