《対話で探求》 ミサはなかなか面白い 31:「おせっきょう」ではないミサの説教


「おせっきょう」ではないミサの説教

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答五郎……さて、1週間休んでしまったけれど、みんな元気だったかな。「ことばの典礼」を考えるシリーズも11回目になる。10回目まではおもに「聖書朗読」を考えてきたけれど、今回は、少し先へ進めよう。福音朗読のあとに来るものはなんだったかな。

 

 

聖子……「説教」ね。福音朗読のところでは起立していたので、たいてい司祭方は、「皆さん、お座りください」と言って始めるわね。

 

 

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答五郎……この「説教」が「ことばの典礼」の中心だと思っている人が多いのだろうか。

 

 

瑠太郎……前回は、福音朗読が「ことばの典礼」の頂点であり、もう朗読ということ以上に、キリストがそこにおられること、現存することを示すものなのだという点を考えさせられました。

 

 

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答五郎……それでも、「説教」が中心と思う人が多いとしたら、どうしてだったのかな。

 

 

 

聖子……福音朗読までのところが、決められているものに基づいて行われることなのに対して、説教は、司祭がそのときになされる生のものだからではないのかしら。その日にそこに来なければ得られないものでしょ。

 

 

 

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答五郎……それはたしかにそうだ。いわばライブだから、手元に『聖書と典礼』のような冊子もないし、ほんとうにそこで意識して聞かなくてはならないものだから、自然とその場が活気づくのだろう。このライブ感は、たしかに説教の性格だね。ところで、この「説教」という言葉の意味をどう考えていたかな。

 

瑠太郎……特に疑問もなく、すんなりと受けとめていました。「説教」という言葉は、日本語としても普通で、お坊さんや教師がする教えの話という意味でとっていますよね。

 

 

 

聖子……「おせっきょう」というと「叱られる」話という感じもするわ。それで、ミサの説教がそんなお叱りではないので、少しほっとしたというか。でも、上から下へという印象はあるわね。

 

 

 

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答五郎……教会でも一般でもほかに、一人の人が何かの教えを含む話というのがほかにもあるだろう。

 

 

瑠太郎……大学の場合の「講義」、一般向けの場合は「講演」といいますね。

 

 

 

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答五郎……教会にはまた「講話」というのもある。それらの特徴はなんだろうか。

 

 

 

聖子……みんな「講」がつくわね。一人の人が話し、聞く人たちはひたすら聞くという感じね。
小中高の授業だと、もっと、いろいろ生徒とのやりとりとかいろいろな形があるのと比べると。

 

 

 

瑠太郎……講義も講演も、何かのテーマ、題があるということですよね。

 

 

 

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答五郎……それでは、ミサの説教の題とはなんだろうか。

 

 

瑠太郎……うーん(少し考えて)、やはりその日の福音なのではないでしょうか。聖書朗読全体といってもよいのですが、やはりその頂点は、福音ということだったので。

 

 

124594答五郎……そうだね。そう考えるが自然だし、それが大事なことだと思う。ただ、ほんとうは、聖書朗読はその日のミサの祈りの全体ともつながっているから、ミサそのものの意味、そしてまたその日のミサの固有の特徴、たとえばクリスマスのミサとか、復活祭のミサとか、それらが説教の「お題」といってもいいものなのだよ。『典礼憲章』(52、35)とかミサの『総則』とか『朗読聖書の緒言』とか、そのような規範的な本にも書かれている。長くなるから今は読まないけれどね。

瑠太郎……説教は、司祭によっていろいろだなあと思うことがあります。今読まれた福音は、こうでしたねと最初に触れてから話す人や、一見、聖書と関係のない話題から始めて、どう展開してくのかなあと思って聞いていると、最後のほうで、その日の福音とつながっていくという。

 

 

 

聖子……あたしは、どっちかというと、あとでつなげていく話のほうが好きだわ。

 

 

 

瑠太郎……好き、きらいの問題ではないと思うのですが。

 

 

 

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答五郎……はは。感じたままに言うことも大事だよ。ところで、今は日本語の「説教」ということばで考えてきたけれど、ラテン語のミサ典礼書ではなんというかというと「ホミリア」なのだ。もともとはギリシア語のホミーリアから来る。どんな意味の言葉だと思う。

 

 

聖子……やっぱり、お話を指す言葉なんでしょ。

 

 

 

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答五郎……ところがね、ホミーリアの第一の意味は「交わり」なのだよ。もとになる動詞ホミーレオーとなると「~の仲間である、交際する、交わる、友である」というのが第一で、その中に「話し合う」という意味も出てくる。そこからホミーリアの第二の意味で「教えること」が出てくる。

 

瑠太郎……仲間と一緒にいて交わり、語り合うなかで、教える・学ぶということが出てくるとなると、上下関係より横のつながりが強調されるようなことばなのですね。それは目から鱗です。

 

 

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答五郎……だから、さっきいわれた小中高の授業で、教師と生徒たちがいろいろやりとりしながら教案内容を展開していくというやり方もホミーリアに近いところがあるのかもしれない。少なくとも、信者たちがいてこそ行われるのが説教だから、「交わり」という意味は、説教をする側だけでなく、聞く側にとっても大事かもしれない。次回も続けよう。

(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)

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