FATAがやってきた 1


あき(カトリック横浜教区信徒)

 新型コロナウイルスの影響で在宅勤務を余儀なくされ、今までの生活が一変した。

今までなら家にじっとしているという生活は、出張の多かった私にとっては苦痛と思っていたのだが、普段言い訳をしてできずにいたことを整理する時間が生まれ、瞑想の時間も増えて、心苦しくも、この時間がうれしかった。

毎朝散歩していた飼い犬のFATAとの時間も朝夕2回となり、「この生活の変化を一番喜んでいるのはFATAであろう」と思う。

近所の公園の歩道で、私を誘導するように前を歩く愛犬の背中を見ているうちに、FATAが来てからのことをいろいろ思い出していた。

そして、「大人になったなぁ。」と我が家に来た頃のFATAを思っていると、いつしか思いは2年前に飛んでいくこととなった。

今回は、このFATAとの関わりを通して感じたこと。これって人間関係もおんなじだなぁと思ったこと。何気ない所作から受けとれるふれあいなどを綴ってみたい。まずはFATAとの出会いから始めましょう。

 

わたしの父は29年前(1991年)のクリスマスイブの夜に他界した。そして2年前(2018年)の復活祭4月1日に母が天に上った。

わたしたち夫婦は、子供たちが独り立ちした後、ずっと母との3人暮らしだった。妻は、母の晩年の面倒を見続けていた。母も妻を頼っていた。誤嚥性肺炎を起こしてから病院生活となっていた母。

3月に入り桜の時期を迎えて、久々に息子たち夫婦とわたしたち夫婦が一緒に桜で有名な千葉の小湊鉄道の延線をたどりながら写真を撮って楽しんでいた日。駅から発車する電車と満月を見ながらなぜか母が気になったその日。夜7時過ぎになって帰ろうとした時、わたしの携帯電話がなった。

母が急変したという電話だった。

わたしは急いで、川崎の病院に向かった。

母は酸素マスクをして呼吸も弱く目を閉じていた。わたし一人が病院に泊った明け方、母が旅立った。

母の葬儀の合間に近所の公園に行き桜の散るのを見た。そして花筏を見た時、きっとこのいかだに乗って母はいったのだろうと思った。

それからの数か月。今まで毎日、病院の先生とのやりとり、母の世話などをやっていたわたしたち夫婦に空虚な時間が訪れた。

半年くらい時間が過ぎたころ妻が「わんちゃんを見に行きたい」とわたしに声をかけた。

今まで行ったことのない近所の大きなショップでいろいろなわんちゃんを見ているうちに「この子がかわいい。絶対この子」「えっ何?どういう意味?」「この子が欲しい…」母の看病が終わり、空虚な時間を埋めるように、我が家にわんちゃんがやってきた。

ショップに行ったのが10月。わんちゃんは7月28日生まれという。

我が家に突然わんちゃんがやってきた。

何て名前をつけよう。

わたしは、わんちゃんのくるっとした目を観ながら考えていた。

 


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