ミサ曲 12


齋藤克弘

 途切れ途切れになりましたが、ミサ曲についてのシリーズは今回で完結です。

アルス・ノーヴァの時代以来、20世紀の後半まで、「通作ミサ」とも呼ばれる通称「ミサ曲」が数多く作曲されてきました。現代のミサでもミサ曲を構成する4つの賛歌と信仰宣言は、ミサ全体が歌われない場合でも、会衆一同や場合によっては聖歌隊が歌うことが多いと思います。とは言え「通作ミサ」が作られだした時代とは異なり、現在、ミサ曲を構成する4つの賛歌と信仰宣言は、これら5つの「ミサ曲」というくくりではなく、ミサという、神に賛美と感謝をささげる一つの祈りの流れの中で考えられるようになりました。もう一度振り返りますが、4つの賛歌と信仰宣言は、もともと全部一緒にミサに取り入れられたのではなく、異なる時代にそれぞれが加えられていったのは、これまで見てきたとおりです。では、現在のミサではこれら4つの賛歌と信仰宣言はどのような位置づけがなされているのでしょうか。詳しくは『ミサ典礼書の総則』というミサについての決まり事を書いた公文書を読まれるのが一番ですが、いきなり読んでもわかりにくいかもしれませんので、簡単に触れてみたいと思います。

「あわれみの賛歌」(Kyrie)はその前に一同が神に心を向けなおす「回心の祈り」を受けて、そこに集まった兄弟姉妹同士が互いにキリストにあわれみを乞う賛歌です。伝統的にローマ典礼で使われてきた「回心の祈り」では「聖母マリア、すべての天使と聖人、そして兄弟の皆さん。罪深い(ふかい)わたしのために神に祈ってください」と結ばれています。その後に司祭は罪の許しを宣言しますが、そのための祈りが「あわれみの賛歌」と言えるでしょう。ここで「あわれみの賛歌」を歌うのは、まず互いに頼まれた兄弟姉妹のためであり、兄弟姉妹も「わたし」のためにキリストに歌っていることを忘れないことが大切ですが、もう一つ、聖母マリアやすべての天使と聖人たちも、父の右に座しておられるキリストの前で歌ってくださっていることを感じていただきたいと思います。ちなみに「回心の祈り」の第三形式では祈りの文言の中に「あわれみの賛歌」が含まれており、不必要な重複を避けるために、第三形式の「回心の祈り」を用いた場合には、「あわれみの賛歌」は省くという規則があります。

「栄光の賛歌」は式文の中では、それ自体独立した儀式、行為、という部類に含まれています(総則37)。この賛歌は大きなお祝いの時に歌われることになっています。

なお、この2つ賛歌が含まれる開祭の部分で他の儀式が行われるときには省かれることになっています。

「信仰宣言」は聖書朗読が行われる「ことばの典礼」において、神のことばと教役者による神のことばの解説(説教)を聴いた後に、神のことばにこたえて、わたしたちの信仰を神の前に宣言するもので、現在は「ニケア・コンスタンチノープル信条」と「使徒信条」のどちらかを使うことができます。

「感謝の賛歌」はミサの後半部分の「感謝の典礼」の「奉献文」に含まれていて、ミサに参集した全会衆が、神のみ前で賛美をささげる「すべての天使と聖人」に声を合わせて歌う賛歌です。

「平和の賛歌」は「主の祈り」から始まる、時間と空間を凝縮していく「平和(シャローム)」を祈る祈りの最も凝縮された祈りであり、祭壇においてパンとぶどう酒として現存される主キリストに平和を願う祈りです。祭壇におられるキリストの体(パン)は教役者の手によって砕かれ、それは、まさにわたしたちのために十字架の上で砕かれたキリストの体そのものです。そのキリストはわたしたちのパンと言う食べ物としてわたしたちの体の中に入ってこられることでわたしたちに「平安」を与えてくださいます。このことをキリストの体が砕かれる間に思いを込めて祈るのが「平和の賛歌」です。

「通作ミサ」が作られる前の初期のグレゴリオ聖歌の時代には、4つの賛歌はミサの式次第で歌われる旋律と共通する旋律で歌われていました。それが、次第に式次第が歌われなくなったことで、会衆の祈りだけを歌うようにした「ミサ曲」が作られていったようです。しかし、現代のミサでは、主日(日曜日)や祝祭日はもちろん、毎日でもミサは全体が歌われることを教会は望んでいます。これは、2000年を超えるミサの歴史を振り返ることで結論付けられたことで、4つの賛歌と信仰宣言のミサにおける役割もそのように決められていることを覚えておいていただき、できるだけ歌うことで祈りをより豊かにしていただけるように願う次第です。

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