ミサはなかなか面白い 76 「あなたをおいてだれのところに」


「あなたをおいてだれのところに」

答五郎 こんにちは。聖週間だね。今年は復活祭が4月21日とだいぶ遅いから、余計待ち遠しかった感じがするよ。聖木曜日の主の晩さんの夕べのミサから、聖なる過越の三日間の典礼というのが始まる。

 

 

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問次郎 これも内容が豊かな典礼ですよね。初めて見学したときもいろいろと面白いところがありました。

 

 

女の子_うきわ

美沙 この三日間の典礼についても詳しく聞きたいと思います。

 

 

答五郎 そうだね。いつかね。この三日間の典礼もなかなか、というか、とっても面白いよ。応用編というか、いろいろな要素を加えたり、外したりしながら出来上がっているからね。そのためにも基本となるミサをまずしっかり学ぼうということさ。で、今回は……。

 

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問次郎 前回は平和の賛歌まで見ました。きょうは、聖体拝領のところです。

 

 

答五郎 会衆用ミサ典礼書を見ると、平和の賛歌のあとにすぐに信者の拝領という次第になっているけれど、ミサ典礼書自体には、ここでまず司祭が沈黙のうちに祈る拝領前の祈りというものがある。

 

 

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問次郎 拝領というところになって、皆が平和の賛歌を歌っている間も、司祭は何か静かに祈っている感じがありましたね。

 

 

女の子_うきわ

美沙  司祭の所作が神妙にというか厳かになっているなと感じていました。

 

 

答五郎 こんな祈りをしているのだよ。問次郎君に頼もうか。

 

 

 

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問次郎 ここですね。「神の子、主イエス・キリスト、あなたは父のみこころに従い、聖霊に支えられ、死を通して世にいのちをお与えになりました。この神聖なからだと血によってすべての罪と悪から解放され、あなたのことばをいつも守り、あなたから離れないようにしてください。」または「主イエス・キリスト、あなたのからだと血をいただくことによって裁きを受けることなく、かえってあなたのいつくしみにより、心もからだも強められますように。」こんな祈りをしていているのですね、司祭の方たちは。

 

答五郎 この祈りの歴史的いわれもあるらしいのだが、ともかく聖体、キリストのからだと血を受けることの意味がそれぞれで照らし出されているし、主の祈りで皆が祈った内容が引き継がれている感じもするだろう。聖体を授与する司祭としての奉仕の前に、それに臨む心を強めている祈りといえる。総則84でも「沈黙のうちに祈り、自らを整える」とある。そして「信者も同様に、沈黙のうちに祈りながら準備する」とある。自然と厳かな気持ちになっているというのはそういうことだろうね。さて、そうして、司祭は、会衆に向かって、招きのことばを発するね。

 

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問次郎 「神の小羊の食卓に招かれた者は幸い」ですね。実は、「神の小羊の食卓」ということばは難しいなと思っていました。でも、要するに「主の食卓」ということですよね。

 

 

答五郎 もちろん、「主の食卓」「主の晩餐」といってもよい。ただ、そこで「神の小羊の」と言っているところに、平和の賛歌とのつながりがはっきり見えるだろう。実はね、ラテン語の規範版で見ると、ここの招きのことばは、初めに「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」とヨハネ1章29節にある洗礼者ヨハネのことばがそのまま告げられることになっているのだよ。つまり聖体のパン(ホスチアというのだけれど)を示して、「見よ、神の小羊だ」と告げた上で、「神の小羊の食卓に招かれた者は幸い」と招いているわけだよ。

 

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問次郎 そうだったのですか。そうすると聖体を示していることとのつながりも、平和の賛歌とのつながりももっとはっきりしますよね。そこはあってもよいかな。

 

 

答五郎 まあ、なくてもつながりがわかるだろうと、日本の典礼書づくりのときには思われたのだろうね。ところで、前回見たように、「神の小羊」というキリストへの呼び名には、その死と復活の意味が込められている。そして、黙示録が描くように、神の国の完成のイメージ、つまり父なる神と小羊である御子を囲む集いの意味もにじみ出てくるだろう。

 

女の子_うきわ

美沙  わたしは、奉献文の「あなたがたのために渡されるわたしのからだ」「わたしの血の杯」というところを思い起こさせられます。

 

 

答五郎 そう、そして、第2奉献文の場合だが「わたしたちはいま、主イエスの死と復活の記念を行い、ここであなたに奉仕できることを感謝し、いのちのパンと救いの杯をささげます。キリストの御からだと御血にともにあずかるわたしたちが、聖霊によって一つに結ばれますように」というところで、聖体拝領の意味がすでに語られていて、それがようやく実行されるのが、ここというわけだ。そして、その招きにこたえて、会衆がいうことばがあるだろう。

 

女の子_うきわ

美沙 「主よ、あなたは神の子キリスト、永遠のいのちの糧、あなたをおいてだれのところに行きましょう」ですね。

 

 

答五郎 このことばを聞いて、どんな感じがしていたかな。

 

 

 

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問次郎 「主よ、あなたは神の子キリスト、永遠のいのちの糧」とズバッと、キリストのことを言っているな、力強い宣言だなと感じましたが、「あなたをおいてだれのところに行きましょう」は、なにかセリフじみていて、これをみんなで唱えているのには最初は少しびっくりしました。

 

女の子_うきわ

美沙 でも、福音書のペトロの告白に基づいていると教わりました。新共同訳で読みますね。「あなたはメシア、生ける神の子です」。「メシア」とは塗油を受けた者という意味で、救い主を指す言葉で、ギリシア語で「クリストス」つまり「キリスト」ということだと。

 

答五郎 そう、よく聞いてきたね。その続きは。

 

 

 

女の子_うきわ

美沙 ヨハネ福音書6章68節が基だということです。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます」です。これに35節のイエスの言葉「わたしが命のパンである」がミックスされて「永遠のいのちの糧」となったのだと。

 

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問次郎 「だれのところへ行きましょう」はペトロのことばなのか。それなら、受け入れます。そのように福音書に基礎があることを知ると、ここの信仰告白は、キリストがだれであるのかをはっきり告げるということで、いっそう心に刻まれます。

 

答五郎 そうだろう。力強いし、はっきりしているし、教わるところが多いだろう。でも、実は、この拝領前の信仰告白のことばは、日本のミサ典礼書独自のものなのだよ。

 

 

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問次郎 えぇっ! そうなのですか。

 

 

答五郎 そう、それは、日本のミサの大きな特徴の一つだと、いろいろな意味で注目されているし、また論議されている。どうして、そのようになっているのか、どう評価されるべきなのかとね。興味あるかな。

 

 

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問次郎 そう言われると、興味ないわけありませんよ。

 

 

女の子_うきわ

美沙  はい、わたしも、です。

 

 

答五郎 そうか、それについては、でも、次回にしよう。もう少し調べたり、考えたりしなくてはならないのでね。

(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)


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