スペイン巡礼の道——エル・カミーノを歩く 27


古谷章・古谷雅子

5月24日(水)  マドリッド空港~ブルゴス

バス237km 2時間45

エル・カミーノ(スペイン西部の「聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラ」に至るスペイン巡礼の道)の「フランス人の道」を3回に分けて辿る旅、これまでの2回でゴールまでの300kmと出だしのピレネー山脈を越える300kmを辿ったが、真ん中200kmを歩き残していた。3回目のエル・カミーノの旅は、昨年の終点ブルゴスから出発し、高原台地を一昨年の始点レオンまで歩いた。前回と同様、連れ合いとの二人旅だった。

朝にマドリッド・バラハス飛行場に着き、日本からインターネットで予約しておいたALSAの長距離路線バスで北に向かった。最新の車輌の最前列は視界が広い。高速道路の両側は黄色いエニシダが強い日差しに輝いている。広々とした平原ばかりではなく途中は1500m近い山々を越えていく。牧草地、ポプラ、マツの植林等がまことに美しく居眠りするのが惜しい。ところによってはブドウの木の形づくりが始まっている(垂直に平べったく並ぶ)。3時間弱の乗車で午後2時前にはブルゴスバスターミナルに到着した。

ブルゴスはカスティージャ・イ・レオン州ブルゴス県の県都で標高は860m、8世紀に城塞市として建てられ(整備された城塞跡は地下の井戸等も復元されて見学できる)、その後は巡礼路上の宿駅として、また羊毛の交易商業都市として発展し、11世紀には司教座が移され宗教的にも重要な都市となった古都だ。13世紀には当時の最新様式であったゴシック様式の大聖堂の建設が始まった。この世界遺産サンタ・マリア・デ・ブルゴス大聖堂は15世紀に付け足された尖塔が有名だが、内部もイスラムの影響を受けた採光塔天井など見事な空間だ。レコンキスタ(イスラム勢力支配下からのキリスト教徒の国土回復)時代、11世紀後半に活躍した武人エル・シッドとその妻が葬られていることでも知られている。現代の巡礼者たちも、この街では足を止め、歴史に思いを馳せ、しばしの憩いを味わっているようだ。

バスターミナルのある新市街からアルランソン川を渡り旧市街のへの入口サンタ・マリア門をくぐる。まさに季節は初夏、むせるような新緑が陽光に輝き、河畔のヤナギから放たれた白い柳絮(綿毛)が町中に漂っている。ベニバナトチノキの花も満開だ。

スタートとゴールの宿だけは手配しておいた。昨年秋に泊まったオスタル・アルダ・エントレアルコス、簡素だが窓から大聖堂と城塞が望める前回の部屋だった。受付の若者は私たちの巡礼手帳を見て、8か月前に押されたこのオスタル(簡易ホテル)のスタンプと今回のスタンプが並んだページを記念に写真にとっていいか、と聞いてきた。勿論いいですとも! さあ、続きが始まるのだ。

今回は「フランス人の道」の残り200km(ブルゴス―レオン間)を歩いた後、本来の巡礼路のゴールであるサンティアゴ・デ・コンポステーラ(一昨年徒歩で到着)まで列車で移動し、やり残したいくつかの体験をするつもりだったので、巡礼路では不要の物をトランク1つにまとめて、郵便で送ることにした。郵便局は古都にふさわしい内外とも見事な装飾のある立派な建物だ。巡礼がゴールに荷物を送るシステムは確立されていて到着日を指定すればそれまで局で保管してもらうこともできる。

トランクを手放すと最低限の巡礼装備しか残らず、心も旅人になった。町はずれのマーケットで朝食、行動食、水を買う。今回も背負う荷物は雅子6kg、章8kg程度だ。翌日は長い行程なので早立ちだ。夜8時からのレストランの夕食時間を待つことはできないのでバル(軽食と飲み物)でカーニャ(生ビール)を飲みながらタパス(つまみ料理)で夕食とし、早々と就寝。夜中ふと目覚めて空を見ると満天の星、その下の大聖堂の尖塔が控えめにライトアップされていた。翌日の晴天を信じて再び眠りについた。

 

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