ミサはなかなか面白い 72 副文……「主の祈り」に続く祈りの意味


副文……「主の祈り」に続く祈りの意味

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答五郎 さて、前回は「交わりの儀」の最初にある「主の祈り」について見たね。きょうは、それに続く部分、日本の『ミサ典礼書』、会衆用式次第でも「副文」という見出しがついている祈りをみよう。

 

 

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問次郎 「副文」と書いてありますが、ミサを見学している限りは、「主の祈り」にすぐ続く祈りのように思います。「副文」という用語に何か意味があるのですか。

 

 

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答五郎 たしかに、『ローマ・ミサ典礼書』の原文には、このような特別な見出しはなくてね。でも、典礼学の中では、特別な用語があって、ラテン語で「エンボリスムス」というらしい。それを「副文」と訳しているわけだ。国語辞典を引いても出てこない翻訳造語だよ。まずは、どんな祈りか、美沙さん、読んでくれるかな。

 

女の子_うきわ

美沙 はい。「いつくしみ深い父よ、すべての悪からわたしたちを救い、現代に平和をお与えください。あなたのあわれみに支えられ、罪から解放されて、すべての困難にうち勝つことができますように。わたしたちの希望、救い主イエス・キリストが来られるのを待ち望んでいます」。これに会衆が応唱します。「国と力と栄光は、限りなくあなたのもの」と。

 

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問次郎 見学していて、よく信者さん方がここで、「国と力と栄光は、限りなくあなたのもの」という難しい言葉を唱えるなとも思っていました。結構力強く唱えていますよね。

 

 

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答五郎 実は、この祈りは第2バチカン公会議後のミサの刷新によって、文言が昔とは変わっているのだよ。その意味は、あとで考えることにして、まず「エンボリスムス」という用語は、ギリシア語のエンバレイン、ここでは「嵌め込む・挿入する」の意味の動詞から来るもので、元来、「嵌め込まされたもの・挿まれたもの」を意味する。閏月や閏日を指す単語でもあるのだ。ここでは、「主の祈り」のあとに「挿入された祈り、組み込まれた祈り」という意味になるね。日本語訳では「副(そ)えられた祈り」という意味で「副文」としたのだろうと思うよ。

 

女の子_うきわ

美沙 印象としては「続文」ですね。主の祈りの最後の部分「わたしたちを誘惑におちいらせず、悪 からお救いください」を引き継いでいますからね。

 

 

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答五郎 たしかに、聞いている感じからは「展開された祈り、敷衍(ふえん)された祈り」の感じがするね。日本語の副文、つまり「副えられた祈り」をその意味でとってもよいのではないかな。もちろん、内容を見なくてはね。

 

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問次郎 ミサの刷新でここの祈りが変わったといわれましたが、昔はどのようなものだったのですか。

 

 

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答五郎 冒頭だけは似たものだった。公会議前のミサ典礼書の日本語訳の例を紹介しよう。もちろん当時は実際に唱えられてミサが行われていたわけではなく、信徒の参考用に訳されただけなのだけれどね。美沙さん、ここを頼む(長江惠訳『主日・祝日用 ミサ典禮書』1950年より)。

 

女の子_うきわ

美沙 はい。「主よ、願わくは、過去、現在、未来のすべての悪よりわれらを救い給え」となっています。「すべての悪からわたしたちを救ってください」という意味では現在も同じですね。

 

 

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答五郎 原文もそこは全く同じ。そこは「主の祈り」に続くことがはっきりしているね。ただ、このあとが違う。もう読まないけれど、悪からの解放、罪からの解放、一切の悩みからの解放を、聖母マリア、使徒ペトロ、パウロ、アンデレ、諸聖人のとりつぎによって、そして、父ととともに、聖霊との一致において、最後に、わたしたちの主イエス・キリストによって願う祈りとなっている。「主の祈り」の願いに続く嘆願の祈りとして首尾一貫している感じだった。

 

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問次郎 そうだったのですか。ざっと比べると、今の副文は、悪・罪・悩み(困難)からの解放は同じように願われていますが、「現代に平和をお与えください」がはいっていますね。それと最後に「わたしたちの希望、救い主イエス・キリストが来られるのを待ち望んでいます」と主の来臨への待望を告げ、最後に「国と力と栄光は、限りなくあなたのもの」と一同で神を賛美するのですね。

 

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答五郎 現代の平和を考えている点、終末における主の来臨に目を向けて、賛美で終わっているという意味で、結構大きな変化だろう。

 

 

女の子_うきわ

美沙 現代に平和を、ということで、「わたしたち」への狭い祈りではなく、全世界、すべての人が悪から解放されるようにと、視野の広い祈りになっていますね。

 

 

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問次郎 それと主の来臨の待望は、奉献文の中で「主が来られるまで」と皆で告げるのと対応している感じですね。

 

 

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答五郎 難しい言い方になるけれど、このような終末論的方向性というものを随所で明確にしたというのは、現代のミサの刷新の大きな特色といえるのだよ。それもとってつけたようなものではなく、教会の本来の精神、使徒時代にすでにはっきりと告げられているような信仰の精神を復興させたともいえるのだよ。たとえばフィリピ書3章20節を、問次郎君、読んでもらうか。

 

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問次郎 はい! 「わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています」。そのままですね!

 

 

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答五郎 「国と力と栄光は、限りなくあなたのもの」というのも一種の栄唱でね。これは、たとえば、黙示録4章11節なんかも似ているよ。

 

 

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問次郎 「主よ、わたしたちの神よ、あなたこそ、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方」。そうですね。

 

 

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答五郎 もっと近いのは、2世紀初め頃の「使徒教父文書」と呼ばれるものの一つで、『十二使徒の教え』という書がある。そこに感謝の典礼の祈りが紹介されていて、その9章4節にこんな祈りがある。美沙さんに頼もうか(『中世思想原典集成 1 初期ギリシア教父』より)。

 

女の子_うきわ

美沙 はい。「山々の上に散らされていたこれらのパンが集められて一つにされたように、あなたの教会が地の果てからあなたの御国へと集められますように。栄光と力はイエス・キリストによって永遠にあなたのものだからです」。

 

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答五郎 どうだろう。味わい深いだろう。このような栄唱(賛美句)によって、「主の祈り」は、神賛美(み名が聖とされますように)に始まり、神賛美で終わるというように、祈りとしてバランスが取れたものとなっているのだよ。

 

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問次郎 今の古典、教会が一つにされるように、というふうに教会の一致を祈っているという内容そのものも、平和のテーマに関連しているように思います。

 

 

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答五郎 そうだね。教会の祈りの心、祈りを必要としている状態というのは、変わらないのかもね。「平和」のテーマがさらに展開される、次の部分は、次回見ることにしよう。

(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)

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