ミサ曲5 栄光の賛歌Ⅰ


齋藤克弘

今年の教会の暦はちょうど4月1日が復活祭となりました。復活祭はキリストの復活を祝うキリスト教の最も大切で盛大なお祝いです。だれですか、4月1日はエイプリルフールだからキリストの復活も冗談だよなんて言っている方は。キリストの復活がなければキリスト教もキリスト教が育んできた文化も、いや、今、わたしたちが使っているさまざまな物事も生まれていなかったかもしれません。

復活祭の前の約40日間は四旬節と言って、復活祭徹夜祭でキリスト教に入信する人たちの最後の準備期間であると同時に、すでにキリストを信じる人たちはこの人たちとこころを合わせ祈りと節制に努める期間となっています。その四旬節の間、ミサ曲の中でも栄光の賛歌は基本的に歌われません。四旬節が明ける復活祭前の木曜日のミサから再び歌われるようになります。他にもキリスト教の暦では一年の初めに当たる待降節と呼ばれる、キリストの降誕を待つために準備をする期間にも栄光の賛歌は歌われません。

栄光の賛歌はミサ曲の中では信仰宣言に続いて長い歌詞となっています。この賛歌の冒頭のことばはキリストの降誕を羊飼いたちに告げた天使と天の大群のことばです。現在の日本語の訳では「天のいと高きところには神に栄光、地には善意の人に平和あれ」です。この冒頭のことばからミサでは最初、降誕祭(クリスマス)のミサで歌われていましたが、次第に先に挙げた季節以外の主日(日曜日)のミサでも歌われるようになっていきました。現在でも復活徹夜祭の祭儀では旧約聖書の朗読が終わった後に、唯一ともされている復活のろうそくから祭壇のろうそくに火が分けられた後、栄光の賛歌が歌われます。祭壇はキリストを示すシンボルの一つであり、祭壇のろうそくはキリストの光を象徴していますから、旧約聖書の朗読が終わった後、祭壇のろうそくに火がともされ、栄光の賛歌が歌われるのは、祭儀の進行上ではキリストの降誕を意味するものであることがよくわかります。

さて、この栄光の賛歌ももともとは司式する司教や司祭の先唱の後、会衆一同が

トリエント公会議

歌う父と子と聖霊に対する賛歌でしたが、あわれみの賛歌でも触れたように会衆にラテン語が理解できない時代になると、栄光の賛歌も他のミサ曲と同様に聖歌隊だけが歌うものとなり、比較的長い歌詞にも関わらず、トロープス(挿入句)も作られるようになりました。トリエント公会議によるトロープスの廃止によって、歌詞は元の通りシンプルなものになりましたが、時代が下って、楽器が多く用いられるようになってくると、歌だけではなく楽器の演奏も作曲の手腕を発揮するための手段となっていき、グレゴリオ聖歌のような単旋律の聖歌で平易に歌った場合に比べると、数倍の長さになるような曲がたくさんできてきます。聖歌隊やオーケストラが栄光の賛歌を数分間演奏する間、司式する司祭は演奏とは別に栄光の賛歌を一人で唱え、唱え終わると演奏が終わるまで席に座って待っていなければなりませんでした。他のミサ曲もそうですが、ミサ(典礼)の本来の流れとは別に、演奏が主体になっていたのです。

しかし、このようなミサ曲が演奏されたのは、比較的人数が多い教会や修道院、あるいは貴族や領主の礼拝堂でのことだったでしょう。片田舎の小さな村の教会ではこのようなミサ曲の演奏が毎日曜日行われていたと考えることは難しいと思われます。

現代の感覚から見るとおかしなものと思われる、ミサの流れを中断した演奏中心のミサ曲が数多く作られるようになったのは、前にもお話したように、トリエント公会議において「司祭が一人で有効にミサを奉げる」ことが重要視され、司祭以外はそれを妨げない限り何をしても問題がないと考えられるようになったからです。確かに、このような時代に多くの高名な作曲家により音楽的に素晴らしいミサ曲が数多く作曲されたのは、時代に必然であったかもしれませんが、その一方でそのような演奏中心のミサを問題視した教会関係者がいなかったのかという疑問も出てきます。音楽嫌いでモーツァルトといさかいになったザルツブルクのコロレド司教は音楽界では悪者扱いですが、見方を変えれば、ミサの流れを妨げるような演奏には疑問を呈していたと考えることもできるでしょう。

(典礼音楽研究家)


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