初聖体の思い出 ~37歳のとき~


あき

結婚した相手がカトリック信徒。彼女の家は教会の前でしたので、神父さまに「たか~い」「たか~い」と抱き上げられて育ち、高校生会を通じて多感な時期を素直に信徒として育った人でした。

私自身はどうだったかというと、小学校のときは童話や地方の昔話が大好きで、本ばかり読んでいました。高校に入ると自然の不思議さに目を奪われ、太陽の恵みを神さまからの贈り物と感じていました。
ただ不思議なことに、小学校のときに読んだ本の一冊に……
イエスがゴルゴタの丘に重い十字架を背負いながら行く姿が書かれていました。
とても暑い昼下がり、多くの人に取り囲まれている中を汗みどろになりながら、ずるっずるっと痩せたからだを引きずって十字架を運んでいく。
突然高い青空に一点、ひばりが舞い降りてイエスに触れると同時に「ぴーっ」といいながら天に昇っていく。その胸元にはイエスの赤い血がついていました。
だからひばりは今でも胸元が赤いんだよと。
本当かどうかはわかりませんが、私の心には「ぴーっ」という声とともにイエスの姿が刻まれました。

高校生のとき「死ぬのが怖い」と本当に思いました。
毎日うなされ、奈落の底に沈んでいく夢をみました。
そんなときに読んだ本が遠藤周作です。
いろいろ読みましたが、「おばかさん」のガストン・ボナパルトが好きでした。
ただひたすら正直に生きる人。何もできないけど弱い人に寄り添う姿。
そんな姿と小学校のときのイエスさまが重なりました。
できる、できると励ますのではなく、「大丈夫ですよ」と静かに寄り添う。
そんなイエス像に、気がついたら聖書を読んでいました。

結婚の相手がカトリック信徒というのは偶然の驚きでした。
それまで聖書を読んではいましたが、教会に足を運ぶことはありませんでした。
彼女とごミサに与かったのが初めての経験。
しばらくして結婚のために神父さまのところに通いました。
神父さまからは「早く洗礼を受けなさい。あなたは、そのうち信徒になるでしょう」「勉強はこれから一生だから」と予言めいたことを言われたのが24歳のときでした。

36歳のとき、いろいろ悩みが重なって、初めて教会の門をくぐりました。
二階にあるお聖堂の前で、いらっしゃいとにこにこ招いてくれた教会の案内の人。
その手招きに誘われるようにお聖堂に入りました。
37歳のとき、5~6人の若い人、年配の人に混じって受洗し初聖体をいただきました。
洗礼後、緊張して代表のごあいさつをみなさんにしたのを覚えています。
正直ご聖体の味は覚えていませんが、口の中に溶けていくご聖体に神さまを感じました。
また「勉強はこれから一生だから」と言われた神父さまの声を思い出しました。
思えば「いつもイエスさまがそばにいて、ずっとわたしを導いてくれたんだなぁ」という実感がそのときにありました。その気持ちは今でも続いています。

(カトリック横浜教区信徒)


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