スペイン巡礼の道——エル・カミーノを歩く 20


古谷章・古谷雅子

9月21日(水)第7日目 晴 <行程20.4km/累計165.5km>

トレス・デル・リオ~ログローニョ

松林の中を歩いてログローニョを目指す

6時ころから周りが動き出して落ち着かないので、予定より早く起きてしまって出発。8時ころに東の空が明るくなったが、行く手の西にある盆地は薄くガスがかかり展望はイマイチだ。今日の行程は短いのでビアナで入ったバルで小一時間ものんびりとしたが、下り基調なので他ではほとんど休まずにリオハ州の州都、ログローニョを目指した。ビノの産地として有名なリオハ州だけあって両側にはぶどう畑が広がっている。ログローニョが近づくと道は気持ちの良い松林の中に入った。

ログローニョの手前で若い神父(?)が2人いて、テーブルを出して巡礼手帳にスタンプを押してくれていた。町の祭のことを尋ねると、祭の期間中に限り町の中のサンティアゴ教会では無料で泊めてくれ(先着順)、食事も出されるとのことだった。今日はホテルかペンションに泊まってくつろぐつもりだったのだが、エル・カミーノの象徴である「白馬にまたがるモーロ人殺しの聖ヤコブのレリーフ」に飾られた由緒あるカセドラルに泊まれるとは千載一遇の機会なのでそこを目指すことにした。このレリーフはガイドブックなどでしばしば目にする。サンティアゴとはサント・イアーゴすなわち聖イアーゴ(聖ヤコブ)。英語やフランス語ではサン・ジャック。このサンティアゴ教会の正面外壁のレリーフはスラムとの戦いで守護聖人となった聖ヤコブをたたえるものだ。イスラム教世界とキリスト教世界の相剋の歴史は長いものだ。

泊めてもらったサンティアゴ教会

町には12時過ぎについてしまったが、教会は1時まで開かないのでドアの前で行動食を食べながら待つことにした。待っている私たちを見かねたか、1時前に入れることになった。宿泊は20枚以上のマットを敷かれた大広間か、2段ベッドがぎっちりと並んだ部屋のどちらかを選べた。普段は会議室のような部屋だ。迷うことなく大広間のマットで寝ることにしたのだが、こちらを選んだのは私たちのほかには韓国人青年2人と西洋人が2人だけだった。

ほとんどの西洋人たちは皆2段ベッドの方に行ってしまった。床に寝るよりも狭苦しくて満員の部屋でもやはりベッドが良いのだろうか。臨時の宿泊施設とはいえ、いろいろなイベントで開放されるらしく、シャワーや食堂、電気のソケット等、よく整っていて快適に過ごせた。

たまった洗濯をしてから再び街に出た。リオハのビノはスペインでも特に質のよいものだそうだ。収穫祭の町はそこかしこで楽隊が演奏しているなど、にぎやか、というより喧騒の坩堝(るつぼ)だ。老若男女、仮装した人や着飾った人、とにかくものすごい人出で、バルのテラス席を確保するのも大変だった。バルだけでなく、地域の人たちが出店している模擬店でもビノを飲んだりタパスを食べて祭の気分を味わった。

サンティアゴ教会のドミトリー

教会に戻って夕食の準備を手伝った後、ミサに参加した。にわかカソリックとしては勝手がわからず、神父さんに叱られるなど作法に苦労した。

そして町の喧騒をよそに教会の食堂で質素な夕食(サラダ、パン、ひよこ豆とベーコン等の煮込み、果物)。この時出されたビノは辛くてまずかった。スペイン滞在中ただ一度だけ、お代わりをもらう気にならないビノだった。しかし、さすがに欧米人の社交精神は大したもので、共通語である英語は拙くても会話は弾んだ。フランス北部から来たという若者は8月はじめに家から歩き始めたそうで、巡礼手帳も2冊目、四国にも来てみたいそうだ。

デザートにスイカが出たが、塩を振っていると近くに座っていたドイツ人のおばさんが騒ぎ出した。彼女にとって理解できないことだったらしい。隣にいた韓国人青年が「塩をかけると甘みが引き立つので韓国でもそうする」と言ったので、向かいのフランス人が塩をかけて食べてみたが、やはり口に合わないという表情をした。それを見た件のおばさんは、それ見たことかと言わんばかりに馬鹿にしたような顔をしてぶつぶつ言っていたので「これが日本の常識だ」と言って皆を笑わせて終わりにした。

トレス・デル・リオ 6:40 ~ ビアナ 9:20/10:15 ~ ログローニョ 12:15

 


スペイン巡礼の道——エル・カミーノを歩く 20” への2件のフィードバック

  1. 追伸
    でも振りすぎに注意しましょう。
    しおっからくなります。 はいっ(笑)

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