遠藤周作氏の創った劇団樹座


いとうあつし

「樹座に入ってた神父がいるなんて信じられないなぁ!」

周作クラブ会長の加賀乙彦先生に初めてご挨拶申し上げた時の反応です。

 無理もありません。座長の遠藤周作先生が団歌に「あほらしき劇団樹座よ」と歌うほど、あの劇団は確かに奇天烈でした。(ちなみに私が座員だったのは大学生のときですから、正確には神父が樹座に入っていたのではなく、樹座に入っていた人間が神父になったということです。誤解なきよう。)

 まずは樹座という劇団名。字面はなかなか美しいのですが、これで「キザ」と読みます。「キザなヤツ」のキザです。

 入団審査も変でした。演劇経験者はふるい落とされ、演技がヘタクソであればあるほど歓迎されたのです。結果、座員になれたのは「ド」が付くほどの素人ばかりでした。

 いざ稽古が始まると、素人劇団とはとても思えない状況が待っていました。

 座員は確かに素人ばかり、老若男女が偏りなく集められていましたが、よく見ると、その中にはなんと北杜夫、佐藤愛子といった大御所作家の先生方が混じっておられたのです。私の相手役は古山高麗雄先生でした。感動するやらビビるやら、ただただ狼狽えるしかありませんでした。

 裏方は全員プロ。演出やダンスの振付、舞台装置などはすべて劇団四季のスタッフが指導して下さいました。超大物女優が演出に名を連ねることもありました。とにかく舞台の表と裏のギャップが凄すぎたのです。

 当然の帰結として、私たちドシロウトはこれらプロフェッショナルをしょっちゅうマジギレさせることになりました。

「なぜこんなことができないんだ! ちゃんとやれ‼」

こんなことができない人、ちゃんとやれない人ばかりをわざわざ選んでおきながらそんな無茶な…、と反論できるような立場でもなく、極限に達した緊張で歌う声はますます上擦り、踊る手足はますます突っ張ってしまい、それでまた怒鳴られる始末でした。

 そして本番。私が出演した第十回記念公演の舞台はなんと、あの帝国劇場でした。(帝劇は樹座への使用許諾を後悔し、その事実を封印したという噂もあります。)座員がドシロウトである以外はすべてホンモノ、もったいないほどの大舞台で、役者は大真面目に悲劇を演じているのに客席はなぜか大爆笑という奇妙奇天烈な芝居が繰り広げられたのでした。

 のちに分かったことですが、遠藤先生は、素人が必死に頑張っている(にもかかわらずうまくできない)のがいいのであって、素人の慣れた演技ほどつまらないものはない、と考えておられたようです。言い換えれば、ドシロウトなりに真面目に遊び、ヘタクソなりに全力で楽しむということが、この珍妙な劇団樹座の目指すところだったということでしょうか。

 劇団樹座の奇天烈さを体験すると、『沈黙』のような純文学を書かれる遠藤先生が、同時に狐狸庵シリーズのような作品を執筆された理由が、ちょっとだけ分かるような気がするのです。


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