アート&バイブル 23:マルタとマリア


ティントレット『マルタとマリア』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

ルカ福音書10章38~42節に登場する「マルタとマリア」のエピソードはよく知られています。しかし、それを宗教画として描いている作品はそれほど多くはありません。『キリストの洗足』を描いたティントレット(人物については前回のアート&バイブル22参照)は『マルタとマリア』を描いており、そのキリストをはじめとする人物の描き方は次世代のバロック芸術を先取りしているようにも思います。

ティントレットは横溢する才能の持ち主だったようで、とりわけ早描きで知られ、サン・ロッコ同信会館のために作品を制作した際には、他の画家が素描を仕上げる間にすでにタブローを完成してしまったほどです。またその才能を揮(ふる)う機会を貪欲に求め、ついにはスキアヴォーネなどの同業者たちの仕事を、なんら報酬を求めることもなく、手伝ったとも伝えられています。その点でも自己の名声や報酬よりもひたすら芸術作品を生み出したいという情熱にあふれていた人物であったといえます。長い生涯のほとんどをヴェネツィアで過ごし、そこで死んだ、生粋のヴェネツィア人でした。遺骸は自身の作品に彩られたマドンナ・デッロールト教会に埋葬されました。

 

『マルタとマリア』(1570~75年、油彩、200cm×132cm、ミュンヘン、アルテ・ピナコテーク所蔵)

【鑑賞のポイント】

(1)イエスが座っている場所はテーブルの端です。このテーブルの配置はティントレットの「最後の晩餐」や「キリストの洗足」にも見られるもので(前回参照)、ティントレットの特徴の一つとも言えると思います。

(2)イエスの服は赤の服の上にブルーの上着(マント)です。一番手前に描かれているマリアは、イエスと対になるように、ブルーの服に赤の上着をまとっています。マリアの服装はとても豪華でエレガントです。ヴェネツィアの裕福な女性たちの服飾を模しているのかもしれません。そして、マリアの両腕にはブレスレットのような腕輪があり、胸に飾られている大きなメダリオンとともに、マリアが裕福な家庭と身分の人であることをよく表しています。

(3)立ってマリアを指さしているマルタの服装も豪華ですが、黒を基調とした落ち着き、気品のあるものです。しかし、マルタの服の袖はまくりあげられており、腕輪というアクセサリーもなく、まさに「せわしく立ち働いていた」という風情です。

(4)面白いのはイエス、マルタ、マリアの他に、イエスと一緒にテーブルについている一人の男性が描かれていることです。これはヨハネ11章に登場する「ラザロ」ではないでしょうか? 弟子ではないのは確かです。すなわち、弟子たちは家の外に立っており、テーブルに着いている、この男性の服装はマリアやマルタと同じくヴェネツィア風です。

(5)マルタの背後には暖炉のようなもの(当時のクッキングコンロのような場所)が見え、その上には様々な食器が陳列されているところに、マルタの家の裕福さが表されています。(ヴェネツィアン・ガラスの製品のように見えます。)

(6)話に夢中のイエスの姿も興味深いものがあります。それはイエスの手の様子です。両手を使ったジェスチャー、あるいは仏像に見られる法印のようです。

 


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