《対話で探求》 ミサはなかなか面白い 7:会衆が集まると


会衆が集まると

 

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答五郎……さて、いよいよミサが始まる。さっき考えたミサ前の沈黙も大切な意味があるし、その中の一つひとつの準備行為すべてが重要だとはいえね。ミサが始まるときに実際に行われるのは何かな。

 

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問次郎……歌の前奏が始まるのと同時に司祭と数人の行列が会衆席の後ろの方から祭壇に向かっていくようでした。

 

 

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答五郎……そうだね。そこのところ、『ミサ典礼書』では、「1 入祭の歌と行列 会衆が集まると入祭の歌を歌う。その間に司祭は奉仕者とともに祭壇へ行く」と注記されている。つまり、具体的な行為としては入祭の歌と司祭・奉仕者の行列でミサは始まる。この歌はだれが歌う?

 

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問次郎……全員ですよね。歌の番号が掲示版とアナウンスで指示されますから、あれは「皆で歌いましょう」ということですよね。

 

 

 

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答五郎……そうだね。全員の歌と行列で始まるところにミサらしさが表れていると思うのだが、この注記文の中でちょっと興味深い一句があるのだ。気づくかな。

 

 

 

女の子_うきわ

美沙 ……「会衆が集まると」という句ではないでしょうか。少し気になったのです。「ミサは会衆が集まると始まる」と言っているようなので。ミサが始まる前提のことのような気がするのですが。

 

 

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答五郎……そうともいえる。だが、あえてそう言っているところに意味があるのでは? よくこの句に関して、「ミサは時間が来たら始まる」とは書かれていないよと注目させられるのだよ。

 

 
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問次郎……でも、たいていは、決まった時刻になったら始まると思っていますよね。

 

 

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答五郎……そうだね。ただ、もし「定められた時刻が来たら入祭の歌を歌う」と記してあったら、すこし寂しくないか。注記には便宜上の指示というだけでなく、一つひとつの行為が何を意味しているかを示す役割もあるのだよ。「会衆が集まると」という一句には、ミサで大事なのは会衆の集まりですよ、というメッセージが含まれているようでもある。

 

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問次郎……それでも、やはり、ミサは決まった時刻に始まるというのがふつうの実感ではないですか。

 

 

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答五郎……ふふん。では聞くが、その時刻というのは何のための時刻だろうか。ミサが始まる時刻というのはそうなのだが、この時刻はどうして決められているのだろう。

 

 

 
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問次郎……教会によってさまざまですね。見学した麹町の教会では、ほぼ1時間ごとか1時間半ごとにミサの時刻が決まっていますよ。こんなに何度もするのかと思いました。

 

 

 

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答五郎……それは、その教会は集まる信者さんが多いからだよね。郊外にある教会でも、その地域の信者さんの状況を考えてさまざまな時刻の設定がある。それはなんでだろう。

 

 

 

女の子_うきわ

美沙……はい。その教会ごとで信者さんが集まるのに適した時刻で設定しているということですね。つまり、時刻の設定というのは一つの手段にすぎません。集まるのに適した時刻が回数も含めて設定されているのです。会衆が集まるのに適した形で設定され、信者さん方に告知されているということは、つまり、集まることを呼びかけているという意味です。「定められた時刻が来たら、それは、実質的に会衆が集まっているとみなされるから、その時刻が来たらミサが始まる」ということは、突き詰めると「会衆が集まるとミサが始まる」ということになるわけですね。

 

 

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答五郎……はっはっは。まあ時刻と会衆の集まりの関係はそうことになるだろう。少なくとも「気が向いたら」ではないことは確かだ。ミサを始めるために、会衆、司祭・奉仕者、オルガン奏者、聖歌奉仕グループ、進行案内アナウンス係、それぞれが準備して、一つの礼拝行為を作り上げようとしている。ミサがどれだけ共同体の行いであるかを意識するのがここでは大事ではないかな。

 

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問次郎……答五郎さん。会衆席の側から見ると、司祭たちが行列して入ってくるのがミサの始まりのしるしのように思えるのですが……。

 

 

 

124594答五郎……ふふーん。なかなか微妙なところに気づいたね。じつはこの「会衆が集まると」という注記はさらにいくつかの含みがあってね。この『ミサ典礼書』という本は基本的に司式者、そして式者と密接な連係をもって奉仕する奉仕者たちのために作られているものなのだよ。だから、注記も司式者や奉仕者のための指示書きということになる。司式司祭にとっては、ミサを始めるにあたって、まだ第一に留意すべきなのは「会衆が集まっている」かどうかだよ……というメッセージが込められているのではないかと思うんだよ。さらに言うと、実はミサにもいろいろな形式があるんだが、基本はもちろん会衆の参加するミサにある。ここの冒頭の句は、このミサはつまり会衆の参加するミサですよ、ということを確認させる意味合いもあるはずなんだ。

 
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問次郎……へえ~、そうですか。会衆の側から見れば、当然集まっているので、それは前提だと考えれば、ミサの始まりは「司祭・奉仕者の行列が始まると入祭の歌を歌う」というのが実感ですね。

 

 

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答五郎……なるほど。信者の意識に映るミサの式次第を書き記していくというのも、一つの勉強としてはいいかもしれないね。それも試みてみよう。いずれにしても、会衆の集まり、入祭の歌、司式司祭・奉仕者の行列、一体となってミサが始まる。それは、さらにあることを表現しているのだが、それは何かということを次に考えてみよう。

(つづく)


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