初聖体の思い出


中村恵里香

小学校1年生になってすぐの土曜日、母から「明日から日曜日は教会に行って日曜学校に行くように」といわれました。そのときの私は、頭の中に?がいっぱい詰まっていました。教会? どこ? なんて感じです。なぜかというと、それまで教会に足を運んだ記憶がないのです。すると、それを察したように、「幼稚園に行っていたでしょ。そこよ」というのです。幼稚園に御聖堂があったのは知っていましたが、そこが教会というのは実感がわいていませんでした。

当日、大人の足で15分のところをすぐ下の妹と2人で出かけました。8時からのミサですので、出かけるのは相当早かったのだと思います。環状7号線を渡っていくのですが、それまでいつも母か友人のお母さんと一緒でしたので、何とも心細かったことを覚えています。

なんとか教会にたどり着き、子どものためのミサに預かり、はたと困ったのは、日曜学校の場所が分からないことです。聖堂をでて、ボーッとしていたのですが、誰も教えてくれません。仕方なく、妹と2人で同じ道を帰っていきました。帰りが早いので、母にはどうしたのといわれましたが、日曜学校が分からなかったと話したような気がします。その日の午後、事件は起こります。なんと神父様が真っ赤な顔をして我が家にやってきたのです。どうしてミサに出ていたのに、日曜学校に来なかったのかと聞かれたような気がしますが、神父様の顔が恐くてたまりませんでした。きっと場所が分からなかったと話したのでしょう。幼稚園の教室だと教えられたのだけは覚えています。

それからは毎週、日曜日になると朝早く家を出て、日曜学校に通いました。クララ会のシスターがていねいに神様のことを教えてくださったのですが、その記憶はほとんど抜け落ちています。ただ、春の盛り、日にちは覚えていませんが、1年上のお姉さん、お兄さんが真っ白なドレスを着て、祭壇の前で神父様から何かをいただいている姿だけははっきり覚えています。そのとき、シスターから、「しっかりお勉強をしたら、来年はあなたたちもあんなお洋服を着て、神父様に祝福していただけるのよ」といわれたことだけは覚えています。

そして年があけると、本格的に初聖体のお勉強になりました。まずできなければならないのは主の祈りと天使祝詞です。今のように平易な言葉ではありませんでしたので、なんだか呪文のように聞こえました。シスターがどういう意味の祈りなのかていねいに説明してくださり、それがきちんと祈ることができないと初聖体は受けられないとおっしゃるのです。これはたいへんです。あの真っ白なドレスを着るために本当に一所懸命覚えました。それから告解の仕方等々覚えることはいくつでもありました。できなくて日曜学校に来なくなるお友達もいましたが、ドレスを着るためだけにどれだけがんばったことか……。

なんとか、やらなければならないことを一つひとつ覚えこなしていると、ある日母から初聖体のドレスを作るからと洋服のサイズを測ろうといわれました。そのときのうれしいことったらなかったです。教会においてあるドレスを着ることがほとんどの中で、母が私のためにドレスを作ってくれるというのは、天にも昇る気持ちでした。毎日、子どもの世話と内職で忙しい母がドレスを作ってくれるのです。日ごとに少しずつで着上がってくるドレスをみると、難しいことも何でもできるようになるような気がしました。

当時身体の弱かった私は、ひと月のうち1週間は確実に熱を出して学校を休むような子どもでした。初聖体の日を3日後に控えた日に私は恒例となったように高熱を出してしまうのです。もし当日熱が引かないと次は来年になってしまいます。すぐに病院に連れて行かれ、すごく痛い注射をしてもらいました。おかげで、微熱がありながらも初聖体は受けることができ、当日、ドレスを着たのも覚えているのですが、神父様に何を言われ、どのように祝福されたのかはまったく記憶がありません。ただ、ドレスを脱がされ、抱えられるように家に帰った記憶だけは残っているので、当日は両親も教会に来てくれたのだろうとは思っているのですが、晴れがましい記憶がどこからか抜け落ちてしまっている初聖体でした。

(ライター)


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