《対話で探求》 ミサはなかなか面白い 26:使徒の手紙の朗読


使徒の手紙の朗読

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答五郎……今回は「ことばの典礼」の6回目。ずっとミサの中で聖書を朗読する意味を考えているけれど、きょうは、第2朗読の使徒の手紙を考えてみるのはどうだろう。

 

瑠太郎……はい、聖書が神のことば、それが朗読されるのは、現在の信者たちへの神あるいはイエス・キリストの生きたメッセージを表すため……ということは、旧約聖書の特に預言書や福音書に関してはなんとなく理解できるようになったのですが、使徒の手紙はどう読んでも人間である使徒のことばにすぎないような気がします。

 

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答五郎……では、具体的に考えるために、聖子さん、2017年7月23日にあたる年間第16主日(A年)の第2朗読を読んでみてくれないか。

 

 

聖子……具体的になるなら喜んで。「〔皆さん、“霊”は〕弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。……」。これが前半ね。

 

 

瑠太郎……生き生きと伝わってきますが、やはり使徒パウロの語りかけのことばだと思うのです。

 

 

聖子……まず、ちょっと待って、パウロがローマの教会の信者さんに向けて書いた手紙でしょ。それが、どうして2000年近く立って今、わたしたちに向けて読まれるのかしら?

 

 

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答五郎……それは、新約聖書に使徒の手紙が存在する意味といった、そもそもの話になるよ。使徒パウロの手紙のどこそこへの手紙というのは、たしかに直接には、その教会の必要に応じて書かれたものだ。何か議論があってにっちもさっちもいかなくなっている教会に向けて、正しいことを教える責務に駆られてとかね。

 

 

聖子……だったら、ローマの教会の人たちだけが読んで聞いていればよかったのに。

 

 

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答五郎……直接にはそうだけれども、その内容もパウロの語り方も、すべての教会の信者たちにも通じる、重要な教えだということが早くからわかったから、どの教会でも読まれるようになっていって、そして、新約聖書の中の文書として収められていったということになる。聴くに値する教えがあると早くから認められていったわけだね。

 

 

聖子……ともかくも、そうして2000年近くも伝えられてきたのだから、きっと、大切なことを使徒は教えているのでしょうね。

 

 

瑠太郎……だからといって、神の教えというわけではないと思うのですが。ところで答五郎さん、さっき、年間第17主日の第2朗読の箇所が読まれましたが、冒頭に「〔皆さん、“霊”は〕〕」という句が補われていましたね。これは……?

 

 

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答五郎……カトリック教会では、朗読する箇所を始めるときに、句を補っていることが多い。典礼では、一つの文書全体を一気に読むわけではなく、何節かごとに区切って読むだろう。その場合、使徒の手紙はどの箇所も、聞き手である信者たちに呼びかける内容だから、冒頭に「皆さん」を補っているのだよ。

 

 

瑠太郎……そのような補いをしてもいいのでしょうか。

 

 

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答五郎……それが、聖書そのものを現代にまで伝えてきた、教会の典礼の伝統なのだよ。補うことが間違っていないことは、このローマ書の冒頭のとこからもわかると思うよ。瑠太郎くん、読んでみてくれないか。(新共同訳の)1章1節と、挿入部分を飛ばして、7節、そして8節もだ。

 

瑠太郎……はい。「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから……神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように」ですね。

 

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答五郎……ありがとう。その「ローマの人たち一同へ」という言い方が、手紙全体を貫いていると考えて、そのことを思い出せるよう、各朗読箇所の冒頭で「皆さん」を補っているのだよ。

 

 

聖子……そうしてくれると、ほんとうに今もパウロが語りかけている感じになるわね。それと……ちょっと待って! 今「……恵みと平和が、あなたがたにあるように」のところ、どこかで聞いたような気がするわ。

 

 

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答五郎……そうかい? では、バウロの二コリント書の13章13節を読んでみてくれないか。

 

 

聖子……「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同とともにあるように」……あ! これはミサの初めのところでほんとによく唱えられていることばね。

 

 

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答五郎……典礼の中では「あなたがた……」のところは「皆さんとともに」となっているけれど、基本的に同じ文言だ。つまり、使徒の手紙の初めか終わりのあいさつの言葉がミサでもあいさつの言葉として使われているということなのだよ。

 

瑠太郎……その手紙がローマであれ、コリントであれ、他のどの教会であれ、あいさつの言葉が読まれるとそこに使徒パウロがいるような気がしたのでしょうね。それは、今も同じなのでしょうか。

 

 

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答五郎……そうだね。ミサのあいさつに使徒の言葉が使われているということは、教会の典礼の集いは、教会がつねに使徒に指導されている教会であるということを示しているのにちがいないね。たしかに使徒たちによって、イエス・キリストのことが旧約聖書とともにそののちの時代まで、そして今まで伝えられているといえるからね。使徒は神やキリストの前では姿を隠してしまうけれど、ミサにとっても、とても大事な存在なのだよ。

 

瑠太郎……それでも、パウロのことばは、人間のことばであって、これは直接神のことばではないと思うのです。次もこの疑問、続けていいでしょうか。

 

 

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答五郎……もちろんだよ。

(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)

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