わたしとキリスト教


中沢 晶(東京教区信徒)

幼稚園がミッション系で、朗読がうまいからとミサに呼ばれたことがある。その頃は大きくなったら司祭になるのだと思っていた。公立の小学校を出て、やはりミッション系の私立中高に通わせてもらった。司祭にはなりたくてなれるものではないと知って、ふと来し方を見つめたときに、編み目のように人生に張り巡らされたキリスト教というものに気づいた。

2000年の歴史で継がれてきた祈りの中で、使命を帯びて学校が作られ、そこで自分は育ってきた。キリスト教を抜きにして、自分の人生――まだ15、6年ほどだったが――を表現することはできない。ちくしょうやられた、と思った。なるほどいつか洗礼を受けるのだなとも思った。そしてふと思った。

「あらがえるだけあらがったら、自分はどうなるのだろうか……」。

面白いことに、私とキリスト教の繋がりはここから始まった。自分を分析し、考え方や感じ方に宗教的な側面を見つけては、仏教や神道、民間信仰と比較する。日本人であるから、勿論、このあたりとも触れずにはいられない。なにが自分を組成しているのか、或いは世界と対峙するときに必要なのかを考える。これは後から考えると非常に危険で、自分の宗教性というものを分解する営みであった。

これが原因かどうか分からないが、一年ほどで自我が崩壊した。阿呆である。自我が崩壊したので私は逃げ出すことにした。自分に留まっていたらまた分析を始めてしまう。精神的にも物理的にも逃げ出しては捕まるということを繰り返した。まだ高校生の時分である。逃げ出す先は多くなかった。学校の中で一人になれて、いても怒られない、心配されない場所。そう、聖堂である。

あらがってはみたものの、結局こういうところに辿り着くのか。

それともここはただの場所で、自分のあり方とは別のことなのか。

聖堂にぐったりと座り込んで、見失った羊のたとえを思い出した。羊飼いは羊をおいて、一匹を探しに出る。羊は岩陰に隠れていたかもしれない。羊飼いは見つけた羊に語りかける。おいで、さあ、帰ろう。――しかし怯えた羊はパニックになって、また走り出してしまう。そんな様を想像して、これだ、これが自分だ、愚かな羊の姿だ、と納得した。

さりとて彼はパニック羊を放っておくような人でもないのだ。

それも理解した。

本当に、絡め取られるようにキリスト教がある。結局、私が自分の姿を理解したのは、キリスト教の文脈で、納得したのも、キリストについてのことだった。あらがうだけあらがって、結局は搦め手でここに落ち着く。「私」とキリスト教はそうやって共存しているのだ、私の中で。

納得すると、爽やかな心地だった。聖堂でステンドグラスの聖家族を見つめながら、何度でもここに逃げ込んでこようと、そう思った。

――さてそんな私が洗礼を受けるまで数年あらがい続けることになり、洗礼を受けてもなお隙あらばあらがおうとするのだが、それはまた別の話である。

 


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