《対話で探求》 ミサはなかなか面白い 5:ミサは教会!?


ミサは教会!?

 

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答五郎……ミサの中身に迫る前に、もう一つ、どうしても、聞いておきたいことがある。2人は「教会」という言葉を聞いて何を思うかな。この前、教会堂と教会をあえて区別して私が言ったのを覚えているね。どんな意識があったと思う。

 

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問次郎……はあ、そうですね。実際、見学に行った教会の案内板を見ると、主聖堂や中聖堂、信徒会館や司祭館もありました。これらをひっくるめて「教会」というのだろうとまずは思いましたが。

 

 

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答五郎……そのひっくるめた「教会」はどこかに見えるかな。

 

 

 

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問次郎……直接に見えるのは建物ですから、そういう意味で「教会」そのものはたしかに目に見えるものではありませんね。社会的に存在するもの、組織といったらよいのでしょうね。

 

 

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答五郎……見えるのは建物だけだったかな。

 

 

 

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問次郎……ああ、そうでした。見学の許可をとったのは、事務室の職員のような人がいました。その人が、主任司祭の許可をもらってきますと言って許可をいただいのです。ですから、その役員や責任者である主任司祭という人が教会を代表しているのですよね。

 

124594答五郎……そうだね。建物だけではなく、それよりも人が教会という存在を示している。ただ、それは世の中の組織、会社や団体、どれも同じだろうね。究極的には国家というものものある。ただ、どれも、責任者、代表者だけがその存在を表しているだけではないだろう。

 

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問次郎……そうです。会社員、団体のメンバーやスタッフ、国家なら国民という人々によってもそれらの存在は示されます。

 

 

124594答五郎……そんなふうに世の中のさまざまな組織・団体・会と呼ばれるものと、教会も比較して考えられるところがいっぱいある。もう一つ別な側面があるだろう。美沙さん、この間、ミサを見学していて、日本語で行われてはいるけれど、わかりにくい教会独特の言葉だと感じるものが多かったと言っていたね。そのときの「教会」は、どういう意味で言っていたかな。

 

 

女の子_うきわ

美沙……はい。それは、「信者さんたちが所属している信仰団体、宗教団体、しかも歴史的な伝統のある組織ないし団体」といったほどの意味で言いました。

 

 

124594答五郎……立て板に水だな。その、歴史的な伝統のある、と言っていたのが重要だと思ったのだ。社会的なものはどれも独自の歴史をもっている、固有の伝統をもっている、教会にももちろん、独自の歴史がある。人が何かの会・組織に入るということは、その歴史とつながってくるということもわかるね。

 

 

女の子_うきわ

美沙……はい。メンバーの活躍によっては、新たな歴史を作るということもありますね。

 

 

 

124594答五郎……実際、信者がよく教わるのだが、信者自身が教会だという言い方がある。ただ、教会に外的に所属しているというだけでなく、信者一人ひとりが教会の主体だという意味でだ。それは、主体性を高めようとする意図もあって、現代ではとくに強調されている。

 

女の子_うきわ

美沙……それは、多かれ、少なかれ、どの団体や会に関してもいえると思います。

 

 

 

124594答五郎……そうかもね。さて、アプローチを変えてみよう。こういう言い方はどう思うだろうか。ある信者さんが「自分は、最近あまり教会に行っていない」……と、吐露することがある。ニュアンスはさまざまだけれどね。そこでだ、教会とは「行く」ものなのだろうか。

 

女の子_うきわ

美沙……信者自身が教会だと踏み込んで言われれば、教会に行くとか行かないという言い方は、おかしいことになりますよね。自分自身が教会であるのですから。

 

 

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問次郎……でも、教会に行くという言い方もよくするし、自然だと思うよ。もちろん、行って、なにかをするのだけれど。

 

 

124594答五郎……いま、問次郎さんはすごく大事なことを言った。教会って、動いていないと、何かをしていないと無いとさえいえるものかもしれないのだ。では、あらためて、そんな教会に行かないとか、行けないと言うとき、第一に考えられていることはなんなのだろう。聖書研究会や講座のことを指して言っているのだろうか。

 

 

女の子_うきわ美沙……はい。おっしゃりたいことがわかりました。「しばらく教会に行っていない」と言われるときに主に考えられているのは日曜日のミサですね。行っていないということをあえて言うのは、日曜日のミサにほんとうは出るべきものだとわかってはいるのに、行っていない、出ていない、参加していない自分です……という意識が表されているのだと思います。
124594答五郎……そう。その意識が大切に思える。ともかく、そんな言い方や意識の中で、教会と考えられているのは、その実、ミサ、とくに日曜日のミサではないだろうか。無意識のうちに、ミサは教会だということ、ミサが教会のほんとうの姿を示しているということを語っているのではないかな。

 

 

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問次郎……建物や人、それだけでなく、ミサという信者たちが共同で行う礼拝が教会の真実を示すのではないかというわけですね。それも考えてみましょう。ミサはキリスト! ミサは教会! ますますミサの中身を詳しく調べたくなりました。

(つづく)


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