ミサはなかなか面白い 66 すべての時代の聖人とともに


すべての時代の聖人とともに

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答五郎 さて、一年も残すところあとひと月半。どこでも「平成最後の」といわれるね。典礼暦年も押し迫ってきた。我らが奉献文の旅もようやく終盤に入りそうだよ。前回は……

 

 

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問次郎 第2奉献文の「キリストの御からだと御血にともにあずかるわたしたちが、聖霊によって一つに結ばれますように」を見ました。交わりのエピクレーシス、一致のエピクレーシスと呼ばれているものでした。

 

 

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答五郎 きょう見る部分はその続きのところだ。教皇の名前とか、司教の名前が出できて、「……全教会を愛の完成に導いてください」と祈り、次に死者のことも祈り、そして……

 

 

女の子_うきわ

美沙 「神の母おとめマリアと聖ヨセフ、使徒とすべての時代の聖人とともに、永遠のいのちにあずからせてください」というところまでですね。

 

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問次郎 具体的な名前が出てくるし、全教会のために祈っているのだな、死者も含めて……ということはあまり問題なく、わかりやすい祈りだと思います。

 

 

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答五郎 前に見た聖体による一致を願う祈りに続いて、全教会が一つになって、永遠のいのちにあずかれるように、そして、完成に至るようにと祈る流れは、聞いていてもはっきりとわかるからね。総則での説明はやや難しいが、かいつまむと、全教会と、そのすべてのメンバーのために、この感謝の祭儀が行われることを明らかにする部分ということになる。

 

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問次郎 すみません。祈りを聞いているときより、説明は難しいです。

 

 

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答五郎 そう、具体的に見たほうが、いいだろうね。ここでは長くなるから引用はしないけれど、第2奉献文はもっとも簡潔で、第3奉献文は、少し長くて、順番も、マリアや聖人が最初に出てきて、次に全教会、ここに集う共同体、そして死者へと言及する。

 

女の子_うきわ

美沙 今ざっと見ると、第4奉献文もわりとコンパクトで、全教会、死者、マリアや聖人という順序ですね。第1奉献文は変わっていて、聖別や奉献の前のところにマリアや聖人、教会、そしてあとにも死者のこと、別な殉教者・聖人のこととあります。

 

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答五郎 たしかにね。奉献文ごとの個性が出る部分だろう。ところで、こういう祈りのことを、ミサ典礼書の総則では、「取り次ぎの祈り」と呼ばれているのだよ。

 

 

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問次郎 「取り次ぎ」? またまた祈りそのものより名称のほうが難しいですよ。

 

 

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答五郎 かえってわかりやすい祈りだと、その意味をあらためて問いかけなくなってしまうものだよ。そうするとすぐマンネリ感が生じてしまう。何のための祈りなのかな、ということを考えさせるために、ちょっと難しい説明や、すぐにはわかりにくい名称があるのだよ。

 

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問次郎 そんなものですか。「取り次ぎ」というと、だれか偉い人のところを訪ねていく、間に人があって取り次いでくれるという感じがしますけれど、それでいいのですか。

 

 

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答五郎 たしかにね。訳の問題なのだけれど、「取り次ぎ」が「執り成し」といわれることもある。

 

 

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問次郎 「執り成し」というと、だれかけんかをしている人同士の間に入って仲裁するようなことを連想させますね。

 

 

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答五郎 それぞれニュアンスがあるけれど、日本語の二つの語に共通する要素があるだろう。

 

 

女の子_うきわ

美沙 はい。だれかとだれかの間に入るということですね。

 

 

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答五郎 そうだね。「取り次ぎの祈り」と訳されているのはラテン語の「インターセッシオ」という言葉で、これも、基本は「間に入る」「介在する・介入する」を意味する。そこから「保証する・保証人になる」「仲裁する」というさまざまなニュアンスも出てくる。どちらの日本語も大体当たってはいるだろう。

 

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問次郎 ここの祈りとの関係は、どうもまだピンときませんが。

 

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答五郎 ヒントになるのは、第3奉献文のここ。交わりのエピクレーシス、つまり聖体による一致を聖霊に願う祈りのすぐあとのところだ。美沙さん、頼む。

 

 

女の子_うきわ

美沙 はい。「聖霊によってわたしたちが、あなたにささげられた永遠の供えものとなり、選ばれた人々、神の母おとめマリアと聖ヨセフ、使徒と殉教者、すべての聖人とともに神の国を継ぎ、その取り次ぎによって絶えず助けられますように」。

 

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答五郎 第2奉献文では「神の母おとめマリアと聖ヨセフ、使徒とすべての時代の聖人とともに、永遠のいのちにあずからせてください」となっているけれど、そこにも、「その取り次ぎによって絶えず助けられますように」との気持ちがこめられていると考えられる。

 

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問次郎 ということは、「取り次ぎ」が「介在する・介入する」にいるという意味だとすると、神とわたしたちの間にマリアをはじめ聖人がいるという考えですか。

 

 

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答五郎 実はそれは違う。神とわたしたちの間で、厳密に間にいる方は一人だけだ。

 

 

女の子_うきわ

美沙 イエス・キリストですね。

 

 

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答五郎 そうだ! その場合は、仲介者(メディアトル)というのが慣例だ。教会でいう「取り次ぎ」とは、第3奉献文のその祈りでいわれるように、あくまで「助ける」役割なのだよ。マリアや聖人たちは、天上の教会に今もいつも集まっていて、地上の教会とその一人ひとりを、祈りをもって支え続けてくれているという考え方からだ。ここには、教会がなぜ、マリアや聖人たちを敬い続けているのかという、その理由がちゃんと示されているのではないかな。

 

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問次郎 うーん。わかりにくいというか、深いというか。天上のことまでなかなか考えにくいな。

 

 

女の子_うきわ

美沙 たしかにそうかもしれないけれど、天上のこととか歴史上の人たちのことを思うとのは、心が広げられるような感じがしていいなと思います。

 

 

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答五郎 ともかく、奉献文のこういう部分が「取り次ぎの祈り」と呼ばれる一つの側面は、こうした聖人たちの「取り次ぎ」、つまり「祈りによる支えや助け」を願うという意味にある。いいかな。

 

 

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問次郎 ということは、「取り次ぎの祈り」にはまだ別な側面があるのですか?

 

 

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答五郎 わかりやすい祈りというのなら、自分で考えてみてごらん。次回、また見てみよう。

(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)

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