ウールリック・L・レーナー『カトリック啓蒙主義:ある地球規模の運動の忘れられた歴史』


「近代」と「カトリシズム」とはしばしば対決の構図ないし「カトリシズムの近代に対する自己防衛」という見方で語られることが多い。しかし近代を象徴する啓蒙主義的精神はカトリック世界にも確実に胎動していた。そんな新鮮な歴史展望を告げる書:

ウールリック・L・レーナー『カトリック啓蒙主義:ある地球規模の運動の忘れられた歴史』
Urlich L. Lehner, Dialektik the Catholic Enlightment : The Forgotten History of a Global Movement (Oxford : Oxford University Press, 2016) 257 pages

本書の著者は、ドイツのレーゲンスブルクで博士号を取得し、現在、米国ウィスコンシン州ミルウォーキーにあるイエズス会経営のマーケット大学で教職にある若手の研究者で、ドイツ教会史学会で定着した「カトリック啓蒙主義」という概念を英語圏の歴史学会に認知させた立役者である。2011年には、ドイツ語圏での啓蒙主義時代のベネディクト会修道院における改革運動に関する専門書『啓蒙化された修道僧――ドイツのベネディクト会士 1740-1803』を世に問うている。さらにジェフリー・バーソン(Jeffrey D. Burson)との共編『ヨーロッパにおける啓蒙主義とカトリシズム:国境を超えた歴史』(2014年)がある。後者の副題「国境を超えた歴史」と本書の副題「地球規模の運動の忘れられた歴史」は、共通の展望をもちながらも、それぞれの視点が微妙に異なることを暗示している。

【さらに読む】
著者は、カトリック啓蒙主義が近代化を推進する汎ヨーロッパ的な運動としてばかりでなく、近代ヨーロッパ文明がアフリカやインドから中国に及び、新大陸発見を通して中南米に拡大し、全地球を覆うようになった過程において、発見や学び、かつそれぞれの宣教地での信仰の基礎として理性と教義の総合をめざす試みを推進したことを指摘し、カトリック信者以外の人々の人権を認め、推奨する積極的な姿勢が究極においてヨーロッパ本国のカトリック啓蒙主義の運動に結びつくことを指摘する。

こういった観点から、著者は、教会のあり方に批判的な人物としてこれまでネガティブに評価されてきた啓蒙主義思想家を自由と人権の擁護者として彼らの思想が近代化に果たした役割を評価し、カトリック思想史における彼らの位置づけを肯定的なものに正すべきだと考えているようである。

究極的に、カトリシズムは近代世俗社会と折り合いをつけることができるかどうか。カトリック啓蒙主義者たちは、教会の位階制度の権威に反対したかもしれないが、それはカトリック信仰を否定したのではなかった。しかし、教会当局者は、すでに旧態化している制度を変革し、自由な弾力をもって近代の精神的動向に敏感に反応し、それを取り入れることよりも、教会の既得権益護持にエネルギーを費やしてきた、と著者は考えているようである。

聡明な教皇ベネディクト14世(在位年1740〜1758)は、教会内の改革による信徒の思想の自由を推進しようとしたが、それは妥協の産物であった。カトリック国の植民地における奴隷や従に僕たちの地位の向上に尽力した「啓蒙的」先駆者や修道者、また国内でも女性の地位向上を働きかけた先進的な修道女もいたが、その実現は遅々としていた。

結局のところ、自由、他宗教・他教派の人々の人権尊重は体制護持の風潮によって阻まれ、改革は思うように進んでいなかったというのが実情であったといいうる。著者によれば、それは、フランス革命の性格が過激化し、その状況に対して恐怖を抱いた穏健な教会当局者と彼らを支持した信徒の思想家たちが啓蒙主義に反対し始めたからであった。

強固な反啓蒙主義の防波堤が教会の周りに張りめぐらされた結果、啓蒙主義は教会の敵に仕立てあげられてしまった、と著者は考える。この状況がはっきりと姿を現し、教会制度に「受肉」してしまった結果、「カトリック啓蒙主義」は終焉し、啓蒙主義はカトリシズムと相容れないということになってしまった。こうしてカトリック教会内の啓蒙主義に対する評価や受容は頓挫したというのである。

著者は、こうした変化が起こるのは、18世紀末から19世紀にかけての全ヨーロッパに広まったロマン主義的復古の時代風潮によってであると断定している。その新しい時代精神のもとに、カトリシズムは「教皇中心的カトリシズム」へと変貌し、その頂点といえる第1バチカン公会議の教皇の不可謬性の教義理宣言に至る。その結末として、20世紀前半にはモデルニスムス(近代主義)の排斥とこの思想に対する神経質な探索という事態がひき起こされた。こうした状況の改善は、第2バチカン公会議による教会の方向転換によってようやく始まったのである。

第2バチカン公会議後の教会は、カトリック啓蒙主義がトリエント公会議(1545〜1563年)による改革をさらに推し進めて近代精神とカトリックの教義との間を調停し、カトリック教会と近代精神の相互受容を始めた。この姿勢を復興させる必要があるということを著者は、強く示唆しているといってよい。

(高柳俊一/英文学者)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

1 × 2 =