聖霊なんてわけがわからないよ、という人のために


アニメやゲームの主人公には、特別な力や能力を持っている場合が少なくありません。それは作中人物の中でも他の誰にも使えない能力で、主人公およびその仲間たちにしか用いることができません。作品によりけりですが、惑星一つ簡単に破壊できるビームを放つキャラクターもいれば、身近な問題解決にそれを役立てるキャラクターもいます。

最近の流行で言えば「魔法少女もの」がその典型です。もちろん、新しい作品は既存の番組との差異化を目指して変わっていきますから、ジャンルそのものが進化します。その結果、最近では主人公が悪者を倒す単なる勧善懲悪に収まらない設定が人気を呼んでいます。たとえば、そのような魔法の能力を得るためにとてつもない代償を払うことになったり、特に外来の敵が現れるのではなく特殊能力を持った人間同士が戦う羽目になる悲しい物語もあります。他にも魔法の力で兵器を動かすパターンや、さらには舞台を第二次世界大戦のヨーロッパに移した作品、一人前の魔法使いになるための学校での生活を舞台にしたファンタジーな作品もあります。

主人公たちはこのような能力を先天的に持っている場合もありますが、ある時突然なにかの出来事やきっかけによってその能力に目覚めたり、与えられたり、あるいは避けられない運命として付与されることもあります。

「主の霊が彼の上に臨んだ」、「主の霊がギデオンを覆った」、「主の霊がサムソンを奮い立たせ始めた」。これらは旧約聖書で登場人物が「霊」によって特別な力が与えられるときの典型的な表現です(それぞれ士師記3章10節、6章34節、13章25節)。「霊」と鍵括弧をつけたのは、実はこの言葉が空気の動きや風を表す言葉でもあるからです。ヘブライ語では「ルアッハ」と言います。旧約聖書に380回ほど出てくるこの言葉ですが、おおよそ3分の一ほどは風の意味で用いられています。呼吸の「息」の意味でも用いられます。しかしここでは風ではなく、神から与えられる力、というような意味です。正確に翻訳するのは不可能ですが、「神の息吹き」とも訳せます。風と無関係ではありません。他の宗教やサブカルチャーなら、自然を含めた世界のどこか、あるいは地球の外からやってくるであろう不思議な力は、旧約聖書の世界観ではすべて主なる神から与えられるのです。

さて、士師記での彼らはリーダーとなってイスラエルの民を統率します。神によって選ばれた指導者としてイスラエルの民の苦境を救うのです。イザヤやエゼキエルたち預言者も神からの霊を受けます。

夜の秋葉原にて

このような霊を受ける者の最たるは、王になる人物です。「サムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった」(サムエル記上巻16章13節)。このダビデ王の即位の様子は聖書の中の歴史上、決定的な出来事として描かれます。主の霊とは、地上の歴史の只中で神の計画を実現するために働き、行動させる活力なのです。そして新約聖書のマタイ福音書によれば、このダビデの子孫からイエス・キリストが生まれます。

最後に、ヨエルという預言者はこんなことを言っています。「わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し、老人たちは夢を見、若者たちは幻を見る。その日、わたしは奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ」(ヨエル3章1-2節)。すべての諸民族に神の霊が降るというわけです。新約聖書の使徒言行録2章に記されて今も教会が祝っているペンテコステ(聖霊降臨)は、この預言の成就です。これもまた歴史上決定的な瞬間です。教会の中では、主の霊はみんなに開かれているのです。もちろん教会の信者は魔法少女みたいに変身したりはしませんが。

文・写真=石原良明(AMOR編集部・サブカルマニア・聖書読み)

 

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