他者を内側から知る(2)マルチン・デ・ポレス


矢ヶ崎紘子(AMOR編集部)

前回、古代の修道院長ベネディクトの妹スコラスティカの伝説を話題にした。彼女は兄を説得するという外的方法に挫折した時に、神に祈るという内的な道に転換して、結果として望み通り彼を引きとめることができたのだった。筆者はこの物語を、「同質性を媒介にして他者を内側から知ること」と解釈し、また、共同の祈りで歌うということが、何かこの内的知に関係があるのではないかと考えたのだった。

この漠然とした気づきについてもう少し何か言うことができないだろうか。そのとき、あらかじめ定義されている言葉や宗教的な決まり文句から出発するのではなく、素朴な実感に即して、筆者の内的な現実を表現するのにできるだけしっくりくる言葉を選ぶことによって、読者の実感にも沿うものとなるようにしたい。今回はマルチン・デ・ポレスの伝記を読んで、内的な知について学ぶことにする。

 

世界との関係と他者との関係

私たちが目を通じて世界を見ているとすると、自己というのはその目よりもいわば手前にあって、目の外を見ている意識のように感じられる。そして、その目が見ているのが世界(ここでは、他者や神を含む、私たちが経験しているものすべて)であるとしよう。他者とは、私の経験する世界に登場する、私とはさしあたり区別された意識をもつ人であると考えよう。すると、他者をどのように経験するかは、世界をどのように経験しているかを反映していることがわかる。

世界がよそよそしく危険に満ちていて、身を守らなければ生存できないという意識でいる場合は、他者も逃げるか勝つかしなければならない敵となるので、世界という戦場で「生き残る」ために様々な手段をこうじるだろう。世界が根本的にやさしく、安心でき、率直にふるまうことのできる場所だと思っているなら、結果的に他者の安心に貢献し、率直にふるまうだろう。

前者にとっては、世界との一体感は損なわれているので、何か思い通りにいかないとか、悲しいとか、不本意だとか、怒りとかそういう感情がついて回るだろう。そして、情報収集とか、交渉、操作、(多くは否定的な)推測といった、世界を外から知り、外から働きかける方法をとるだろう。他方で世界と内的な同調性をもっている人は人々に対しても何か自分自身と区別のない親しさをいだいているだろうし、人々もその人を昔から知っているような感覚を覚えるだろう。自己(意識)と他者との関係は、世界(意識が経験するものの総体)との関係によって変化すると思われる。

世界を危険だと思っている人にとっては、恐れ(世界から自分を守らなければならない、場合によってはそのために世界に登場する何かを攻撃しなければならないという考え)が支配的である。それはいわば恐れという柵で自分を囲んだ状態である。一方で世界と内的な同調性をもっている人は、恐れから脱出しており、世界といわば愛の関係にある。私たちの意識は宗教生活の中で両者の間を行ったり来たりしながら、徐々に恐れから愛の状態に移行しようとしているのだろう。

世の中では宗教が自己正当化の道具になっていることがよくある。宗教があるから戦争が起こると言われることさえあるほどである。それは、恐れから愛への移行という道筋からすると、恐れにとどまった状態を示していて、宗教の目的を達成しているとはいえない。宗教は本来恐れから愛への移行の道筋を示すものであり、その道筋をたどった先人の中には他者を内側から知る事例がふんだんにある。マルチン・デ・ポレスの伝記はその典型として挙げることができる。

 

マルチン・デ・ポレスの内的知

分類、交渉、説得、会話といった外的な人間関係を普通のことだと思っている私たちにとって、他者を内側から知ることは神秘的、奇跡のようなことに感じられる。1962年に教皇ヨハネ23世によって列聖された16世紀ペルーの修道士マルチン・デ・ポレスの伝記には、聖人伝に典型的な奇跡がいくつも記されている。

マルチンは征服者であるスペイン人男性を父、奴隷身分である黒人の女性を母として1579年にリマに生まれた。彼は肌の色が黒かったために幼くして父親に捨てられる経験をしており、修道院の財政を助けるために奴隷市場に自分を売るように上長に願ったこともあるほど、奴隷としての自覚をもっていた。他方で、スペイン人を父にもつこととキリスト教徒であることで支配者の属性を受け継いでもいた。当時の南米社会は複雑であり、彼を単純に白人による抑圧の被害者だとか、いや優位な立場だったとかいうことはできない。しかし重要なことは、そのような状況の中で、様々な条件にもかかわらずすべての人が神の子であり、神の像であるという確信を彼がもっていたことである。

