神さまの絵の具箱 8


末森英機(ミュージシャン)

マタイの福音書ではページをめくれば、〝キリスト・イエスの系図〟という血統(ちすじ)が描かれている。家族から家族へと順にたどっていくと、もっと、あらゆる闘いに勝てるのだろう。カヌーかタバコの紙でできた舟に乗って、海へ向かってゆくように。苦難の道(ヴィア・ドロローサ)ゆきにも、それがどんなに似ていようとも。願い事をしない。うれしさも隠していよう。世界でいちばん美しい船荷も隠れている。美しい人影が座っている。雲を透かして、青い陶片(とうへん)のような横顔が見える。醜く美しく。そんな船荷を崇拝しよう。

なぜ、自分を嫌うひとを、助けたいのか、わからなかった。「自分の敵を愛さなければならない」なら、自分のために、なにひとつ守ってはならないということ。それは、他所(よそ)のひとに与えきるということだ。「あなたに敵がいるなら、愛でうんざりさせてやるといい」あの名作『シチリア、シチリア、シチリア』をつくったロベルト・ロッセリーニ監督はおっしゃった。けれど、世界中が愛し合って、敵がいなくなったら、イエスさまの前で、わたしたちの心臓は聖なる山になるか? 空には焼き尽くされて、動物たちの煙が、いまだに遠く遠くまかれてゆく。

かりそめの住まい。天をつなぐ〝人の子〟。虚空に身をささげると、ふたつの孤独が、たがいに身を寄せ合って、守り合う。それから、あいさつし合う。おぼつかなげな異邦人はいなくなる。思いつく限りの罪を犯したからこそ、血の系図は温かい。見落とされるひとは、ひとりもいない。目には見えないほどの、一本の蓮の糸で織られている。どんな水にも汚されることもない。
「罪が増したところには、恵みはいっそう満ちあふれました」(ローマ5:20)とさ。


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