『典礼音楽の転換点』③ オルガヌムとオルガン その2


齋藤克弘

 前回はオルガンとオルガヌムの関連についてそこに至るまでの事情を書きましたが、今回はさらに突っ込んだ推論を進めてみたいと思います。

おおよそ9世紀の頃には、オルガンもオルガヌムも教会の中で重要な位置を占めるようになったと考えられます。オルガンはおそらく最初は伴奏といっても今のような難しい演奏方法ではなく、聖歌と同じ旋律を弾いていく形だったのではないかと考えられます。理由はいくつかありますが、一つは鍵盤の数もストップ(パイプ)もそれほど多くなかったからです。また、最初期の引手の人たちは、今のような楽譜がありませんでしたので、自分たちが知っていた聖歌の旋律を音を外さないように、あるいは聖歌の練習の時に、初めての人でも歌えるように一緒に弾いたのではないかと考えられます。

では、オルガヌムのような倍音列の音がどうやって鳴らされるようになったのか、それはまったく不明ですが、いくつかの推測をしてみましょう。

まず一つ目、修道士の中で誰かひとり、音痴な人がいて、その人が間違えて歌ってし

二つの記号が一つの歌詞についている様子。12世紀の『カリクストゥス写本』に書かれている。初期の多声音楽の例。前掲書、p.234所収

まった。二つ目、反対に音に敏感な人がいて、響いている倍音列の音を歌ってしまった。三番目、二つ目の人が面白半分に響きあう倍音を歌った。その際にオルガンもある程度の役割を担っていたかもしれません。その場合考えられるのは二番目ですね。オルガンが一緒に伴奏している倍音列の音を聞いてそちらを歌ってしまったということです。あるいはもう一つ、オルガンを弾く人が鍵盤を間違えて弾いてしまい、正しく歌った人と間違って弾いてしまったオルガンの伴奏に合わせて歌った人がいたという可能性も考えられます。

倍音列の音を敏感に感じるというのは今の音楽事情では信じられないかもしれませんが、実際にわたくしの卒業した音楽大学の声楽家出身の女性歌手は歌声で倍音が聞こえるそうです。音楽自体も今のデジタル音源と違って、人間の声か、オルガンの場合は、極端に言えば楽器で笛を吹いているようなものですから、倍音列の音が聞こえる可能性は十分にありますし、人間の耳も今の時代よりも敏感だったのではないかと思います。

当時の資料や本当に倍音列を歌い始めた人が記録した文書が残っているわけではないので、あくまでも「推論」の域を出ませんが、いずれの理由か、あるいは複数の理由が重なり合って、オルガヌムといういわゆるハモル音楽が登場したのです。

そして、これはもう一つ大きな変化をもたらしました。どういうことかというと、オルガヌムが登場する前の歌い方、すなわち旋律だけの歌い方では、どうやっても旋律が一つですから、既存の歌詞(テキスト)にことばを加えようとすると、既存の歌詞(テキスト)のどこかに挿入することしかできませんでした。実際、ミサ曲ではこのような方法で歌詞(テキスト)を挿入して歌う、トロープスという歌い方が広まっていました。

しかし、旋律が二つ以上になるということは、既存の旋律(定旋律と言います)では既存の歌詞(テキスト)を歌ったまま、その他の旋律では異なった歌詞を(テキスト)を同時に歌えるようになります。実際、最初は同じ歌詞(テキスト)を歌っていたオルガヌムも次第に定旋律以外では新たに歌詞を創作して歌うようになり、これが次第に聖歌を複雑にし、最後には教会の世俗化にまで進むようになってしまいました。

また、オルガンも次第に構造が複雑になり、鍵盤も音列(ストップ)も増えていき、本来、祈りを支えるものであったものが、次第に演奏主体になっていき、祭儀の中から人の声に代わって演奏されるようになり、それは、人の声による祈りを奪ってしまったのです。

このように考えるとオルガンもオルガヌムも一時的に教会の祈りを悪い方向にもっていったように感じられますが、教会におけるオルガンの採用、オルガヌムの登場がなければ、現在わたくしたちが享受している音楽もなかったわけで、ことばが悪いかもしれませんが、歴史の必然の必要悪、と言えるかもしれません。

教会の祭儀におけるオルガンの採用、オルガヌムの登場は、楽譜の発明の次に、現在の音楽にまで至る大きな音楽史の転換点であったことは間違いありません。

次回は皆さんも聞いたことがあるパレストリーナという人物に焦点を当てて、音楽史の転換点を考察してみたいと思います。

(典礼音楽研究家)

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