15歳の時に修道院の小使いになったマルチンが、病気の司祭を見舞うように頼まれたときの話は、内的な知の典型を示している。その時の様子はこう書かれている(以下、ファビアン・ウィンディト著、モデスト・ペレス訳『リマの聖者 ドミニコ会の黒人修道士 マルチン・デ・ポレス物語』第四版、聖マルチン病院、1999年を参照)。聖人伝の中でこのエピソードを選んだのは、聖人が引き起こしたかに見える現象に驚いた第三者の証言だけではなく、内的に他者を知るときの精神の使い方がごく簡単に記されているからである。

マルチンがペトロ神父の部屋に行こうとした時、ふと一つの考えが浮かんできた。多分ペトロ神父は何かおいしいものを食べたいと思っているだろう。病人にはよくそんなことがあるものだ。だからもし台所から何か特別上等の食べ物がもらえたなら、病人もずっと元気になるだろう……

「愛する主よ、どうかペトロ神父のほしがっているものを私に考えつかせて下さい。一ばん喜ぶようなものを思い出させて下さい。」ふしぎなことに、この小さい祈りをマルチンが口にしているうちに、ペトロ神父はサラダがほしいだろうとの考えがうかんで来た。(60頁)

マルチンがそれを持っていくと、はたしてそれは病人の求めていた通りのものだった。

「……坊や。お前はどうして私が一日中ほしいほしいと思い続けているものを考えついたのかね。」……
「私はちょっとお祈りをささげました。あなたをよろこばすことができるようにって、ただそれだけなんです」と少年はこたえた。(62-63頁)

マルチンは、ペトロ神父について事前に情報収集をしたわけではなく、何が欲しいか本人に尋ねたのでもなかった。彼は外的な方法をとることなく、心中で神に話しかけるという内的な方法をとって、相手が望むものを知ったのだった。誰にも言っていない望みが急にかなった驚きはどれほどだっただろうか。他者を内側から知ることは普通の考えからすれば奇跡である。

 

二つの要点

「同質性を媒介にして他者を内側から知る」ことを考えた時、マルチンから学べることがいくつかある。一つは、媒介となる同質性とは、恐れと分断に満ちた世界で人間がたまたまもっている属性(支配者か奴隷か、少年か老人か、健康か病気かなど)のことではなく、そもそも人間とはどういう存在かという同質性、ここでいう神の像としての同質性だということである。

もう一つは、祈りの結果として起こる奇跡のようなことは祈る人の超能力ではなく、世界と関わる一つの方法の結果だということである。すべての人間を等しく神の像と受け取ることは、人間が恐れを超えた世界に共通の前提をもっていると理解することである。いわば恐れの外側を通ることで、あたかも恐れで作った柵をすり抜けるかのように、人の内面に入ることができたのだろう。

マルチンに関する証言の中に、閉め切った部屋に入ってきたというものがある。それが物理的にそうであったのか、恐れに閉ざされた心の中に入ってきたということの比喩なのかはわからないが、恐れる人には奇跡でも、恐れと分断の向こう側にある神の像という共通の前提に立ち、祈りという方法をよく知っているマルチンは、普通のことをした結果だと言うだろう。

 

恐れと分断からの脱出

以前、戦争と恐怖について書いた(特集34 戦争と宗教者「恐怖を摘み取る――8月6日、インドで話したこと」)。戦争は特定の国民が邪悪だから起こるのではなくて、人間の恐れによって起こるという内容だった。この恐れとそこからくる分断からの脱出をどう考えようか。

たとえば、私たちは貧しい人、抑圧されている人の味方をし、食べ物のない人のために食べ物を調達し、尊厳ある生活ができるよう医療を受けられるようにするべきだという価値観をもっている。それは、彼らが神の像として不壊の尊厳をもっているからである。他方で、労働する必要もなく、生存と安全を確保するのに必要な範囲を越えた食物や住居を得ている人々もいる。貧困問題について考えると、豊かな人々は貧しい人々の敵であると考えがちである。

この稿で既に書いたように、人間がそもそも神の像であるということは、生きている間の偶然的な属性、つまり富や貧困などとは無関係である。すべての人が等しく神の像であるという観点からすれば、貧しい状態にある人々の味方をするということは、富んでいる人々(たとえ彼らが抑圧者であったとしても)を敵視することと同じではないことがわかる。抑圧者の属性をもっている人々も等しく神の像であると考えることは簡単ではないかもしれない。しかしこれについてもマルチンから学ぶことができる。

