神さまの絵の具箱 1


末森英機(ミュージシャン)

ヨルダン河のほとりは、ヨルダン河の彼方になった。

ガリラヤの海の岸辺は、ガリラヤの永遠になった。

信じれば、ヨルダン河の水はさかさにも流れる。

ある日、日がな一日、座って魚を取る網を、機(はた)織りのなかで行ったり来たりを繰り返す棹(さお)さながら、繕っている貧しい漁師の肩に、あの方が手を置いた。ほんの少いし海風がそうするように。「こんなに安い、わたしの血なのに」漁師は初めて思った。

ふたりの涙が混じり合った。あの方の傷で、漁師の傷が癒(い)やされたことを、まだ彼は知らなかった。漁師の彼は網を捨てて、起ち上がり、あの方についてゆく。引き紐(ひも)を外されたラクダが鈴を振るように。舫(もや)いを解かれた小舟のように。

あのお方は、このお方になった。刹那、あまりにも幸せすぎる。

やがて彼は、この方を背中にのせるゴワゴワした毛の貧しい子ロバになった。この世で二番目に貧しい子ロバである。永遠の昔である。この始まりを見てしまったようには、終わりはみないよう、両目をしっかり閉じるときはくる。

水が海を見捨てることはない。

この方の風の吹き方には秘密があった。

血の交わりよりも、海の珊瑚のように固い契りのような。そして、天地が創造されたときの言葉のように確かな、でも、飛ぶ鳥のように軽やかだった。

漁師だった彼は思い出した。このお方の身重だった母親に、厩(うまや)で気息(いき)を吹きかけていたことを。そして、この方が、素朴な人々に畏れつづけられることを、こんなに安い彼の血のなかに思った。


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