《対話で探求》 ミサはなかなか面白い 32:説教が「交わり」である意味


説教が「交わり」である意味

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答五郎……「ことばの典礼」を考えるシリーズも12回目だけれど、前回から説教のことを考え始めているね。ここには司祭はいないので、どちらかというと、聞く側からを考えているわけだけが。

 

 

瑠太郎……ミサの式次第で使われている説教の原語ホミリアが第一に「交わり」を意味する言葉だということが衝撃的でした。

 

 

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答五郎……ただ、「交わり」という意味を大切にするとして、それをどういうふうに理解するかが大事だよ。講義・講演・講話と違って授業のようなやりとりがあってもいいものだという話をしたけれど、それも「交わり」という理解があるからかもしれない。

 

 

聖子……交わりというのなら、その場で、福音のことばについて感想を語り合う集会になってもいいんじゃない?

 

 

 

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答五郎……さて、どうだろう。たしかに信者同士が互いにことばを交わし合うのかもしれないけれど。

 

 

瑠太郎……感想の分かち合いということは、信者の生活の中で意味があるのかもしれませんが、ミサの進行の中だとちょっとそぐわない気がします。

 

 

聖子……何人もの人が感想を述べ合えば、長くなるかもしれないわね。

 

 

 

 

瑠太郎……長くなるかどうかの問題ではないように思えます。要するに感想はそれぞれの人の主観を披露し合うものでしょう。でも、それを礼拝のときに聞きたいものでしょうか。そういうのは、独自の集会で行えばよいのではないでしょうか。

 

 

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答五郎……今の瑠太郎くんの指摘は大切だと思う。「交わり」をどう理解するかという点だね。人間同士お互いに感じていること、思ったことを交わし合うのは、もちろん「交わり」の一つだけれど、説教が「交わり」だというときは、もう一つ、重要な交わりが関係するのではないかな。

 

瑠太郎……はい。やはりなんといっても、神との交わり、神のことばとの交わりだと思います。

 

 

 

 

聖子……でも、お話がどのような意味で、神との交わりになるのかしら。

 

 

 

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答五郎……やはり、司式司祭が通常行うこの説教と呼ばれる話は、その中身がどうというより、形として、神から人へ、神のことばであるキリストから皆へという方向性と力をもって行われるものだと思うよ。もちろん、人がする話ではあるけれどね。そこが、司式司祭が原則として行うということのヒントがあるのだと思われるのだ。『ローマ・ミサ典礼書の総則』で説教について触れているところ(65項)を、聖子さん、読んでみてくれないか。

 

聖子……はい。「説教は、典礼の一部であって、大いに奨励されている。それは、キリスト者の生活の糧に必要なものだからである。説教は、祝われている神秘や会衆の特別な必要を考慮に入れて行われるべきものであって、朗読された聖書の内容の一部、もしくはその日のミサの通常式文または固有式文の一部の説明となるはずのものである」。ずいぶんたくさんあるのね。

 

瑠太郎……「朗読された聖書の内容の一部」というところは、いつも説教に含まれているように思います。説教は、福音についてのお話なのだろうと思っていたぐらいです。ミサの式文の説明ということも課題になっているというのは初耳です。

 

 

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答五郎……「祝われている神秘」や「会衆の特別な必要」を考慮するということは、たとえば、クリスマス(主の降誕)や復活祭のときなどにはっきり現れてくるだろう。そういったことやミサの式文の説明といったことまで含むと、司祭でないとできない役割だなという気がしてくるだろう。

 

 

瑠太郎……その日の聖書朗読を含めて、ミサ全体に通じていてこその役割なのですね。

 

 

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答五郎……そう。だから、単純にこれを福音の感想の交わし合いにしてしまうことはできないだろうね。その日のミサの内容全体を熟知して、この日の神のことば全体を代表するような役割だからね。

 

 

瑠太郎……その日のミサでの神のことばと教会の人々との交わりを代表し仲介するということですね。

 

 

聖子……そういえば、司祭はいつも神さまのように正しいことを少しわかりやすくして伝えてくれるのが説教なのかなと思うときも多いけれど、ときどき、信者さんというかあたしたちと同じような心境や悩みを代弁して語ってくれるときもあるわね。そういうなかで、神のことばをどう受けとめたらいいかをお話ししてくれるときなど、ほんとうに身近になるわ。

 

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答五郎……そう、そういう中でも教えの側面があるだろう。結局、そのようなところが、説教がホミリア、つまり第一に交わり、第二に教えを意味する原語が使われている素晴らしい理由だと思うよ。

 

 

 

瑠太郎……説教がホミリアという意味が少しわかってきました。

 

 

 

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答五郎……まあ、司祭によってアプローチはさまざまだし、同じ司祭でも毎週、日曜日に説教をするのだから、いろいろな切り出し方やまとめ方を工夫しているのだよ。

 

 

 

聖子……その準備のことを想像すると、説教って大変なお仕事ね。

 

 

 

瑠太郎……そういう意味では、説教の時間が長いとか短いとかの問題ではないですよね。

 

 

 

 

聖子……でも、集まっている人が子どもかお年寄りかとか、あたしのように集中力が続かない人とか、状況に応じて考えてほしいわね。「会衆の特別な必要」を考慮して、とあったじゃない!

 

 

 

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答五郎……たしかに、それも重要なポイントだね。だいたいの司祭たちは考えてくれていると思うよ。さて、次回は「信仰宣言」を見ることにしよう。

(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)

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