マルチンは幼い時に父親に置き去りにされた。その時の父親ドン・ジュアン、母親アンナ、そして子供のマルチンと妹ジェーンの考えを順に読んでみよう。

「王さまにつかえる名誉ある武士として、この皮膚の色の黒い子供が自分の息子、娘であるとどうしていえよう。子供たちが自分に似ないでアンナに似ているとは、又何というおそろしい災難であろう」(4頁)

「子供のせいなんだ。子供らが皮膚の白い子供でさえあったなら、かれは私をおき去りにしてこんなひどい目にあわせることはしなかったろうに」(5頁)

「おかあさんはまちがっているんだね。大事なのは皮膚の色ではなく霊魂の色なんだよ。ねジェーン、もし僕らが真っ白な魂をもってね、神さまのお気に入るように出来るだけをしたなら、僕らが貧乏な黒人だってことも、お父さんが僕らをおいていったことも、何も悲しむことはないんだよ。」(7頁、一部表記を改めた)

「その通りだと思うわ兄ちゃん。でも私たちにおうちのことや、きれいな着物のことを心配してくれるお父さんがあったらもっとうれしいわね。……」(7頁)

後年マルチンとジェーンの願いはかなって、父親は心変りして彼らのところに帰ってくるのだが、ここで重要なのはマルチンが両親を愛しながらも、肌の色を問題にする彼らとは別の考えをもっていて、自分の皮膚の色を憎むことも白人を羨むこともなかったということである。彼は白人である父とその伯父に引き取られ、愛され、教育を受ける機会を喜んだ。彼は白人に敵対しなかったし、黒人を優れているとも言わなかった。

本人が変更することが難しい属性というものは確かにある。どの土地で誰から生まれたか、どんな目や肌や髪の色をしているか、どのような性をもって生まれたか、といったことである。そのような変更困難な条件が不利益の原因になる場合には差別と言われる。そのような不利益は、本人にはどうしようもないことなのだから公平でないというのが、差別を憎む場合の論理であろう。マルチンからさらに学べることは、そのような差別が根拠としている条件は変更困難ではあるにしても、実は人間であることそのものとは無関係なものにすぎないということである。

差別と呼ばれるものは二重の構造をもっている。ひとつは前述したように、本人が変更することの難しい属性あるいは境遇を理由にしているということである。もう一つは、その変更困難な属性はその人の本質ではないにもかかわらず、その人自身と同一視されているという錯誤である(この、属性とその人自身の区別についても別の稿で書くことにしよう)。この同一視を解消することが差別の解決となるだろう。差別の理由になっている属性をその人自身とみなすかぎりは、被差別者の属性を称揚しても差別はおそらく解消されない。

恐れは分断の理由をいくらでも探し出す。しかし、マルチンのような人は、その恐れと分断が幻想であることをきわめて優しく明らかにする。マルチンは貧者を救済したが、その資金は友人の富者の理解と協力によって得たものだった(彼は富者から奪って分配したのではなかった)。彼は貧者と富者双方の友人であったし、黒人と白人と先住民の病気や怪我を同じように治した。彼が帰天した時には大勢の人々が別れを惜しんだが、裕福な婦人の治癒や、司教、総督、判事といった社会的地位の高い人々が彼の棺を運ぶことを願ったことが特に記されている。マルチンは人間が生きている間に負っている外的な条件を愛の障害としなかった。それで、「あらゆる人種はかれを友とよぶであろう」(178頁)という修道院長の言葉が残っている。

 

わたしの意識の移行

「他者を内側から知る」ことは極めて個人的で内面的なことでもあり、かつ人間全体の癒しにまで広がっていくことでもあるようだ。わたしは自分を神の像だと思っているだろうか? 自分を抑圧する人を、自分と同じように神の像だと思っているだろうか? わたしが問題にしている様々な属性が実は問題ではない可能性を考えているだろうか? いま抱いている恐れや敵意や憎悪で囲った自分の外はどうなっているのだろうか? 自分を守るために張り巡らせている、恐れという柵がそもそも幻想であったと感じる余地はないだろうか? 柵の向こう側にあるのは恐ろしい世界ではなく、率直で親密な世界ではないだろうか。

(続く)

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

fourteen − two =