スペイン巡礼の道——エル・カミーノを歩く 46


古谷章・古谷雅子

6月5日(月) ビーゴへの遠足、日常への回帰そして締めくくり

サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂の巨大振り香炉ボタフメイロを吊るすロープは摩擦による摩耗のため定期的に交換されるが、それでも過去に何度か切れて落下したり窓を破って外へ飛び出したりしたことがあるそうだ。このロープは2004年からは人工繊維になったそうだが、それまでは麻とイネ科のエスパルト草でスペイン西端の港町ビーゴで作られていた。よく見かけるスペイン製のサンダル(エスパドリーユ)にも用いられている丈夫な繊維だ。儀式の後、そのロープ(持ち手の部分)は柱に括り付けられているので見ることができたが、一見天然繊維のようだった。見た目は伝統的に作ってあるようだ。ビーゴには漁網や帆船の綱を作る高い技術があったのだろう。

サンティアゴから鉄道で1時間半、86km南下したポルトガルとの国境近いリアス式湾内にあり、ガリシア州最大の30万人都市で、またスペイン最大の漁港でもある。近年急速に発展した工業都市でもある。景気のよい街なのだ。しかも風光明媚、「世界で最も美しいビーチ」とのキャッチフレイズで有名になった無人島「イスラス・シエス」までは40分のクルーズだ。フィステーラ遠足で一緒だったC子さんも島に行くように勧めてくれたが、今日こそは慌ただしいことは避けることにして、renfeのローカル線で往復し、旧市街と要塞跡にのみ行くことにした。

駅からまず海岸近くのインフォメーションオフィスに行った。ここはイスラス・シエスへのフェリー会社も営業していて、島に行かないことが不思議がられる雰囲気だ。街の地図をもらい、要塞(カストロ城)や旧市街(カスコ・ベーリョ)への行き方を教えてもらった。その時に「籠細工の通り」という場所も教えてくれた。やはり漁具から発展した縄・網・籠などは今も伝統品として残っているらしい。

ビーゴは16世紀ごろからイギリスの海賊を始めとして海から様々な攻撃を受けてきた。そのため海を一望できる丘の上に城塞がある。見張り台、砲台等が残されている。展望台で海を見ていると郷土史家という雰囲気の男性が近づいてきて親切に(そして誇らしげに)解説してくれた。こういうことがあると嬉しい。次は丘を下って「籠細工の通り」に行って見た。今は観光土産品が多いが、入った店は手作りの丁寧な製品ばかりだ。エスパルト草を紙縒りのようにねじった細い紐で編んだパン籠を買った。ボタフメイロのロープの街の記念だ。

帰路、駅に向かう海岸通りにはジャカランダの木が美しい紫色の花をつけていた。たくさん置かれたモニュメントの中に大蛸の上に座っている男性の銅像があった。おや、こんなところで『海底二万里』の作者ジュール・ヴェルヌに会うとは。彼はビーゴが好きでよく訪れたらしい。こんな風に気ままに歩き、港近くで観光客相手のガリシア料理を食べているうちに巡礼の視点は薄れ、消え去り、日常に戻る準備が次第に出来ていくようだ。

明日はマドリッドへ、そして明後日は日本へ帰るのだ。

陳腐なたとえかもしれないが、現代の巡礼旅は、一種の音楽のようだ。先人のおかげで旋律や和音の記された五線譜はできている。その楽譜の音符を辿る、時間経過のパフォーマンス。時に劇的、時に抒情的、解釈もテンポも自由だ。「フランス人の道」は3つの楽章からできている。ピレネーからブルゴスまでの第一楽章(急)、ブルゴスからレオンまでの第二楽章(緩)、レオンからサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの終楽章(急)だ。一気に歩きとおせば空間と時間の流れに自分を仮託してより深く理解できたことがあっただろう。私たちのように成り行きで緊張感ある終楽章から始めて第一楽章に戻り、優雅だが緊張感のない第二楽章で終わるというのは巡礼路歩きとしては変則的すぎたかもしれない。3回に分けることによって予備知識が充実して明確に見えたものもあるが、連続して歩かなかったことによって見そこなったもの、感じそこなったことも、またあるのだろう。

巡礼路を歩く者の分限は(にわか巡礼もどきの私たちの身の程を言えば)、よく見、聞き、感じ、清廉な心を持ち誠実にその時その時を過ごす、ということまでだ。言葉で表現できるような成果があるわけではない。しかし文化が宗教と表裏一体となり、宗教が文化として具現化しているこの特別な国の中でもとりわけ特別な道「エル・カミーノ」を歩くことは、本当に面白い体験だった。

(part3 完)

 


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